岡倉天心 茶の本
大久保喬樹 著
NHK 100分de名著 2015 年 1 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2015/01/01(発売:2014/12/25)
電子書籍書店 honto で購入
読了:2015/02/14
「茶の本」は以前に読んだのだが、もう中身を忘れている。
で、「100 分で名著」で軽く復習したという次第。
天心は 50 歳で亡くなっている。自分の年齢が 50 歳に近づいてみると、天心の人生は短かったんだなあと思う。
「茶の本」は、天心が 43 歳の時に出版された本である。自分がその年齢を越えてみると、若さゆえの勢いがあるのだなあと思うと同時に
考察がどのくらい歴史的に正当化されるのかなあという疑問も生じる。たとえば、茶に道教の影響が見て取れることは確かであるにせよ、
それが史料によってどの程度裏付けられるのかといったようなことだ。たまたま天心の心が老荘に共感した時期だったということはないのだろうか。
放送テキストのサマリーと放送時のメモ
第1回 茶碗に満ちる人の心
第1回は、「茶の本」の背景と第1章の解説。
- 「茶の本」
- 原題は、The book of Tea で、アメリカでのボストン美術館での講演をまとめたもの。1906 年、ニューヨークで出版された。
日本文化を海外に紹介するための本である。
- 「茶の本」の構成
- 第1章「茶碗に満ちる人の心」
- 第2章「茶の流派」
- 第3章「道教と禅」
- 第4章「茶室」
- 第5章「芸術鑑賞」
- 第6章「花」
- 第7章「茶人たち」
- 岡倉天心の生涯
- 岡倉天心は 1862 年横浜生まれ。父親は生糸商人だった。子供の頃から英語の勉強をさせられる。東京大学に 14 歳で入学。フェノロサに師事する。
- 廃仏毀釈の中で仏像がなおざりにされていたことにショックを受ける。
- 当時は、日本文化がなおざりにされていた。そこで、1889 年、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を作り、日本画家の育成に努めた。
- やがて、天心は孤立していって東京美術学校の校長を退く。1904 年にボストン美術館の顧問になり、日本美術の収集に努めた。
- 1913 年、50 歳で死去。
- 天心の国際性
- 幼いころから外国文化に接していて、広い視点を持っていた。
- アジア全体の中で日本文化をとらえていた。
- 思想を世界に向けて発信した。
- 第1章「茶碗に満ちる人の心」
- 茶は、もともと薬だったのが、飲み物となった。それが、茶道へ高められた。日本の独自性は、喫茶を文化に高めたこと。
- 日本文化のいろいろな要素が茶道に詰まっている。料理、花、書道、人間関係などなど。日常の中に美がある。
- 混乱した世の中にあって、お茶でも飲もう。
- Let us dream of evanescence, and linger in the beautiful foolishness of things. ここで、
「the beautiful foolishness of things 美しくも愚かしいこと」=日常世界を超越した境地=愚(禅のことば)。
第2回 源泉としての老荘と禅
- 第2章「茶の流派」
- 茶は、団茶、抹茶、煎茶の3段階で変化してきた。
- 茶は中国ではもともと薬であった。
- 固形の茶を煮立てる団茶は唐の時代のものである。この時代に茶道の原点が生まれる。汎神論的象徴主義の影響を受けている。
- 宋代に抹茶が主流となる。この時代には道教の思想が広まり、中国の禅僧たちが作法を作っていった。
達磨像の前で一つの茶碗から抹茶を飲み回した。しかし、元の侵攻以降、中国では伝統が途絶えた。しかし、日本には宋の時代に茶道が伝わっていた。
- 清の時代に煎茶が広まった。茶は、日常的飲料にすぎなくなった。
- 茶の湯は日本において完成した。
- 第3章「道教と禅」
- 茶道の根本には老荘思想と禅がある。老荘思想は、自然の広がりに身をまかせるということ。禅は、仏教の一派である。
岡倉によれば、老荘は不完全性「虚」、禅は小さいものの偉大さを大事にする。
- 道教において、真理は相対的であり、常に変化する。
- 道教において、真に本質的なものは「虚」である。たとえば、水指において大事なのは、それが空間を持っているということである。
あるいは、等伯の絵で重要なのは、その余白である。余白があるからこそ、そこに想像力を働かせる可能性がある。
あるいは、柔道では、相手が向かってくる力を利用して背負い投げをする。空っぽだからできることである。
そういったものと同様、茶室は、その都度全部片付けて空っぽにする。空であるからこそいろいろな可能性がある。
- 禅においては、実在よりも観念の方が重視される。旗が風になびくとき、動いているものは風でも旗でもなく、心のうちのものだ、
と慧能は喝破したという。
- 禅では、日常生活そのものが修行である。些細なことも徹底して行う。この考え方が、茶道に生きている。
小さいものの中に無限の宇宙の真理がある。俳句の考えとも通底する。
第3回 琴には琴の歌を歌わせよ
- 第4章「茶室」
- 茶室は「すきや」とも言う。「すきや」には、以下の3つの意味がある。
- 「好き家」:個人的な美意識を含む家。したがって、一時的なかりそめのものでなければならない。
- 「空き家」:老荘の「虚」の思想を反映している。その上、装飾の要素はその時々で変化するので、空っぽでないといけない。
- 「数寄屋」:非対称の家。完全さではなく、完全を追求する過程を重視している。心の動きを反映している。
- 茶室の四畳半という広さは、「維摩経」の一説に由来する。維摩詰(ゆいまきつ)は、文殊菩薩と仏弟子たちをこの広さの部屋で迎えたとされる。
- 茶室においては、自然との融合が図られる。自然と接することで無心になる。
- 露地:客は露地で自然と触れる。
- 床の間:にじり口を入って、掛け軸や花を拝見。
- 釜:釜の底に置かれた鉄片が奏でる調べに自然を感じる。
- 第5章「芸術鑑賞」
- 主客一体が芸術である。芸術は、製作者と鑑賞者の共同作業で成り立つ。
- 琴の名手の伯牙の伝説が語られる。琴にまかせて歌うと、自然と一体となった音楽が流れた(自他一体)。
自己主張せずに、自然にまかせることが肝要で、人間と自然とが一体化する。
- 茶会もまた、客と主人との共同作業である。
第4回 花、そして茶人の死
今日は、建築家の隈研吾をゲストに迎える。
- 隈研吾
- 1985 年に『茶の本』に出会う。外国人に茶道を説明するのに使った。
- 自然に溶け込む建築を目指している。「負ける建築」
- 隈氏の建築の例:栃木県の那珂川町馬頭広重美術館、宮城県登米の森舞台、マルセイユの現代美術センター
- 第6章「花」
- 華道には、形式主義派、自然主義派、自然派の3つがある。茶道における花は、自然派である。
- 茶人は、花を選んだら、あとは花が花自身が物語を語るのに任せる。できるだけ自然に飾る。
- 第7章「茶人たち」
- 千利休は、切腹の前に茶会を開く。道具を形見として客に分けたものの、茶碗だけは粉々に打ち割った。
「この茶碗は、不幸な運命(さだめ)を負わされた者によって汚されたからには、二度と人が用いることになってはならない」
- 花が散るように、死によって自然に還ってゆく。「さようなら、春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです。」
- 現代に通じる天心の思想
- 天心の思想は、平和主義、自然との共生という点で現代に通じる。