ソラリス

著者Stanisław Lem
訳者沼野 充義
シリーズハヤカワ文庫 7529、SF2000、SF レ 1 12
発行所早川書房
刊行2015/04/15、刷:2017/11/15(5刷)
文庫の元になった単行本2004/09 国書刊行会刊
原題Solaris
原著刊行1961
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読了2017/12/31

スタニスワフ・レム ソラリス

著者沼野 充義
シリーズNHK 100分de名著 2017 年 12 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2017/12/01(発売:2017/11/25)
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2017/12/26

Solaris

「100分de名著」の放送で『ソラリス』のことを初めて知り(タイトルくらいは知っていたが中身は全然知らなかった)、ちゃんと小説も読んでみようと思った。 そんなに暇なわけでもないのだが、胃腸風邪で寝込んで仕事をする気にもならないときにだいぶん読み進んでしまい、さらに年末で読み終わった。で、実際に名著と呼ぶにふさわしい小説であることがわかった。 沼野氏の翻訳は、以下で少しいちゃもんをつけてはみたものの、全体的には読みやすく正確である(Kindle版英訳を参照してみるとだいたいわかる)。 ポーランド語からの翻訳だそうである。

小説は、重層的ですこぶる厚みのあるものである。だから、いろいろな読み方ができる。 とくに、自分の脳の中で考えたことが実体化されるという状況が作り出されているので、自分への問いがいたるところで投げかけられる。さらに、理解不能な海の存在は、人間の知性や思考の限界に関する問いを生む。 すぐれたSFとかSF的設定の小説は、人間に関する哲学的問いを提示する。 それは、たとえば、安部公房の「他人の顔」などにも見出すことができる。

「100分de名著」の放送では、小説の中の感情的な側面とか主人公ケルヴィンと幽体ハリーの関係に重点をおいている。それは下の「「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー」で見てゆくことにして、以下ではそれとは別の側面を考察していきたい。

惑星ソラリスの運動

ソラリスは連星の周囲を回る惑星である。そのような惑星は軌道が不安定なはずだが、どうやら「ソラリスの海」が能動的に軌道を安定化しているらしいという話が出てくる。 (「ソラリス学者たち」の章)

一方、最近発見された多くの系外惑星の中にも連星の周囲を回っているものもあることが知られている(e.g. 日経サイエンス 2014 年 5 月号「2つの太陽を持つ世界」)。最初に見つかったのが Kepler 16b とよばれる系外惑星である。 連星の周りの惑星の軌道は確かに不安定なことが多いのだが、そうでないものもあるということのようだ。

『小アポクリファ』

『小アポクリファ』はソラリスに関する本の一つで(名前は「客」の章で出てくる)、一つの章の名前にもなっている。 Apocrypha とはギリシャ語の「隠されたもの」に由来し、キリスト教文書では「外典」と訳される。 正典に入らない文書のことだ。

で、ソラリスの『小アポクリファ』は、ソラリスに関する珍説奇説の類を集めたものなのだが、この中のベルトンの報告に 実は重要な真実が含まれていたという話になっている。

ニュートリノ

主人公のケルヴィンは、幽体ハリーの血を調べて、幽体Fはニュートリノでできているのではないかと推測する(「会議」の章、沼野訳 pp.189-190)。なぜ、レムはそんなことを考えたのだろうか?

ニュートリノといえば、ニュートリノの研究で 2002 年と 2015 年に日本人がノーベル物理学賞を受賞したということが記憶に新しい。 ところで、1995 年には Frederick Reines がニュートリノを初めて検出したということでノーベル物理学賞を受賞している。 この研究の論文が出たのが 1956 年であった。 Reines は Clyde Cowan とともに 1953 年から実験を始め、1956 年にニュートリノの検出に成功した。 というわけで、『ソラリス』が書かれた 1961 年には、ニュートリノは発見されたばかりの新素粒子だったのである。 それがレムが幽体の素材として採用した理由だと思える。

普通に考えると、ニュートリノで形のあるものを作るのはかなり無茶苦茶なので、 レムもケルヴィンに「ひょっとしたら、何らかの力場がそれを安定させているのかもしれない。」と言い訳させている。

参考 web pages :

「長物(ながもの)」の描写

『ソラリス』の特徴のひとつは、粘り強く重層的な描写にある。その描写がわかりづらい部分があったので、英訳を元に翻訳をチェックしていく。沼野訳はポーランド語原文からの翻訳なので、その適否は私にはチェックできないが、英訳から私が訳してみたものと比較してみる。 沼野氏の翻訳は全体的にはわかりやすいのだが、科学用語が入っている(と英訳から推定される)部分に関してはやや疑問がある。 ここで見て行くのは、「怪物たち」の章の「長物(ながもの)」(英訳では extensor)の描写である。

ここで参照した英訳は、Bill Johnston 訳の Kindle 版である。

(1) 沼野訳 pp.207-208

[沼野訳] 彼の著作の初版を苦労して読み進んだ者なら知っているとおり、最初のうち彼は地球中心主義に鼓吹されて、それをまさに「上げ潮」と呼んでいたのである。彼は他になすすべを知らなかったからしかたないが、そうでなければこういった地球中心主義は滑稽なものでしかないだろう。というのも―地球にそれでもあえて似たものを捜すならば―これはコロラドのグランド・キャニオンをはるかに上回る規模の形成物であり、それを形作っている素材は海面上では、泡だったゼリーのような粘稠性を持っていた(しかもこの泡は凝固して、すぐに粉々になる巨大な花綱、巨大な網目のあいたレースのようなものになり、何人かの研究者の目には、「骸骨と化した瘤」のように映った)。
[英訳] Besides, anyone who's immersed himself in the first edition of the work knows that he originally named them precisely "tides" led by a geocentrism that would be amusing if it weren't for his helplesness. For -- if comparisons with Earth really do have to be employed -- these are formations larger in magnitude than Colorado's Grand Canyon, modeled in a substance that on the outside has the consistency of jelly and foam (though the foam hardens into vast, brittle garlands, into tracery with immense holes, while some scientists have seen it as "skeletal excrescences").
[英訳からの私訳] 彼の著作の初版を読みふけったものなら知っている通り、最初のうち彼はそれのことをまさに「潮汐」と呼んでいた。 こんな地球中心主義は、彼にはそれ以外に呼びようがなかったのだと知らなかったら、滑稽なものだろう。 というのも、あえて地球と比べないといけないなら、これはコロラドのグランドキャニオンよりも大きな構造だからだ。 それを形作っている物質の表面は、外から見るとゼリーかムースのように均質でなめらかだった(しかし、このムースは固まって、ゴシック建築の窓飾りのように穴の開いた脆い巨大な花綱となるのだった。研究者の中には「骨組み状の突起物」と呼ぶ者もいた)。

英訳が適切なら、tides は「潮汐」と訳してほしいし、foam は「ムース」などと訳してほしい。「泡」には bubble と foam があるのだが、通常「泡」と言われると bubbles を想定するので、foam には別の訳語を当ててほしいのである。

(2) 沼野訳 p.209

[沼野訳] そこには同心円状の循環があり、その中では黒っぽい流れが交差し、上部の「マント」がときおり空と雲の姿を映し出す鏡のような表面となる。ただし、半液体状の中心がガスと混ざって噴出し、爆発のどよめきを響かせるとき、この「マント」には穴があいてしまう。次第にわかってくるのは、そのすぐ下に様々な力の作用の中心があるということだ。そこに働いている力は、左右に押し開かれ空の下に引き上げられた、ゆっくり結晶化するゼリーの斜面を支えているのだろう。
[英訳] They possess their own concentric rotations, darker streams intersect, and at times the outer mantle becomes a mirrored surface reflecting clouds and sky and shot throught with loud explosive eruptions of its half-fluid, half-gaseous center. It slowly becomes clear that right below you is the central point of the forces holding up the parted sides that soar high into the sky and are composed of sluggishly crystalizing jelly;
[英訳からの私訳] そこには同心円状の循環があり、暗く見える流れの線が交差していた。 ときおり、外側のマントル表面が鏡面のように雲と空の姿を反射したかと思うと、その鏡面を破って中心部の気液混合体が大音響とともに爆発的に吹き出すのだった。 だんだん眼下の景色がはっきりしてくると、中心点から力が働いて、側面の部分が空高く噴き上げられている様子がわかってくる。 噴き上げたものはネバネバしたゼリー状のもので、徐々に固まっていった。

英訳が適切なら、mantle は「マントル」と訳してほしいし、「ゼリーの斜面を支え」ではイメージが沸かない。爆発してネバネバしたものがゆっくり飛び散っていくようなイメージを英語からは受ける。

胡蝶の夢

ケルヴィンの夢の中に死んだはずのギバリャンが出てくる。夢なのか幽体なのかもよくわからず、したがって、「胡蝶の夢」の現代版みたいな会話が交わされる。

「あんたはギバリャンじゃない」
「おやまあ。じゃ、誰なんだね?ひょっとしたらきみの夢なのかな?」
「いや、夢の操り人形ですよ。でも自分ではそのことがわかっていない」
「じゃあ、きみには自分が何者なのか、どうしてわかるんだね!」
この言葉に私は考え込まされた。
[「液体酸素」の章、沼野訳 pp.249-250]

荘子の「胡蝶の夢」の方はこうである。

昔者(むかし)、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。 自ら喩(たのし)みて志(こころ)に適うかな。周なることを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。 知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るかを。 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此れを之れ物化と謂う。

『ソラリス』の方は、脳の中のイメージが実際に実体と化すという状況設定なので、より深刻に夢と現の境が分からなくなってしまっている。

幽体ハリーの人格

「液体酸素」の章では、幽体ハリーは、はっきり独自の人格を持っていることが表現されている。しかし、元の人間ハリーにそっくりに作られていれば、人格もできてしまうものだろうか?とくに問題になると思うのは、幽体ハリーには過去の記憶があまりないという点である。記憶の蓄積がなくても人格ができるのかどうかは、人格というものの本質に関わるように思える。

幽体ハリーには自由意志もあるようである。自由意志というものが本当にあるかどうかは昔から哲学的にも問題だけど、少なくともそれらしく見えるものが発生する条件は興味深い。どの程度まで人間の脳に似たものができれば、自由意志らしきものが現れるのだろうか?

脳電図照射実験

主人公ケルヴィンの脳電図をソラリスの海に照射するという実験が行われる。それがどんな効果を及ぼすかは全く予想不能である。 その中で、ケルヴィンは否応なく人は自分自身の思考をよくわかっていないという事実に向き合わざるを得なくなる。 そこで、以下の痛ましい独白が出てくる。 人は自分自身に正面から向き合うと、いろいろな思いが交錯してぐちゃぐちゃになることが痛々しく突き刺さる。

もし彼女が消えてしまったら、私がそれを望んでいたということを意味するのだろう。つまり私が殺したということだ。 サルトリウスのところに行くのは止めようか?あの二人だって強制はできまい。でも彼らに何と言おうか?このことは―だめだ。 言えない。そうだ、演技をする必要がある、嘘をつく必要があるんだ。いつも、これから先ずっと。 でもそれは、自分の中にはひょっとしたら、残酷なもの、素晴らしいもの、殺人的なものなど、様々な考えや、意図や、希望があるのに、 自分でもそれについて何も知らないからなのだ。人間は他の世界、他の文明と出会うために出かけて行ったくせに、 自分自身のことも完全には知らないのだ。自分の裏道も、袋小路も、井戸も、封鎖された暗い扉も。 彼らに彼女を引き渡すなんて……恥ずかしさゆえに?自分に勇気が足りなかったばかりに、引き渡すというのか?
[「会話」の章、沼野訳 pp.297]

向き合う決意

物語の最後は、これからも主人公が理解不能な他者であるソラリスの海と向かい合い続けるという期待で終わる。ソラリスの海は、理解できないだけでなく、結果的に自分自身や人間に関する痛ましい考察を投げつけてくることになる。それでもなおなのか、それだからこそなのか、主人公のケルヴィンはソラリスから立ち去らないという決意を述べる。これに対応して、その前の章の最後では、スナウトも立ち去らない決意を述べていた。

「まさかステーションに残るつもりじゃないだろうね……?」
「残るつもりなのさ。そうなんだ」
[「成功」の章、沼野訳 p.367]
しかし、ここから立ち去ることは、未来が秘めている可能性を―たとえその可能性がはかなく、想像の中にしか存在しないものであっても―抹消してしまうことを意味した。
(中略)
私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか?何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。
[「古いミモイド」の章、沼野訳 p.387]

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 未知なるものとのコンタクト

スタニスワフ・レムの人生
1921 年、ポーランドのユダヤ人家庭に生まれる。
レムが生まれたルヴフは、最初ポーランド領だったが、その後、ナチスドイツに占領され、さらにソ連領になり、現在ではウクライナ領。
第二次大戦後、ソ連に占領されたルヴフからクラクフに移住。
レムは、このように、突然社会体制や人間関係や価値観が変わってしまうという事態を体験した。これが懐疑的・相対主義的な眼差しにつながっている。
1951 年、『金星応答なし』を書いて評判を取ったのをきっかけに、専業作家になる。
1961 年、『ソラリス』発表。地球外生命とのファースト・コンタクトという定番のテーマではあるが、形而上学的な問題をも扱っている。 重層的な読み方ができる小説である。
冒頭から「お客さん」の登場まで
ソラリスは遠い惑星で、2つの太陽の周りを回っている。ゼリー状の海があり、これがどうやら何かの生命体らしい。
主人公の心理学者クリス・ケルヴィンは、ソラリスの観測ステーションに赴く。
すると、ステーションは荒れ果てていた。何かが起きていた。
ステーションにいるはずなのは、スナウト、ギバリャン、サルトリウスの3人。ところが、ギバリャンはどこにもいない、スナウトは怯えた様子、サルトリウスは実験室から出てこない。ギバリャンは自殺したらしい。
ステーションには、いるはずのない黒人女性がいるようだ。サルトリウスの部屋には子供がいるようだ。彼らは「お客さん」と呼ばれている。
クリスが眠って起きてみると、かつての恋人ハリーのような女性がいた。ハリーは、クリスとの喧嘩の後、自殺していた。
「お客さん」は記憶を実体化したようなもの。
レムの思想
人間の理性の限界を見定めようとする眼差し
絶対的なイデオロギーに対する懐疑と相対主義的な見方
ソラリスの海=人間に理解できない絶対的な他者

第2回 心の奥底にうごめくもの

トラウマと「お客さん」
『ソラリス』は封印したい記憶が呼び起こされる物語。
クリスはかつての恋人ハリーに会う。ハリーには注射針の痕があった。それはハリーが自殺に使った注射の痕だった。
「お客さん」=幽体F(Fantom)=人間の潜在的な記憶を実体化したもの
ハリーの着物にはボタンがなかった。クリスは男だから服装の細かいところを憶えていないのかもしれない。
ハリーは、なぜかクリスと離れられないらしい。
クリスは、ハリーが本物ではないと確信して、幽体ハリーをロケットに押し込めて放り出した。
本物のハリーは、クリスと喧嘩をして自殺していた。
恐ろしい想念
スナウト「一番恐ろしいのはじつは‥‥起こらなかったことだ。」
一瞬頭の中で思い描いた恐ろしいことが肉体を持って現れる。
「他者」との遭遇
ギバリャンが海に放射線を照射してから、「お客さん」が現れるようになった。このことは、海とのコンタクトらしい。
人間が会いたいのは「自分自身の理想化された姿」。
ここソラリスでは、「他者」と会おうとしたのに、心の底の触れたくないことが突きつけられた。
ソラリスの海が何を考えているのかはわからない。それは絶対的な他者であった。
幽体Fを消すアイディア
サルトリウスは、幽体Fを消す2つの方法を考えた。(1)幽体がニュートリノでできているのなら、それを成り立たせている力の場を壊す。(2)X線を使って人間の思考を再び海に送り込む。
クリスは、ニュートリノ壊滅装置には反対する。幽体ハリーを愛し始めていたのかもしれないし、ホロコーストを思わせるので嫌ったのかもしれない。

第3回 人間とは何か 自己とは何か

幽体Fとしてのハリー
幽体Fは、思い出したくないような記憶を実体化したもの。
クリスは、幽体ハリーに対して感じる恐ろしさと懐かしさに引き裂かれる。
幽体ハリーは、ギバリャンの録音を聴いて、自分が人間ではないことを理解する。
ハリーはミモイド(擬態形成体)ではないか。ミモイドは不死身。
ハリーには元のハリーとは違う自意識が芽生え始める。
クリスも幽体ハリーを愛し始める。
「ねえ……」と、彼女は言った。「もう一つ聞きたいことがあるの。わたし……そのひとに……とても似ているの?」
「前はとても似ていた」と、私が言った。「でもいまではもう、わからない。」
「どういうこと……?」
彼女は床から立ち上がり、大きな目で私を見つめた。
「きみにさえぎられて、もう彼女の姿が見えなくなってしまった」
「それで、あなたは自信を持って言えるの、そのひとじゃなくて、わたしを、わたしだけを……?」
[以上、「液体酸素」の章より]
幽体Fとは何か?
クリスは、ハリーの血液を調べてみて、ニュートリノでできているのではないかと考える。
サルトリウスは、ニュートリノ壊滅装置を提案するが、クリスは反対する。
ハリーは、自分がクリスを苦しめているのではないかと思い、液体酸素で自殺しようとするが、やがて蘇る。本当の人間のハリーは、喧嘩の結果、自己主張のために自殺したのだが、幽体ハリーは、自己犠牲のために自殺しようとしたのだ。
幽体ハリーは、自分が何かを自問する。「人間とは何か」という問いを幽体が発している。
クリスの愛
クリスは、幽体ハリーと一緒に暮らしていくことを望む。
クリスは、スナウトにハリーと一緒に出て行くと言う。
スナウトは冷静に応答する。
実験
科学者は、クリスが目覚めている時の脳電図を照射することを計画する。
クリスは、自分の心にひそかにハリーを疎んじる気持ちがあるのではないかと怖れる。

第4回 不完全な神々のたわむれ

放送では、ゲストに瀬名秀明を迎えてのお話。

人間のようなもの「ハリー」
瀬名「『ソラリス』は、人間とそうでないものとの違いの問題を扱っているという点で現代的。」
ロボットには以下の3つの種類がある:①役に立つロボット、②コミュニケーションロボット、③人間理解のためのロボット
瀬名「ハリーは③のタイプに似ている。人間と似ているが少し違うという違和感がある。」
脳電図照射実験
目覚めているときのクリスの脳電図をソラリスの海に照射してみた。
その後十五日して海に変化が現れ、そののち、新たな幽体が現れなくなった。
瀬名「コミュニケーションとは何か?知能とは何か?が問いかけられている。」
ハリーの死
クリスとハリーは束の間の幸せの時を過ごす。
ハリーはもの思いにふけっていることが多くなった。
ある日、ハリーはスナウトとサルトリウスに頼んでニュートリノ壊滅装置の実験台になり、自らを消滅させた。
ソラリスの海
クリスは、海を憎みさえする。スナウトは冷静で、海は愛憎の対象ではないと言う。
クリスは、「欠陥を持った神」という考えに至る。海は、神になりかけてなりそこなったもの。
沼野「海は「神様の赤ん坊」のようなもの。それに人間は翻弄される。」
クリスは、一人で海の上をヘリコプターに乗って飛び、ミモイドの上に降り立った。すると、そこは古代都市の廃墟のようだった。
物語の終わり
残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。
クリスは、地球に帰ったのかどうかわからない。
沼野「タルコフスキーの映画版は、懐かしさで終わる。クリスは故郷に回帰する。実はこれもミモイドだった。しかし、レムは、これが気に入らなかった。」
瀬名「レムは違和感を最後まで持続させるのだが、タルコフスキーは懐かしさでそれを遮断してしまった。それがレムには気に入らなかったのだろう。」
『ソラリス』の現代性
瀬名「克服できない違和感を持ち続けるのが勇気。」
沼野「異質な他者と向き合うという問題が現代社会にもつながる。」