マルクス・アウレリウス 自省録

著者岸見 一郎
シリーズNHK 100分de名著 2019 年 4 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2019/04/01(発売:2019/03/25)
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読了2019/05/03

哲人皇帝の著書など今まで全く知らなかった。皇帝という地位にありながら、紹介されている言葉は、 きわめて謙虚で内省的であるということが、胸を打つ。ストア派の哲人ということでまさにストイックなのである。

謙虚な人の人生訓は、胸に響く。これがまさにそうである。まったく方向性は違うけれども 『歎異抄』を読んだときもそう思った。 ひとつひとつの文というよりも、その言葉から想像される態度が心を打つのである。 「善い」生き方とされるものは、昔から今まで、あるいは洋の東西を問わず、そんなに違わないのだということがわかる。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

以下で、<>は『自省録』からの引用を示す。

第1回 自分の「内」を見よ

『自省録』基本情報

アウレリウスのプロフィール

アウレリウスの幸福論

皇帝として哲人政治を目指す。
<皇帝化させられてしまわないように、染められないように注意せよ。>
<哲学にしばしば戻っていき、そこに身を寄せ、休息せよ。>
善く生きる
「善く」には道徳的な意味はない。ためになるという意味。
善く生きるとは、幸福に生きるということ。
<生きることのできるところでは、善く生きることもできる。>
表象に余計な判断を加えないようにしよう
<お前を悩ます多くの余計なものは、すべてお前の判断の中にあるので、お前はそれを除去できる。>
自然に一致して生きる
「自然に一致して生きる」は、ストア哲学が実践的に大切にしたこと。
自然とは宇宙の秩序である理性(ロゴス)のこと。
ロゴスに従って生きることが重要。
<起こることすべてを難儀なことに思えても喜んで受け入れよ。>
<お前の内を掘れ。掘り続ければ、そこには常にほとばしり出ることができる善の泉がある。>
自分の内面を見なければならない。

第2回 「他者」と共生する

今回は、対人関係がテーマ

他者の過ちをを赦す
皇帝アウレリウスが死んだという誤報が届き、カッシウスがクーデターを起こす。
アウレリウスはカッシウスを赦すつもりだったが、その前にカッシウスは部下に惨殺されていた。
アウレリウスは、ロゴス(宇宙の秩序)にしたがって生きることが大切だと考えていた。アウレリウスは、カッシウスも同じようにロゴスを持ち不完全なところもある自分の同類だと考えていた。
<これらのすべてが彼らに生じたのは、彼らが善と悪について無知だからだ。>
人間は協力する状態が本来の状態だと考える。
相手が過ちを犯した時に、怒っても意味がない。
<復讐する最善の方法は、自分も同じような者にならないこと。>
<人間は互いのために生まれた。だから、教えよ。さもなくば耐えよ。>
見返りや賞賛を求めないこと
恩を着せる人がいる。しかし、見返りを求めてはならない。
行為の価値は、他者からの評価とは関係がない。
岸見「子供を褒めてはいけない。褒める親は叱る親でもある。褒められて育つと、褒められないと何もしなくなる。」
平常心
<憤慨することが男らしいのではなく、穏やかで温和であることがより人間的であるように、より男性的でもあるということ。 強さと体力と勇気はそのような人に備わるのであり、憤慨し不満である人にではない。なぜなら、それは不動心(アパテイア)に 近ければ近いほど、力にも近いものだからである。>

第3回 「困難」と向き合う

襲う困難を耐える
皇帝マルクス・アウレリウスは幾多の困難に遭遇した。大飢饉と洪水に乗じて異民族が侵入。追い打ちをかけるように疫病が蔓延。
先人が乗り越えることができたのなら、自分にもできると考えよ。<人間にとって可能でふさわしいことであれば、お前にも成し遂げることができると考えよ。>
人間に耐えられないようなことは、何一つ起こらない。
<それは不幸ではない。むしろ、それを気高く耐えることが幸福である。>
困難に遭っても自分を見失わないことが大切。悲しみは、自分と向き合うこと。
とらわれないこと
<この上なく立派に生きること、この力はもしも善悪無記のものに無関心でいるならば、魂の中にある。>
善悪無記=自分にとって得というわけでも損というわけでもない
それ自体としては善でも悪でもないものに気を取られない。
幸福になるためには、魂が優れている必要がある(アレテー=徳、魂が優れていること)。
運命論
<起こることすべてを難儀なことに思えても喜んで受け入れよ。><起こることはすべて正しく起こる。>
困難な状況こそ、哲学を学ぶのに適している。
岸見「とはいえ、何でも受け入れるべきだというものでもないはず。状況による。」

第4回 「今、ここ」を生きる

今回は、死との向き合い方がテーマ。

今、ここを生きる
マルクス・アウレリウスは、日常的に死に直面していた。
<あらゆるものは、本性的に死ぬものである。>
<死は出生と同じく自然の神秘である。>死は、生と同様に自然現象であるから、悲しむことも怖れることもない。
人生を、今の連続であるととらえる。過去はすでに失われている。未来はまだ存在しない。したがって、<何人も今生きている生以外の生を失うのではない>。
今が本番であって、リハーサルではない。<すべての行為を生の最後の行為のように行う。>
<人格の完全とは毎日を最後の日のように過ごし、激することなく、無気力にもならず、偽善をしないこと。>
<今後の人生を自然に即し余得として生きなければならない。>
共同体の中で生きる
岸見「自分は一人で生きているのではないので、他人のために生きる。」
人間は、ロゴスを分有する者として自然状態では協力する。他者とともに幸福になる。
<地上の生の唯一の収穫は、敬虔な態度と共同体のための行為である。>=コスモポリタニズム