風刺文学の白眉『ガリバー旅行記』とその時代
原田範行 著
NHK カルチャーラジオ 文学の世界 2015 年 1~3 月、NHK 出版
刊行:2015/01/01(発売:2014/12/25)
福岡天神の積文館書店天神地下街店で購入
読了:2015/03/26
ガリバーと言えばもちろん子供の時に小人国の物語などを読むわけだが、大人向けとして全編読んだことはまだ無い。
で、手軽に放送で理解してしまおうと思った次第。
最後まで放送を聴いてみると、やはりこれは風刺文学というよりも優れたSFというか前衛小説のようなものだという気もしてくる。
そういった小説は、奇妙な状況を作り出すことで、深い問いを発する。
たとえば、安部公房は『他人の顔』という小説で、顔を無くすという状況を作り出すことによって、
顔に対する深い洞察をしている。『ガリバー旅行記』も、人間を人間でない世界の中に置くことで、人間に対する深い洞察をしているのだ。
これを単に風刺と呼んで良いのだろうか?
ガリバー旅行記の影響は意外なところにも及んでいることに気付く。
たとえば、インターネットサービスの Yahoo! は、旅行記に出てくるヤフー (yahoo) を意識して付けられたもののようだ (Wikipedia による)。
宮崎駿の「天空の城ラピュタ」は、旅行記に出てくる飛ぶ島ラピュタから付けられた名前である。
テキスト+放送のサマリー
第1回 <近代>の出発―『ガリバー旅行記』が書かれた18世紀
- 『ガリバー旅行記』は、1726 年に刊行された風刺文学の傑作である。
- 本日は、時代状況の説明をする。
- 政治状況
- 18 世紀は、近代 (modern) の出発点であった。革命が起きたのち、封建制度が解体して、市民が社会の中心になってゆく時代である。
- イギリスでは、17 世紀に、2度の革命があった。最初に起こったのが、清教徒革命である。
清教徒革命は、チャールズ1世と議会の対立の結果起こり、チャールズ1世が処刑された。その後、共和制になり、クロムウェルが統括した。
しかし、クロムウェルの没後、共和制は弱体化し、チャールズ2世が即位した(王政復古)。後を継いだ弟のジェームズ2世が議会と対立し、
名誉革命が起こる。無血革命が起こり、ジェームズ2世はフランスに逃れ、メアリ2世とその夫ウィリアム3世が即位する。
- 小人国のリリパットや大人国のブロブディンナグの話の背景には、こういった革命の動乱がある。
- イギリスでは、13 世紀のマグナ・カルタ以降、国王の力は、議会(有力貴族)によってかなり制限されていた。
- 革命は、王族と有力貴族の対立として起こったが、一般市民も無関心ではなかった。
- イギリスでは、ヘンリー8世がイギリス国教会を作っていた。それ以来、イギリスでは、国王が聖俗のトップである。
革命にも宗教がからんでいた。ジェームズ2世はカトリックであった。
作者のジョナサン・スウィフトもアイルランド教会(聖公会、イギリス国教会に連なる)の聖職者であった。
- 言語状況
- 当時、英語が困難に直面していた。
- 当時、書き言葉が混乱していた。たとえば、当時、ビール beer と熊 bear(ベア)の綴りが混乱していて、田舎紳士がロンドンで迷子になったという笑い話がある。
そのように、当時は正書法が定まっていなかった。正書法の確立は、Samuel Johnson による『英語辞典』(1755) の出版をまたなければならなかった。
- 17 世紀の英語では、書き言葉と話し言葉がだいぶん違っていた。それで、書き言葉を口語をベースにした平易なものにしようという動きがあった
(たとえば、王立協会のトマス・スプラット)。その後、近代的な英語を作ったのは、作家・文人たちであった。
第2回 作者ジョナサン・スウィフトの数奇な生涯
- スウィフトの生い立ち
- スウィフトは英国の王政復古の7年後にアイルランドのダブリンに生まれた。
- 18 世紀の当時は、アイルランドはイングランドの国外植民地のようなものであった。
イングランドのアイルランド支配は、ヘンリー8世がイギリス国教会(アイルランドではアイルランド教会(聖公会))を広めたあたりから始まる。
アイルランド共和国が独立したのは 1949 年。
- スウィフトはアイルランド人ではない。スウィフト家はもともとはヨークシャーの名家であった。
祖父がチャールズ1世を擁護していたために、清教徒革命でアイルランドに移住した。
- 母親もイングランド出身。父親はスウィフトが生まれる直前に急死した。スウィフトは幼い時は乳母に育てられる。
やがて、ダブリンに戻って伯父の許でグラマースクールに通い、長じてダブリンのトリニティ・カレッジで学ぶ。
- 名誉革命の混乱を避けて、スウィフトはイングランドに渡り、大物政治家ウィリアム・テンプルの秘書となる。
- ステラとヴァネットという女性との関係
- スウィフトが愛した女性が二人いた。ステラとヴァネッサである。
- ステラは、テンプル家の使用人の子で、ステラが子どもの頃、スウィフトが家庭教師をしていた。
スウィフトは、ステラをダブリンに呼び寄せるが、同居はしなかった。
- ヴァネッサは相思相愛の女性だったが、ステラとの三角関係の中で急死。
- 当時の政治状況とスウィフト
- 18 世紀当時、文芸は政治・経済・社会とは密接にかかわっていた。
- 18 世紀初めの 10 年くらい、スウィフトは、文筆活動をしつつ政治的な就職活動をする。
- スウィフトは、最初ホイッグ派であった。ホイッグは新興中産階級が支持していた。しかし、やがて、トーリー派(王権派)に転じた。
- 1714 年に、アン女王が亡くなると、トーリー党政権がつぶれて、政権がホイッグに移る。
このあたりで、スウィフトは政治的に出世することを断念する。
- その後、ダブリンの聖パトリック大聖堂の首席司祭となる。そのダブリン生活の中で、アイルランドが虐げられていることに憤慨する。
『ドレイピア書簡』という公開書簡を出して、アイルランドの貨幣鋳造が私物化されることを糾弾した。
これと並行して『ガリバー旅行記』が執筆された。
第3回 小人国リリパットの冒険(一)―風刺の醍醐味
- 『ガリバー旅行記』は1726年刊行。著者は Lemuel Gulliver ということになっていた。つまり、ガリバー自身が書いたという体裁になっていた。
- ガリバーは、ノッティンガム出身で、1699年に船出した。
- リリパット国の皇帝の描写には、ハプスブルグ家、ウィリアム3世、ジョージ1世の姿が反映されている。これは、外国出身の国王嫌いの反映かもしれないが、スウィフトもアイルランド出身なので、そうかどうか不明。
- 皇帝の描写で、generally victorious と書かれているところがある。この generally が「概して」という普通の意味だとすると、少しぼやけた感じがする。古い意味の「あまねく」という意味で使われているのかもしれない。
第4回 小人国リリパットの冒険(二)―現実を透視するミニチュアの世界
- リリッパットでは、綱の上で最も高く跳ぶことができた者が政治の実権を握る。
そのようにして実権を握った大蔵大臣のフリムナップは、イギリスの実質的な初代首相とされるロバート・ウォルポールを風刺した姿と見られる。スウィフトは、ウォルポールを嫌っていた。
- 第二位の地位にある宮内大臣レルドレサルは、敵か味方かわからない鵺(ぬえ)のような人物である。
フリムナップやレルドレサルの描写は、当時のイギリスの陰謀渦巻く激動の政治状況を風刺したものであろう。
- リリパットには2つの大きな政治問題があった。一つは、トラメクサンとスラメクサンという党派の対立であり、
これはトーリーとホイッグの対立を表現したものと見られる。もう一つは、卵を大きい端から割るか小さい端から割るかという論争で、
これはカトリックとイギリス国教会の対立を表現したものと見られるが、現実との明確な対応関係は無い。
- ガリバーは、やがてリリパットで弾劾される羽目に陥る。ガリバーはリリパットを叩き潰すこともできたが、
皇帝にした誓約や受けた恩義のことなどを考え、リリパットを脱出しイギリスに帰還する。
第5回 大人国ブロブディンナグの冒険(一)―視覚表現の多様さと深さ
- 巨人国の話は、ビジュアルなイメージがおもしろい。
- 見物にやってきた高齢の人が老眼鏡をかけてガリバーを見る場面で、眼が満月みたいで面白いという記述がある。
- 巨人の女性の乳房を見て、肌がでこぼこでほくろやにきびなどでぐちゃぐちゃしていることに衝撃を受ける。
縮尺を変えてみると、ものの見え方が大きく変わることに驚いている。
- 宮廷では、地図を見せてもらってその上を歩き回り、歩測する。当時の植民地主義の気持ちも見え隠れする。
ガリバーは、植民地支配を嫌ってはいたのだが、地図の上を闊歩して得意になる様子は植民地主義とも重なる。
- リリパットとブロブディンナグ
- リリパットでは、ガリバーは全体を俯瞰できたし、小人を馬鹿にすることもできた。
- 一方、巨人国では、ガリバーは壁に囲まれた感じで追い込まれることになる。ガリバーは無力感に苛まれる。
第6回 大人国ブロブディンナグの冒険(二)―無力感に苛まれるガリバー
- ブロブディンナグにおける閉塞感の増大
- リリパットとブロブディンナグでは、ガリバーが「見る」「見られる」関係が逆転する。
ブロブディンナグでは、ガリバーは、小さいがゆえに見られていることを強く意識せざるを得なくなる。
最初のうちは、見世物にされても心はめげずにいたが、だんだん疲れてきて心が折れてくる。
- 国王に対しても、自分のことを一生懸命話すが、だんだんと相手にされなくなる。
- 優しい娘グラムダルクリッチは、ガリバーを危険に晒すまいとガリバーから眼を離さないようにするが、それも鬱陶しい。
- ブロブディンナグ脱出
- 自らが入っていた箱を鷲にされわれることで脱出。つまり、脱出さえも自力ではできない。
- 巨人国の癖でずっと上ばかり見ていたので、奥さんと再会した時も跪いて上を見上げる。
第7回 空飛ぶ島ラピュタと洋上の島バルニバービの冒険―滑稽な島々の点描
- 第3篇
- 第3篇では、ガリバーは太平洋の島々をめぐる。他の篇と違って、いろいろな国に行く。
- 第3篇は、第4篇の後に書かれたと推定されている。
- ラピュタ
- ラピュタは空飛ぶ島で、バルニバービはラピュタに支配されている。
- ラピュタの語源は、古いスペイン語の la puta(娼婦)と言われている。アイルランド経済を破壊する娼婦であるイングランド、
イングランドをウィリアム3世という外国人に売った娼婦、といった解釈がなされている。
- 支配者たちは、数学、音楽、天文学、占星術を愛しており、すぐに瞑想に耽りだす。これは、アイザック・ニュートンを風刺したものらしい。
役に立たない数学などの思弁に耽ることを揶揄している。
- バルニバービ
- あるときバルニバービがラピュタに反乱を起こす。バルニバービが磁石を操ることによってラピュタを落とそうとした。
1724 年に起こったアイルランドのイングランドに対する反発を念頭に置いているようである。
- アカデミー・オブ・プロジェクターズ(企画アカデミー)を訪問する。ここでは、ラピュタの影響を受けて、役に立たないへんてこりんな研究ばかりしている。
- アカデミーの言葉を研究する部門では、言葉をなくす研究をしている。言葉の代わりに物で示すことを理想としていた。
しかし、「背中に大きな事物の束を背負って歩かなければならなくなるという不便がつきまとう」。
当時、王立協会では英語を簡単化して平明にするという事業が行われていた。
しかし、そんなことをされては風刺のような複雑なコミュニケーションができなくなるので、スウィフトは批判的だったのだと考えられる。
- ムノーディ卿というラピュタ支配に抵抗もせず旧来のやり方で生きている貴族も登場する。
アイルランドのお人好し気質を表しているのであろう。
第8回 魔術師の島グラブダブドリッブとラグナグ島の冒険
- 地理的記述の歪み
- 位置に関して、文章による記述と本の中の地図とが必ずしも一致していない。さらに、文中の位置の記述に整合性が無い。
- この歪みが意図的なのかどうかよくわからない。
- 魔術師の島グラブダブドリッブ
- 族長は死者を呼び出すことができる。
- そこで、ガリバーは過去の有名人たちと出会って、歴史の真実を知る。
- (1) 書かれている歴史書には嘘や無知がたくさんある。たとえば、アレキサンドロスは毒殺されたと言われているが、飲み過ぎで死んだのだった。
- (2) 原理と呼ばれているものは、実は流行に過ぎない。たとえば、デカルトの渦巻き説は破産する。
- (3) 人間社会は退化している。
- ラグナグ島
- 不死人間ストラルドブラグがいる。しかし、不死ではあっても不老ではない。老いれば、会話もままならない。
第9回 日本の冒険―『ガリバー旅行記』成立の謎に迫る
- ガリバーが日本にやって来る(江戸→長崎→アムステルダム)
- 1709 年 5 月末、イギリスに帰る途中で日本に寄る。
- 上陸する場所は Xamoschi で、これは下総のことだと言われている。しかし、観音崎かもしれない。
- 『ガリバー旅行記』と日本
- 平賀源内『風流志道軒伝』(1763年)、遊谷子『和荘兵衛』(1774年)、曲亭馬琴『夢窓兵衛胡蝶物語』(1810年) は、
『ガリバー旅行記』の影響を受けているのかもしれないと言われている。
- ウィリアム・A・エディは、逆に、『和荘兵衛』などには元の話があって、それがヨーロッパに流れて、
それをスウィフトが翻案して『ガリバー旅行記』になったのではないかという仮説を立てている。
- 家康の外交顧問となった William Adams は、イギリスでけっこう有名であった。つまり、イギリスは日本にけっこう関心を持っていた。
- 明代の『三才図会』や、それを寺島良安が翻案した『和漢三才図会』(1712年ころ)、あるいは「万国総図」(1671年)、「万国総界図」(1688年) などが
ヨーロッパに伝わって、それに触発されて『ガリバー旅行記』が書かれたのかもしれない。
- 『ガリバー旅行記』では、日本は少ししか描かれていない。なぜ、そんな中途半端なことになったのか?
『ガリバー旅行記』の発想の源が日本にあったとすれば、それが原因かもしれない。
第10回 馬のフウイヌムと醜悪なヤフーの島の冒険(一)―馬たちの<良識>
- 1710 年 9 月、ガリバーは身重の妻を残し再び航海に出る。海賊に襲われて、フウイヌムとヤフーの住む島に置き去りにされる。
- フウイヌムは馬で、ヤフーは人間によく似た動物である。
- 動物が出てくる風刺文学として、George Orwell の『動物農場』があるが、これは『ガリバー旅行記』から強い影響を受けていると言われている。
- フウイヌムには、権力も政府も戦争も法律もない。フウイヌム社会は理性的で良識がある。
ガリバーはフウイヌムに、構成員に良識があれば政府だの法律だのは要らないじゃないかと言われる。
- フウイヌム社会は、質素だし酒もない。悪人もいない。ガリバーは、だんだん人間社会よりもフウイヌム社会の方が良い社会だと思うようになってくる。
- しかし、フウイヌム社会にも問題があった。一見、理性的で理想的な社会だが、そうでもなかった。
- 馬社会は平等ではなかった。毛の色によって階級が分かれていた。
- ヤフーは外来種であった。これを全滅しようという議論があった。一方で、フウイヌムはヤフーを奴隷として使っていた。
- フウイヌム語には文字が無くて語彙が少なかった。
Cf. リリパットでは無駄な言葉が多く、ブロブディンナグでは言葉が簡潔だった。バルニバービでは、言葉を無くする研究が行われていた。
第11回 馬のフウイヌムと醜悪なヤフーの島の冒険(二)―ガリバーの陶酔と語りの揺らぎ
- ガリバーはフウイヌム社会でだんだん変わってくる。ガリバーは、人間社会の弱点に気付き、眼から鱗が落ちた思いがして、人間社会の悪を暴露することに陶酔感さえ抱いている。
- ガリバー旅行記には、しばしば糞尿の話が登場する。汚物の排出は、ここに出てくるガリバーの開放感覚につながっているのかもしれない。
- ガリバーは、高慢 Pride に対する激しい嫌悪感を最後に述べている。18 世紀では、pride を否定的にとらえる感覚があった。
ガリバーは自らの愚かさに気付かない人間を嫌っている。
- 第4篇のガリバーの叫びと、第1、2篇の面白い記述とは矛盾しているようでもある。しかし、それらを共存させるのは、ものごとを様々な角度から見るという姿勢だろう。
邪悪なるものが解消した社会への願いが込められている気がする。
第12回 『ガリバー旅行記』、その後―名作か問題作か、児童文学か大人の文学か
- 『ガリバー旅行記』の最初の出版は 1726 年。しかし、この最初の版には、出版社による改竄が入っていた。
これがかなり改善されたのが 1735 年のフォークナー版であり、現在でもこれが定本とされる。
しかし、これでもスウィフトの意向が反映されていないことがあった。
たとえば、バルニバービによるラピュタに対するリンダリーノの反乱は、当局による弾圧をおそれてスウィフト存命中は入れられなかった。
- 『ガリバー旅行記』は、刊行当初から多くの人に読まれた。しかし、その時代には、第3篇、第4篇は、スウィフト支持者からも比較的不評だった。
- 19 世紀になると、大人の文学としては忘れられるようになった。そして、児童文学として読まれるようになった。
- 20 世紀になって、『ガリバー旅行記』は再評価される。とくに、George Orwell は高く評価している。
- 原民樹は、原爆をヤフーになぞらえる詩を遺している。
- 『ガリバー旅行記』の評価は現代でもさまざまである。普通の近代小説のように、人生や人間社会の機微を表現しているわけではない。
人間の邪悪さを見せていても解決が見えないという作品である。
- 風刺によってさまざまな側面からものごとを捉えることができる。