河合隼雄スペシャル

著者河合 俊雄
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 7 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/07/01(発売:2018/07/25)
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読了2018/08/14

これまで河合隼雄の書いた本を1,2冊読んだことがあるのだが、 あんまり腑に落ちた覚えが無い。今度は、そのご子息による解説だけれども、やっぱり何か違う感じがすることは否めない。 無意識が問題になっているので、何が正しいのかはもちろんなかなかわかるものではない。 私は、心理療法家のようにいろいろな人の悩みを聞いたわけではないから、必然的に自分の心に問うてみるわけだが、 自分の心の動きに合っている感じがしない。

でも、第4回になるとだいぶんわかる感じがしてきた。ということは、やっぱりユング心理学は少なくとも日本人には合わないということではないだろうか。 河合自身も結局ユング心理学を学んで日本に広めてはみたものの、結局これは違うと思って仏教に近づいたということのようだ。 第3回の話までは、図式化に硬直したものが感じられるのに対して、第4回の世界になってユング派の図式から脱してきたなと感じる。 もっとも、河合が惹かれたという華厳経はもともと中央アジアのものなので、これを東洋というのかどうかは疑問ではある。 単に仏教の中に普遍的な真実の一端が表現されているということだと思う。 いずれにせよ、心の問題はユングの図式だけでは、どこかうまくいかないところが出るということだろう。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 こころの問題に寄りそう

第1、2回は『ユング心理学入門』を繙く。

河合隼雄プロフィール
1928年、兵庫県の歯科医の家に生まれる。数学者を目指す。
数学教員になる。生徒と接することから心理学を学ぶようになる。アメリカ、スイスに留学。ユング心理学を学ぶ。
しかし、ユング心理学を日本人に直接応用しようとするとうまくいかないので、日本と日本人の研究も始める。箱庭療法を始める。
ユング心理学
心理療法家は、心の医者。
心理療法においては、相談者の悩みに寄り添って、高次の平衡に至るのが目標。
宗教や哲学のような普遍性ではなく、相談者の個別性が重要。
心理療法において、相談者は自分の物語を見出す。
心理療法家は、相談者のwhyに付き合いながら、エッセンスを探ってゆく。
タイプ論
外向型の人と内向型の人がいる。
外向型(内向型)の人も無意識にはそれを補償する内向型(外向型)の面がある。
人間には、「思考」「感情」「感覚」「直観」の4つの心理機能がある。思考と感情、感覚と直観はそれぞれ対立関係にあり、 思考と感情は「合理機能」、感覚と直観は「非合理機能」。
ユングは、4つの心理機能と外向・内向を掛け合わせて、人の心的傾向を8つに分類した。
4つの心理機能にも相補性がある。強く現れているものが主機能で、その反対が劣等機能、残りの2つが補助機能。 無意識の中に沈んでいる機能を発展させることも重要。
コンプレックス
ユングの「コンプレックス」は、劣等感ではない。
コンプレックスは、無意識内に存在してなんらかの感情によって結ばれている心的内容の集まり、と定義される。
ユングは、言語連想実験の反応を引き起こすような複合的要因をコンプレックスと名付けた。
コンプレックスは、心の引っかかり。
コンプレックスが強くなると、自我の統合が脅かされる。ひどい場合は二重人格になる。しかし、現代ではSNSで他の人格になることもできて、それほど抑圧は強くなくなっている。
投影=コンプレックスに対する防衛=自分のコンプレックスを他人に押し付けることで、自我を防衛。

第2回 人間の根源とイメージ

無意識
ユングは、意識、個人的無意識、普遍的無意識の3つの階層を考えた。
不登校の生徒が肉の渦の夢を見た。河合はこの肉の渦を全人類に共通のグレートマザーのイメージと結び付けた。 生徒は、家で甘やかされるのが嫌だと語り、そこから治療が展開していった。
ユングは、普遍的無意識に存在するイメージを「元型」と呼んだ。
元型の一つに「影」がある。自分の影と向き合うことも大切。普遍的な影の例には、ナチスによるユダヤ人排斥がある。
イメージ
プレイセラピー(遊戯療法):知的障害のある子供が、クマのぬいぐるみに結んだ紐を解くという遊びをした。 遊びの中に、紐を解くという「イメージ」が表現されている。この子はやがて外の人と接触できるようになってゆく。
ある女性は、幽霊協会からの電話という夢を見た。彼女は、感情を表に出さない合理的な人物だった。感情の抑圧があると分析される。
フロイト派が夢を抑圧された願望の充足ととらえるのに対して、ユング派では夢を心の現実であるととらえる。
異性像
人は自分とは異なる異性像を持つ。男なら女性像アニマ、女なら男性像アニムスを持っている。
人が外に見せる姿であるペルソナ(仮面)と対照的な異性像が、アニマ・アニムス。
ユングによれば、アニマには4つの段階がある。生物学的な段階、ロマンチックな段階、霊的な段階、叡智の段階である。
ユング夫人は、アニムスの発展段階として、力、行為、言葉、意味の4つを示した。

第3回 昔話と神話の深層

『昔話と日本人の心』『神話と日本人の心』を繙く。

日本人の心
河合は、日本人の心には西洋でできたユング心理学が直接応用できないことに気付いた。そこで、日本の昔話や神話の研究を始めた。
「うぐいすの里」
河合は、まず「うぐいすの里」という昔話を取り上げる。
若い木樵が広い館を見つける。そこに女性がいて、留守番を頼まれる。男は、覗くなと言われた座敷を見てしまう。その座敷は美しかった。男はそこにあった3つの卵を割ってしまう。戻ってきた女は、それは3人の娘だったと言って嘆き、うぐいすとなって去る。
河合はこれを西洋の「青ひげ」と比べる。女性が覗いてはいけないと言われた部屋を覗くと死体の山があった。それは青ひげの先妻たちだった。女性は兄に助けられ、やがて立派な男と結婚する。
ユング心理学は、結婚を人格の完成を表すイメージだと捉えていた。このイメージだと、日本の物語は人格の完成に至らないことになる。
河合は、日本の物語を、「無」が生まれたと解釈した。「あわれ」という感情で物語が完成している。
河合は、小さい頃は、グリム童話が好きで、日本の昔話にむしろ違和感を感じていた。
西洋の物語は男性が中心。日本の物語は女性を中心に見てゆくとわかりやすい。
三者構造
日本の物語では、「祖父−母親–息子」という構造がよく出てくる。
これに対し、キリスト教の三位一体は「父−子−聖霊」で、女性が入っていない。
「炭焼長者」
長者の娘が別の長者の息子と結婚した。あるとき、女性が夫に麦飯を出すと、夫はこんなものは食えないと言った。それで女は家を出て行った。女は倉の神様が「炭焼五郎」を褒めるのを聞いて、その男の小屋に行き夫婦になる。二人は長者になり、元の夫は貧乏になった。元の夫は自らを恥じて自害した。
河合は、女が受動から能動に転換したことに感動した。
倉の神様は、無意識からの知恵。
古事記における隠された神々
古事記には無為の神がいる。三柱の兄弟神の一人がそうなっている。たとえば、ツクヨミ(アメテラス、スサノオと兄弟)、アメノミナカヌシ(タカミムスヒ、カミムスヒと合わせて一組)、ホスセリ(ホデリ、ホヲリと兄弟)。河合はこれを中空構造と名付けた。
中心が空になっていることによって対立構造が溶けてしまう。そうして全体のバランスが取れ、調和的な全体性を形成している。
これと対照的なのは、一神教の世界。

第4回 「私」とは何か

『ユング心理学と仏教』を繙く。

個性化と自己実現
このユング心理学の概念が日本人においてどのように応用されるか?
河合は仏教の教えに答えを見出す。
牧牛図
禅の修行の過程を十枚の図で描いたもの。
若者と牛が登場する。河合の分析では、若者は描き手の自我、牛は真の自己を表している。
若者は牛を探し、捕らえるが、やがて牛の赴くままに導かれるようになる。ここで自我と自己が統一される。この先に、牛と若者が消える。これは「絶対無」だと河合は解釈する。これは、すべてが溶け合った状態である。その後は、美しい景色が現れ、消えた若者は老人とともに再登場する。これは、真の自己を二つに分けたものだと河合は言う。これは一枚目の図と繋がり、無限のループができる。
仏教においては初めも終わりもない。すべてはすべてのままで、全体としては不変。
これに対して、西洋の「賢者の薔薇園」では、男女の結合とその昇華が主題となり、進行も直線的。
今昔物語より
薬湯の出る温泉のある村で、村人が夢を見て、明日武士の姿で観音様が来るという。すると、この夢の通りの武士が来る。武士は、村の人の言うことを聞いて、出家する。
河合は、これを自他が融合している状態だと見る。現実と夢の区別もない。
華厳経と個性
あらゆるものはつながり合っていると説く。自性(じしょう)などというものはない。「私」は周囲との関係性の中で成立している。
華厳経によれば、私の個性はない。人々の違いが出るのは、有力な要素と無力な要素が出てくるため。
西洋的な個性化は、自らの努力で形成するもの。一方、日本の場合は、個性は発見するもの。
千の風になって
セラピストとクライアントの関係は「非個人的な」関係。執着しない。