小松左京といえば、私は『日本沈没』を
読んだことがあるだけである。この「100分de名著」の解説を読んで、他の作品も読んでみたくなった。
この「100分de名著」の解説は、単に作品の解説だけでなく、SF とは何かとか、小松左京の生涯の解説など
背景となることがらの解説もけっこう詳しくしてあるのが好ましい。たとえば、SF とは、Science Fiction の略なのだが
単に科学小説というだけではなく宗教叙事詩のようなものであると論じている。宗教叙事詩というのが良いかどうかは
別としても、優れた SF は哲学的な問いを投げかけることが多い。それは、現実と異なる世界を提示することで、
現実をより深く掘り下げて考えることになるからである。逆に、哲学の議論においても SF 的な設定が用いられることが
しばしばある。たとえば「培養層の中の脳」の議論などはその例である。小松左京はそのようなことをたぶん意識していたはずである。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 原点は「戦争」にあり―『地には平和を』
SF は、単なる空想科学小説ではない。宇宙とは何か、宇宙の中の知性とは何かとかいった問いとつながっている。
初回は、小松左京の生涯と作品の関係を見てゆく。
とくに戦争とのかかわりが深い歴史改変ものの小説『地には平和を』と『戦争はなかった』を紹介する。
- 小松左京は、1931 年、大阪生まれ。本名は小松実。
- 母親は関東大震災を経験しており、その話を聞いていたことが『日本沈没』につながっていたのかもしれない。
- 小学校に上がった年が日中戦争、中学三年生のときに敗戦。
- 神戸一中のときは軍事教練に明け暮れる。軍事教練には怒りを感じていた。
- 中学生のときダンテの『神曲』を読み大きな影響を受ける。
- 終戦を迎えて「気だるい虚脱感だけが残った」(自伝)。
- 短編『少女を憎む』においては、少女の「空襲がないのって、いいわね」という一言が啓示のように響いた、と書いている。
- 1949 年、新制京都大学文学部に入学。共産党に入党。高橋和巳と出会う。
- イタリア文学科でルイジ・ビランデルロの『作者を探す六人の登場人物』に感銘を受ける。
- 卒業後の就職活動は失敗。
- 早川書房『S-Fマガジン』の第1回空想科学小説コンテストに『地には平和を』を応募。選外となったが、安部公房は評価していた。
- 『地には平和を』は、もし 1945 年 8 月 15 日に陸軍将校がクーデターを起こして日米戦争が終わらなかったらという話。
これはパラレルワールド話。戦後への懐疑が反映されている。
- 短編『戦争はなかった』では、『地には平和を』とは逆に、太平洋戦争の記録が跡形もなく消えてしまった世界が描かれる。
平和憲法や主権在民はなんとなく実現されていた。主人公だけが戦争の記憶を持っている。この作品もまた戦後への懐疑の反映である。
主人公は、大戦を経なかった世界には重要なものが欠落していると感じた。
- 小松左京は『SF魂』の中で、戦争がなければおそらくSF作家にはなっていなかっただろうと書いている。
小松のSFと「戦争と平和」の問題は切り離すことができない。
『地には平和を』
物語の進行 | 解説 |
主人公は15歳の河野康夫。玉音放送が急遽延期され、クーデターにより阿南政権が成立。
黒桜隊に入隊した河野康夫が戦闘の末重傷を負い自害しようとした時、「Tマン」が登場。
この歴史は間違っていると告げる。
一方、時間管理庁特別捜査局では、マッドサイエンティストのアドルフ・フォン・キタ博士が取り調べられている。
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- 『地には平和を』はヒストリカルイフとパラレルワールドを組み合わせて書かれている。
- 史実も踏まえている。クーデター計画もあったし、信州に大本営と皇居を移す計画もあった。
- 小松左京も主人公の康夫と同じ年代。だから、戦争に参加する可能性も彼にとっては切実な歴史だったはず。
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キタ博士は多くの歴史を創造しようとしていた。
パラレルワールドが消えると、康夫は妻子とともに信州に遊びに来ていた。
黒桜隊のエンブレムをそこに見つけて、暗い感覚がよぎる。
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- キタ博士の狂った言葉の中に小松左京の心情が反映されている。
- 自決寸前の康夫とピクニックに行っている康夫。このパラレルワールドは、本当の歴史に対する違和感の表現であろう。ちょっと成り行きが変わっていれば、完全に別の歴史になっていたかもしれない。歴史は相対化できるもの。
- キタ博士は、今の歴史が本当の歴史かと問うている。終戦の詔勅だけで価値観が一変し、戦争がなかったかのように繁栄した。小松左京にはそれが嘘くさくおぞましく見えたのだろう。
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『戦争はなかった』
物語の進行 | 解説 |
主人公が旧友と再会すると、友人の記憶からも歴史の教科書からも戦争が消えていた。
主人公は真実を訴えようとするが、護送される。 |
現在、戦争の感覚が薄れていっているという意味で、この物語の世界が現実になってきている。 |
第2回 滅びとアイデンティティ―『日本沈没』
背景
- 『日本沈没』は 460 万部の大ベストセラー。ジャンルとしてはシミュレーションもののディザスター小説。
- 『日本沈没』は 1964 年に書き始められ、1973 年刊行。ちょうど高度成長時代が終わるときに刊行された。漠とした不安と高度成長の反省の時代。
- 1964 年には、梅棹忠夫を中心として「万国博を考える会」が発足。小松も加わっていた。
これは万博プロジェクトにつながると同時に、「未来学研究会」、「日本未来学会」へと発展してゆく。
- 1972 年には、田中角栄の『日本列島改造論』が出版される。
- ちょうどプレートテクトニクス理論が受け入れられてゆくときで、小松は物語にリアリティを与えるためにこれを利用した。
物語の進行
- 197x年、鳥島東北東の名もない小島が一夜で沈没。
- 調査の結果、日本沈没の予測が導かれる。政府は極秘にさらなる調査「D計画」を始める。
- 田所博士は、2年以内に日本列島が沈没するかもしれないと予測。
- 第2次関東大震災が起こる。
- 政府は「D2計画」を進める。それは海外への移住政策だ。
- 小野寺と玲子はスイスで結婚しようとするが、富士山が噴火し、小野寺は玲子と連絡が取れなくなる。
- 天変地異が続く中、日本人は次々に海外へと避難してゆく。
- 田所博士と渡老人は日本に残って対話を交わす。
問われていた問題
- 小松の意図は、日本沈没を描くことで、戦後日本社会の総体を炙り出すことにあった。
- 「国破れて山河あり」という。ところで、山河が消失しても国はあるのか?国土がなくても民族のアイデンティティは残るのか?
- 戦争の時、国民は日本が無くなっても良いと思っていたのか?
- 生きる「業(ごう)」が暗示される。
- 渡老人が純粋な日本人ではないことが最後にわかる。屈折したアイデンティティが、将来の日本人のアイデンティティを示唆する。
第3回 深層意識と宇宙をつなぐ―『ゴルディアスの結び目』
『ゴルディアスの結び目』は、1975〜76年に「野生時代」で発表された連作。
『岬にて』、『ゴルディアスの結び目』、『すぺるむ・さぴえんすの冒険』、『あなろぐ・らう゛』の4作品からなる。
『岬にて』
宇宙と一つになろうとする人々が描かれる。
『ゴルディアスの結び目』
物語の進行 | 解説 |
かつて部屋であったものが現在は小さなボールになっている。
それはアフドゥーム精神病院の一室であった。
そこをサイコ・デティクティブ(精神探偵)の伊藤が訪れた。
秘密の部屋にはマリア・Kという少女がいた。
少女には牙と角が生えていた。
恋人から手ひどい裏切りを受けたことがトラウマとなって悪魔憑きとなっていた。
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- 当時はオカルトブームだった。
- サイコ・デティクティブは、意識の中に入り込む。
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伊藤はマリア・Kの中にサイコ・ダイブする。
マリアは恋人から性的虐待を受けていた。
精神物理学者である院長は、マリアが起こす超常現象のエネルギーに注目していた。
少女のトラウマと宇宙のブラックホールがつながっている。ブラックホールとつながるほかの宇宙から質量とエネルギーが流れ込んでいる。院長はそこからエネルギーを取り出せないかと考えている。
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- 伊藤は地獄めぐりをしているようなもの。小松は地獄のリアリティを体験させようとしている。
これは小松版の『神曲』地獄篇。
- この病院の背後には謎の団体がいて資金を提供している。
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伊藤は沼にたどり着く。その先の黒い森は地獄絵図だった。その向こうに全裸のマリアがいて人間を食べている。
マリアを襲う悪魔は院長の姿に変わる。院長はマリアのトラウマを消さないようにマリアを犯し続けていたのだった。
堕天使ルシファーが現れる。
伊藤はマリアを愛し始める。伊藤はマリアを世界の底の底に誘う。
病室は収縮を始める。これはブラックホールになるだろう。
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世界の底の底の探索がいわば「ゴルディアスの結び目」を断ち切ること。
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第4回 宇宙にとって知性とは何か―『虚無回廊』
ゲスト:瀬名秀明
小松左京は、科学における文学性を考えていた。ひとつは、科学は宇宙の歴史を語るという点。
もう一つは、科学の思考におけるイメージやイマジネーションの重要性である。
『虚無回廊』は1986年から執筆された未完の大作。
物語の進行 | 解説 |
地球から5.8光年のところに巨大物体SSが現れる。科学者遠藤秀夫が開発したAE(人工実存)であるHE2がSSに送り込まれる。
HE2は、遠藤の死を知って、自由意思により地球との連絡を絶つ。
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- 人工実存(AE)は、魂(主体)を持った人工知能(AI)。判断したり決断したりできる。
- HE は遠藤秀夫のイニシャルであると同時に Hyper Existence の略。
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物語は遠藤の生前に戻る。20代の頃、遠藤はアンジェラ・インゲボルグとともにAEの開発をする。
遠藤とアンジェラは結婚。しかし、AEに対する考え方の違いから二人は仲違いし、アンジェラは自殺。
晩年の遠藤は、アンジェラが生んだAEであるアンジェラEと擬似的な夫婦として過ごす。アンジェラEを僧侶が訪ねる。
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- アンジェラEとHE2は異なるタイプのAEである。アンジェラEはボトムアップ型。少しずつ育っていく。
HE2はトップダウン型。遠藤の理想に従って作られており、最初から生命を超えた存在。
- 僧侶は遠藤に哲学的な問いを放つ。実存には死が必要になるのか、など。
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HE2はSSに到達し、SSに集う多様な知的生命体とコミュニケーションする。
SS内では、知的生命体がSSについての情報や知識を共有するための会議をする。
ン・マ族の仮説によると、SSは虚宇宙と実宇宙をつなぐ回廊である。
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- 虚宇宙はもともと宇宙構造のゴミ捨て場。虚宇宙と実宇宙がそれぞれ成長してゆく中で、それを繋ぐものが発生した。それがSS。
- 虚宇宙は宇宙の「向こう側」。
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終わった物語とその後
- 小説は未完に終わり、問題は解かれていない。しかし、問題提起や状況の設定はなされている。
それらが興味深いので、『虚無回廊』は傑作とされる。
- その後小説がどうなるのかを想像してみるのも面白い。
HE2とアンジェラEが再開して、愛を確認するのではないか。
- 瀬名秀明『新生』も、『虚無回廊』を下敷きにして書いたもの。
- 小松は2011年死去。
- 小松にとってSFは未来を創る文学。