オリエント急行の殺人(オリエント急行殺人事件)

著者Agatha Christie
訳者蕗沢忠枝
シリーズ新潮文庫 赤 135 E
発行所新潮社
刊行1960/08/20、刷:1980/01/30(第23刷)
原題Murder on the Orient Express (UK 版), Murder in the Calais Coach (US 版)
原著刊行1934
入手古本を買ったか、廃棄してあったものを拾ったか覚えていない
読了2016/01/03

この物語は過去に何度か読んでいるが、 昨日 (2016/01/02)、三谷幸喜がテレビドラマ化したもの(昨年度の再放送)を途中から見てしまったので、原作をざっと読み直してみた。テレビドラマは、原作を昭和初期の日本に置き換えて翻案したもので、第一夜はほぼ原作通りだが、第二夜は改めて犯人側の視点で起こったことを最初から語り直すという三谷オリジナルであった。気づいたことを四つ。

(1) 原作は、シリアのアレッポを出発点にしている。昨今のシリアの戦乱の原点がフランスによるシリア植民地化であったことを思い出させる。シリアやトルコが出てきても、シリア人やトルコ人が出てこないところが、西欧中心主義である。

(2) テレビドラマでは、舞台を日本にするにあたって、人名を全部日本風にしてある。似たような音で選んでいる名前がほとんどだが、エルキュール・ポワロは、勝呂武尊(すぐろたける)となっていて、下の名前の方は意味でつけてある。すなわち、エルキュール Hercule はヘラクレスだから、日本神話上の人物であるヤマトタケルノミコト(日本武尊)に変えたのだろう。勝呂の方は音でつけたのだろうか。少なくとも「ロ」の音は共通である。あとは、すぐ自慢する性格を「勝」の字で表したのかもしれない。一方で、元の名前の Poirot の方は、フランス語だとpoids(重さ)、rond(丸い)、poule(雌鶏)などと音が通じるから丸い卵のように太ったイメージが出ているように思う。しかし、テレビドラマ版は痩せ型の野村萬斎が演じているから、太ったイメージの名前は付けられない。

(3) 現代的に言えば、このような敵(かたき)討ちは正義とはいえないわけだが、三谷版では、殺される藤堂(原作ではラチェット)の悪人ぶりを強調することで、あんまりそういう問題に目が向かないようにしてある。一方、最近の Suchet 主演版では、ポワロは最後まで悩むという演出にしてある。これに関して思うのは、死刑廃止の動きとの関連である。死刑廃止の国では敵討ちは是認できないということになるはずだが、死刑容認の国では敵討ちも容認ということになっておかしくはない。ただし、 三谷版では、原作通り敵討ちを比較的あっさり是認しているものの、キリスト教徒の呉田その子と勝呂との会話においては、いかなる殺人も許されないというようなセリフを用いている。とはいえ、これは呉田の自白を引き出すために用いられているようでもあった。

(4) テレビドラマ第二夜は敵討ち物語だから、ドラマの中でも言われている通り、忠臣蔵のようなものである。ただし、お正月番組なので悲愴感は無く、むしろ軽いノリになっている。テレビドラマで、忠臣蔵に関連して付けたと思われる名前に、 (a) 高田馬場(忠臣蔵では堀部安兵衛の高田馬場の決闘がある)に関連して付けられたと思われる家庭教師の馬場舞子(原作ではメアリー・デベナム)、 (b) 探偵の羽佐間(はざま)才助(原作ではサイラス・ハードマン、忠臣蔵では間(はざま)十次郎)、 などがあった。