短いものになっているので、小説を思い出しながら読んでいるとだいぶん軽くなったなあという感じがする。 それに、もともとラスコーリニコフの心の動きを内側から丁寧に追っている小説なので、 外側から描かないといけない漫画だと心の深刻さがいまひとつ伝わらない。 しかし、小説と離して考えてみると、全く違うことを描こうとしていることに気付く。 短いし漫画で子供向けにしたので、単純な物語にしたのだと思う。 つまり、自分を英雄だと思って不遜なことをすると結局転落するよという教訓話にしてしまったのだ。
それがよくわかるのは、エンディングである。エンディングは、元とはだいぶん変えてある。 小説では謎めいた存在であったスヴィドリガイロフは、手塚版では革命の闘士ということになっている。 ラスコーリニコフは、スヴィドリガイロフが起こす暴動の中で罪を告白するのだが、周りの人は誰もそれに気付かない。 そして、最後の絵では、ラスコーリニコフは見捨てられた敗残者になっている。 つまり、ラスコーリニコフの心を受け止める人が誰もいないということである。 原作では、最後にソーニャが全面的に受け止めるわけだけど、手塚版にはそれがない。 それ以外にも、ポルフィーリーやラズミーヒンなどもある程度受け止めてくれる人たちである。 ラスコーリニコフを内側から描くと、葛藤と救済の物語になるのだが、 外側から描いてあるので、はなから救済など考えておらず、最初から最後までこれは転落物語なのだ。 最初の高利貸しの老婆を殺す決心もあまり葛藤が無く単純である。 つまり、単純に思い上がって悪いことをしたので、最後は見捨てられた、という話になっている。
暴動のドタバタもスヴィドリガイロフの転落を暗示しているのであろうし、それはとりもなおさず、 当時盛んだった学生運動の転落も予見しているのだと見える。それは、ラスコーリニコフの最後の方の次の台詞が暗示していると思う。
ぼくのように自分を英雄だと思ってるやつが何人もいるんだ。スビドリガイロフもそのひとりだ…… だれもかれも英雄と思いこんで勝手なことをやってるんだ