安部公房は好きな作家のひとりであり、『砂の女』も
以前読んだ。今回は、放送の進行に合わせて再読することにした。
安部公房の作品は、全体が隠喩になっていて、それをどう読み解くかが楽しみである。
モチーフとして重要なのは、砂、昆虫、女である。
今回は、ヤマザキマリの読み方に沿って読んでいくことにした。テーマは自由とは何かということである。
砂の中の世界と砂の外の世界が対比的に描かれる。男(仁木順平)は、砂の自由な流動と虫を求めて、
都会から砂丘にやってくる。ところが、砂の中の世界に閉じ込められてしまった。
男は、砂の中の世界から脱出しようと悪戦苦闘するが、すべての試みが打ち砕かれる。
今まで信じてきた理性や知性さえズタズタにされるが、水と縄梯子という自由への切符を手にした途端、
脱出する気が失せてしまう。自由とは、自由になれる切符のことで、必ずしも切符を使うことではない。
砂の中と砂の外のどちらが良いのかとかどちらが人間的かとかは簡単には言えない。
人間というのは、社会的な存在であると同時に単に生物でもある。
社会といっても都会と田舎ではだいぶん作りが違っていて、どちらが自然であるとも言えない。
社会の秩序と拘束、自然の自由と厳しさといったものごとの両面性が生む出す矛盾が、砂の外の世界と中の世界の
対比の中で描き出されている。人間が、そうした矛盾に引き裂かれていることを強く意識させられる小説だ。
砂の外 | 砂の中 |
仁木順平 | 砂の女 |
都会的 | 田舎的 |
知性と教養 | 単に生き延びること |
自由のメタファーとしての砂 | 生を脅かす砂 |
競争社会 | 競う意味のない社会 |
アイデンティティー | 個性の意味がない社会 |
秩序 | 秩序の意味がない動物的な社会 |
出歩く自由 | 出歩かないで済む(出歩けない)自由 |
定着ということに関する警句的な文句を3つ拾っておく。
定着に固執しようとするからこそ、あのいとわしい競争もはじまるのではなかろうか?
もし、定着をやめて、砂の流動に身をまかせてしまえば、もはや競争もありえないはずである。[文庫版 p.18]
十何年か前の、あの廃墟の時代には、誰もがこぞって、歩かないですむ自由を求めて狂奔したものだった。
それでは、いま、はたして歩かないですむ自由に食傷したと言いきれるかどうか?
現に、おまえだって、そんな幻想相手の鬼ごっこに疲れはてたばかりに、こんな砂丘あたりにさそい出されて
来たのではなかったか… [文庫版 p.98]
Got a one way ticket to the blues, woo woo ...
(こいつは悲しい片道切符のブルースさ)……歌いたければ、勝手に歌うがいい。
実際に、片道切符をつかまされた人間は、決してそんな歌い方などしないものだ。
片道切符しか持っていない人種の、靴の踵(かかと)は、小石を踏んでもひびくほどちびている。
もうこれ以上歩かされるのは沢山だ。歌いたいのは、往復切符のブルースなのだ。
片道切符とは、昨日と今日が、今日と明日が、つながりをなくして、ばらばらになってしまった生活だ。
そんな、傷だらけの片道切符を、鼻歌まじりにしたりできるのは、いずれがっちり、往復切符をにぎった人間だけにきまっている。
[文庫版 pp.180-181]
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 「流動」と「定着」のはざまで
講師のヤマザキマリは、イタリアで極貧生活をしていた時に『砂の女』と出会った。
不条理さとか理不尽さが当時の気持ちにマッチしていた。
安部公房の生涯
- 1924 年、東京生まれ。すぐに満州に渡り、16 歳まで過ごす。
- 1943 年、東京大学医学部に進学。
- 1944 年、満州の自宅に帰り、1946 年、引き揚げ。
- 1948 年、作家デビュー。同年、大学を卒業するも、医者にはならなかった。
- 1951 年、『壁―S.カルマ氏の犯罪』で芥川賞受賞。
- 1962 年、『砂の女』を発表。1964 年、映画化。
- 1993 年、死去。
『砂の女』
初版本にあることば:
鳥のように、飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。
飛砂におそわれ、埋もれていく。(中略)色も、匂いもない、砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。
砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分るまい。
- 社会に向かって開かれた自由も、内なる自由も解決策ではない、という問いかけ。
- 砂は自由、壁は自由を拘束するもの。一方で、壁のなかは安心だが、壁の外は危険。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 男(仁木順平)が失踪した。
- 男は中学教師。昆虫採集のため砂丘にやってくる。
- 砂の中に集落があった。
- 男はニワハンミョウを探し始める。彼は新種を追い求めていた。
- 男は、砂の流動にあこがれのようなものを感じていた。
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- 昆虫はシュールレアリスティックな存在。
- 安部公房は、虫を観察するかのように人間社会を洞察する観察者。
- 新種を探したいというのは、自己顕示欲、承認欲求。
- 男は、定着をやめて流動に身を任せれば、競争も無くなるはずだ、と考える。
男は、中学教師という身分保証があるにもかかわらず、遊牧民のように生きたいと思っている。
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- めぼしい昆虫の収穫はなかった。
- 村の老人に誰何される。老人は、宿の世話をしてやると言う。
- 老人に案内された家は、砂の穴の中にあった。そこには女がいた。家はあばら家。家には絶えず砂が降ってくる。
- 女は砂が家を腐らせると言ったが、男はそれを理窟で否定する。女は、夫と娘は砂に埋もれて死んだと言う。
- 女は、砂かきを始める。男は、ちょっと手伝ったが、仕事を放り出す。
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- 男(仁木)は、どこか田舎を見下している。
- 男(仁木)にとっての砂は、流動的でロマンチックなもの。でも、女にとっては有害なもの。
- 男は、自由の象徴であるはずの砂との格闘を早々にあきらめる。
- 女は、昆虫のように砂と共生して生きている。
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第2回 揺らぐアイデンティティ―
蟻地獄から抜け出そうとする男。アイデンティティーが崩壊してゆく。
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 男(仁木)は砂まみれになって起きる。女は素裸で寝ていた。
- 男が外に出てみると、縄梯子が消えていた。男は砂の壁をよじ登ろうとするが、登れなかった。
- 男は、蟻地獄に閉じ込められたことを悟る。
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- 女は昆虫のようだった。男にとっては、全く話の通じない人間。
- 女を抱いたら、女の自由のない生き方を受け入れたことになる。
- 男にとって、女は自分のアイデンティティーを脅かす存在。
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- 男は女を問い詰めると、ここでの生活は女手一つでは無理だと答える。
- 男は女を説得しようとする。でも、ごはんになってしまう。
- 男は砂をスコップで掘り始めるが、日射病で気を失い、数日間寝たきりになる。
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- 男は、自分は住民登録もしているから、捜索願いが出るだろうという。
自由を求めていた人が、不自由だったころのアイデンティティーで勝負をしようとしている。
- 女は、男がもがいているのに、全く通じていない。
- 女は、アイデンティティーを求めていない。まず生きることだけを考えている。
- 知性や教養が邪魔になっている。
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- 男は都会の生活を思い出す。
- 「メビウスの輪」という同僚との会話を思い出す。
- 男は同僚に行き先を告げていなかった。だから助けに来てもらうことは絶望的だ。
- 男は女を縛ってストライキに出た。しかし、水を絶たれてしまう。
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- 自分のアイデンティティーが見えなくなってきたので、男は自分が自分でいられたときのことを思い出す。
- 教育は、個人主義的な個人を育てようとしているのか、全体主義的の部品を育てようとしているのか。
「メビウスの輪」との会話の中では、砂は個人主義的なバラバラな個人のメタファーではないか。
仁木は、個人主義的な民主主義社会を夢見ていた。
- 安部公房の理想とする社会は、人がそれぞれ共有する思想や意識を持っていなくても共生ができる社会。
- 男は、暴力に訴えざるを得なくなっている。これは一種の戦争。
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第3回 人が「順応」を受け入れるとき
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 男は、女を人質にして、村人たちに自分を引き上げろと言う。
- 村人たちは男の言うことを全く聞かず、男と女は、水を絶たれた。
- 男は、梯子を作ろうとして、家を破壊し始める。女はそれを止めようとする。
- 男と女は体を重ね合わせた。
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- 女は「でも、都会の女の人は、みんなきれいなんでしょう?」と言う。この中に女の媚びが含まれている。
- 女は自分を認めてもらいたい。そして、そう簡単には逃げられないと言いたい。
- 男は、本能には抗えなかった。
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- 男は喉の渇きに耐えられなくなり、砂かきを始める。すると、水が配給された。
- 男は村人を説得しようとする。老人は、誰も探しに来ないだろうと言う。
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- 男は、屈服したという演技をする。
- 男は、自分が知能と教養で勝てると思っている。でも、村人の作戦に嵌っている。
- 村の生活は、監視されている。
- 私たちも、社会のシステムに呑み込まれている。火の見櫓=世間体。
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- 男は、砂かきに順応してくる。
- 男は、シャツをほぐしてロープを作り、それを使って脱出した。46 日目のことだった。
- 男は、女がラジオと鏡を欲しがっていたことを思い出す。
- しかし、行けども行けども男は砂から逃れられない。最後は「塩あんこ」で身動きが取れなくなる。
- 結局、男は女のもとへ戻される。
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- 男には抗う気力がだんだん無くなってくる。諦観と悟りが出てくる。
- ラジオは外からの情報をもたらすもの。鏡は自分の存在証明。
- 男は、だんだん「生きたい」というだけの諦めに支配されてくる。
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第4回 「自由」のまやかしを見破れ!
物語の進行と解説
物語の進行 | 解説 |
- 男は、鴉をとらえるための罠を仕掛け、「希望」と名付けた。あわよくば、鴉に手紙を託そう。
- 女は、ラジオを買うための内職を始める。
- 男は、差し入れの漫画本で笑い転げてしまう。
- 「希望」の罠にはまったく反応はなかった。
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- 「希望」は、脱出への望みを託したもの。絶望的な状況の中のかすかな希望である。
- 男は、漫画で笑ったものの、笑ったことが自分で嫌になる。自分の姿が格好悪いと思った。
- 何もできていないのに、寝る時間はやってくる。生きている意味がつかめなくなる。
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- 村人たちが砂をコンクリート用に売っていることを知った。男は怒り出す。
塩交じりの砂をコンクリートに使ってはいけないのではないかと。女は、他人のことなど構わないと言う。
男はたじろいだ。
- 男は、村人に一日一回でも穴の外に出たいと思う。村人に交渉するが、村人は男女の営みを見せろと言う。
男はその気になったが、女は強く拒絶して男を殴る。
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- 女は、自分が生きることだけを考えている。他人のことなど気にしていない。
女の方が現実的で、男が負けそう。
- 男は、植木を買おうと言ってしまう。植木は「根を張る」。ここで、女と男の立場が逆転。
- 男の知性や教養はズタズタにされる。
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- 「希望」の底にきれいな水が溜まっていた。砂の毛管現象のおかげだろう。男は喜んだ。
- 3月、女が妊娠した。2か月後、女は激痛を訴える。子宮外妊娠の可能性があった。
女は病院に連れていかれた。
- 縄梯子が残された。男は、登って崖の上まで行ったが、水溜めを修繕するために引き返す。
- 「あわてて逃げだしたりする必要はないのだ」「逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。」
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- 村の一員としての意識が芽生え始める。
- 最後に仁木の失踪が公認される。
- 自由の意味を考えるのがこの本の肝。砂の中と外とどちらが自由なのか。
- 伊集院「ほっとするところは、仁木が自分の選択で穴に残ったということと、仁木の知的なところが
水を集める装置に残っていること。知性も完全に否定されてはいない。」
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