阪神・淡路大震災を経験した著者が、東日本大震災を経て、震災の経験を小説化した連作短編集。 東日本大震災から2か月後、神戸から遠間市にやってきた熱血小学校教諭の小野寺徹平先生が引き起こす事件の数々が描かれている。 小野寺先生は、雨を降らせて地を固める役回りである。いろいろなエピソードが巧みに描かれていて感動的である。 遠間市は架空の市だが、津波の甚大な被害を受けているということになっているから、おそらく三陸沿岸のどこかのつもりである。
最近、この本をテーマにした著者の講演を 聴く機会があり、著者の意図がよくわかった。
- 実際の特定の場所とか特定の事実を描くことは、意図的に避けている。具体的な事実からヒントを得ている場合はあるが、 構図は意図的に変えているとのこと。それは、具体的な事実に基づいてしまうと、被災者の心の傷をえぐってしまうことに なりかねないからだそうである。むしろ、こういう設定ならこういうことが起こるはずだということを考えて書いたものだそうである。
- 神戸から東北に先生が応援に行ったという事実はない。東京からは行っている。しかし、阪神・淡路大震災を経験した人が 行ったという設定にすることで、小野寺先生は思った通りのことを直截に言うことができる立場になっている。
- 小野寺先生や浜登校長のキャラを立たせて、やや漫画的にしてあるのは、そうした方が重たくなり過ぎず、読みやすくなるから だそうだ。寓話的に読んでもらえる。子供にも読んでもらえるということを意識して書いたもののようだ。
- 小野寺先生と小学生たちを登場人物として、小野寺先生には関西弁を話させ、小学生たちは標準語で話すことには意図がある。 小野寺先生は感情をはっきり出す正義漢の役割を持たせ、小学生は意外に冷静にいろいろなことを考えている、という構図にしたものである。 そういえば、『名探偵コナン』も そのような構図だった。コナン少年は中身は高校生だけど。
以下、各短編の簡単なまとめ:
- わがんね新聞
- 遠間第一小学校六年二組の担任になった小野寺先生は、小学生の不満をぶつける新聞「わがんね新聞」を作ることにする。 それを玄関ホールに掲示すると、評判になるとともに、いろいろなトラブルも引き起こす。
- “ゲンパツ”が来た!
- 父親が福島第一原発に勤務している福島智史君が転校してくる。一組の「ゆるせね新聞」に「“ゲンパツ”は保科さんに謝れ」 という内容の記事が載り、問題になる。浜登校長が問題を解決するとともに、福島君がいろいろ深く物事を考えていたことが分かる。
- 「さくら」
- 遠間南小学校で糸居沙也加が津波で亡くなった時のことを、ジャーナリストが糸居の担任だった三木先生に取材しようとする。 三木先生が校長と糸居の二人を助けようと懸命だった上、ほかの多くの児童と教員の命を救ったことが判明する。
- 小さな親切、大きな…
- ボランティア活動が引き起こすトラブルについての物語。一つのグループのリーダーは相原さつきで、小野寺の昔の教え子だった。 彼女は規律にやたらと厳しい。それにはある理由があった。一方で、「地元の御用聞き」を率いる中井俊は上手に仲間を束ねている。
- 忘れないで
- 阪神淡路大震災の日(1月17日)に小野寺先生が神戸に帰る。16日夜には昔の教え子の同窓会に参加する。17日には「1.17のつどい」に参加する。 遠間の保護者達から「忘れないで、東北」と書かれたポスターを預かってきていた。それを巡って、神戸の震災経験者たちの様々な思いが交錯する。
- てんでんこ
- 小学校にあって津波で流された二宮金次郎の石像が見つかる。左手と右足が欠けていた。卒業制作でこれを修復することになった。 金次郎は坂道を駆け上がる姿に生まれ変わり、背後の壁画には山の上を目指す人々が描かれた。