柳田国男 遠野物語

石井正己 著
NHK 100分de名著 2014 年 6 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2014/06/01(発売:2014/05/24)
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読了:2014/06/26
『遠野物語』は、遠野の民話を集めたもので、西欧文明が入ってくる以前、人間が自然や霊界ともっと密接に結びついていたころの話がいろいろ収められている。しかし、それを懐かしがっているだけではつまらない、と私は思う。 現代人は、ここに書かれているような感性で生きていくことはもはやできない。Boyer『神はなぜいるのか?』で書かれているように、たしかにこのような感性は人類にある程度普遍的なものかもしれない。 しかし、それはそれとして尊重したうえでも、やはりこの即物的な現代においては、たとえ人間の本性に反しようとも科学をベースに生きていかなければならない。

テキスト+放送のサマリー

第1回 民話の里・遠野

『遠野物語』は、遠野の民話を記録したもの。遠野は盆地で、遠野南部氏一万石の城下町だった。内陸と海岸を結ぶ交易の中継地としてにぎわっていた。

柳田はエリート官僚だった。地方視察する中で、地方の伝承を知ることになった。 柳田は、上京していた遠野出身の佐々木喜善から聞いた話をもとにして、『遠野物語』を書いた。 「自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」としている。 地名や人名などまで丁寧に書かれている。

『遠野物語』には、暗い話も多い。たとえば、子殺しや親殺しの話もある。 かつての共同体では、悲惨な事件を内側に抱え込みながら暮らしていた。

取り上げられている話より

15 話(オクナイサマ)
オクナイサマという神さまが、小僧の姿となって田植えの手伝いをする。
55,56,58 話(カッパ)
単なるいたずらの話 (58 話) もあれば、河童の子どもを産む (55, 56 話) という恐ろしい話もある。 河童の子どもを産むというのは、名家のスキャンダルの噂を消すためのものだったかもしれない。

第2回 神とつながる者たち

いろいろな神さまや神さまにつながる不思議な能力のある人々の物語を紹介する。

取り上げられている話より

2 話(遠野三山の山の女神)
女神の三姉妹の話。末の姫が早池峰山を取り、後の二人が六角牛山と石神(石上)山を取った。 遠野の女は嫉妬が怖いので、それらの山には登らない。男は、成人になるときにそれらの山に登らなければならない。
91 話(山の神)
元南部男爵家の鷹匠の鳥御前と綽名されていた者が、山に入ると、赤い顔の男と女が話しているのに出会った。 彼らは鳥御前を制止するが、鳥御前はそれを聞かずに打ちかかる振りをしたので、男に蹴られて気絶し、数日後に死ぬ。
18 話(ザシキワラシ)
山口孫左衛門の家には童女のザシキワラシ(座敷童)がいた。ある日、家からザシキワラシが去ると、 間もなく一家がキノコの毒にあたって、幼女一人を残して死に絶えた。21 話には孫左衛門がお稲荷さんを庭に建てる話が出てくる。 ザシキワラシはそのせいで去ったものか。
69 話(オシラサマ)
馬と娘が恋をした。父親がそれを知って馬を殺した。娘は切り落とされた馬の首に乗ったまま昇天した。 そこで、オシラサマの神像は、馬の頭と娘の頭が一対になっている。
96 話(芳公馬鹿(よしこうばか))
芳公馬鹿は、木の匂いを嗅ぐことで、火事を予言できる。この予言をされた家は、注意をしても火事を免れることが無い。
63 話(マヨイガ)
三浦家の少し魯鈍な妻が、谷の奥に入ってある家(マヨイガ)に迷い込んだ。そこには立派なものがあったけれど、何も取ってこずに帰ってきた。 すると、ある日椀が流れてきて、これで穀物を量ると、いつまでも穀物が尽きることがなくなった。そこで、三浦家は繁栄した。 マヨイガにたどり着いた者は、本当は自由にいろいろ盗み出して良かった。しかし、この妻は無欲だったので、椀が自ら流れてきた。

第3回 生と死 魂の行方

死にまつわる話を紹介する。亡霊の話などがリアリティを持って語られている。

『遠野物語』の話の三分の一くらいは、佐々木喜善が育った土淵村の山口集落とその近隣の話である。 山口集落をはさんだ両側に、デンデラ野(蓮台野)とダンノハナという場所がある。 デンデラ野は、老人を「棄てる」場所であった。ダンノハナは、墓地、すなわち死者が行く場所であった。 このように、昔は生老病死や祖霊信仰が非常に身近だった。

取り上げられている話より

22 話(亡霊)
佐々木喜善の曾祖母が亡くなって通夜の時、曾祖母の亡霊が現れ、その裾に触れた炭取がくるくると回った。
97 話(臨死体験)
菊池松乃丞が、腸チフスで死にかけて、魂が菩提寺に行くと、死んだ息子に会った。 息子は来てはいけないと云う。このとき門の方から呼び声がするので引き返したら、生き返った。
8 話(神隠し)
若い女性が草履を脱ぎ置いたまま行方がわからなくなった。三十年余り後に、彼女は老女になって帰ってくる。 その女を「サムトの婆(ばば)」という。
99 話(明治三陸津波にまつわる亡霊)
福二は、三陸の田の浜集落に婿に入っていた。明治三陸津波に遭い、生き延びたが、妻と子供が死んだ。 子どものうち二人は生き残った。ある夜、渚に行くと、亡き妻がいて、やはり津波で死んだ昔の恋人と一緒だった。 福二が、子供が可愛くないのかと云ったら、泣いて立ち去った。
石井コメント「これは、心の復興のありようを考えるための話だ。」

第4回 自然との共生

野生動物とともにある暮らしを見てゆく。しかし、自然との「共生」と言っても、それは決してなまやさしい平和な関係ではない。

同時代の宮沢賢治の童話に「なめとこ山の熊」という作品がある。大きな熊が小十郎に撃たれそうになったが、やり残したことが あるのであと2年待ってくれと言う。そのちょうど2年後、熊は小十郎の家の前で死んでいた。作品の最後では、小十郎は 熊に殺され、熊に囲まれて死んでゆく。熊と人間の間の崇高な関係が描かれている。基盤となる世界は『遠野物語』と共通している。

「此書を外国に在る人々に呈す」と柳田は書いている。柳田は、人類に普遍的な問題を提示しているのではないか。 この書によって、心の中の古い記憶を呼び覚ましたい。

取り上げられている話より

42 話(狼の復讐)
飯豊村の人たちが、狼の子二匹を殺して一匹を連れ帰った。その日から狼が村の馬をしきりに襲うようになった。 そこで、村の人たちは狼狩りに山に入った。雌狼が復讐のために人間に襲いかかる。 そこで、力自慢の猟師「鉄」が相手をする。「鉄」は、鉄砲を使うのは卑怯だと考えて、羽織を脱いで腕に巻き、狼の口に突っ込む。 「鉄」は、腕を狼の腹の中にまで入れるももの、狼は「鉄」の腕の骨を噛み砕く。狼は死に、「鉄」もやがて死ぬ。
43 話(熊と人との一騎打ち)
上郷村の猟師「熊」が動物の熊にばったり出会い、取っ組み合いになってしまう。一緒に川に落ちたところ、動物の熊の方が上になったので、 連れの男が撃って、人間の「熊」は助かった。
39 話(山のルール)
佐々木喜善が幼いころ、祖父と山に行った。そこで、オオカミが殺した鹿を人間が取ってはいけないことを教えられた。
94 話(人を化かす狐)
菊池菊蔵は、姉の家に行った帰り道、藤七に出会う。藤七と相撲を取って遊ぶ。後で、餅が無くなったことに気付く。 その数日後、藤七と話をすると、その日は浜に行っていたという。そこで、菊蔵は狐に化かされていたことに気付く。
52 話(馬追鳥)
奉公人が、山へ馬を話に行って帰ろうとしたら、一匹足りない。 そこで、夜通し「アーホー、アーホー」と馬を追う声を立てて探しているうちに、鳥になった。 馬追鳥とはアオバトのことだと考えられている。
佐々木喜善『聴耳草紙』より
祖母の話によると、オット鳥(コノハズク)が里に来て啼くと、その年は凶作だといわれている。 森にすむ鳥が里に来るということは、食べ物が足りないということなのだろう。