立花隆が 2021 年 4 月に亡くなったのを受けての出版。立花氏の著書は、学生の頃(だったと思うが)数冊読んで 感銘を受けた。最初は『論駁 ロッキード裁判批判を斬る』だった気がする。あと印象深かったのは、『日本共産党の研究』、 『宇宙からの帰還』。本ムックは、過去に『文藝春秋』に掲載された立花隆関係の記事を中心に編集され、 立花隆の生涯を振り返るものになっている。改めて凄いジャーナリストだったと思う。 ジャーナリストとはいっても即物的なことだけではなく哲学的なことに常に関心があったのが彼の特徴で、 なかなか後継者のいないところである。
以下、いくつかの記事について、感想を書いてゆく。
特別保存版 田中角栄研究
1974 年の『文藝春秋』に書かれ、立花隆が有名になるとともに、田中角栄退陣のきっかけのひとつとなったとされる記事を 再録したもの。
膨大なデータを集めて、田中角栄周辺の金の流れがいかにおかしいかを明確にしている。ウラの部分はわからないけど、 オモテに出ている部分だけ繋いでもこれくらい変だということが示されている。それにしても、田中角栄という人は、 こんなにお金の操作をいろいろしていたとは、政治活動がよほど暇だったのだろう。あるいは、政治=金だったのか。
ところで、最近田中角栄を高く評価する向きもあるけれど、土建業に金権政治との結びつきという悪いイメージを与えて、 近年の土建業の凋落の一因を作ったという罪も大きいと思う。土木建築は、本来は品格が必要で、そうでなければ 美しい街造りなどできないはずだ。そんな時代ではなかったと言う向きもあるだろうが、かえすがえす、土木建築に 汚いイメージをつけてしまったことに田中角栄の悪影響は大きかったように思う。
安倍晋三の死後、東京五輪をめぐる闇が表に出て来つつあり、絵にかいたような汚職事件に発展しつつある。 しかし、今や雑誌ジャーナリズムには力は無く、立花隆のようなやり方の追究ができる資金はなさそうである。 それにしても、政治家の関与も取り沙汰されており、政治家って金儲けに頭が回るとはよほど仕事が暇なのだろうなと 改めて思う今日この頃である。
オウム真理教と日本の「悪」
オウム真理教に関する司馬遼太郎と立花隆の対談(『週刊文春』1995/08)のはずが、宗教に対する司馬の関心が薄くて、 あまり議論が深まらず、結局最後は第二次世界大戦の話になってしまうという変な対談である。
司馬がもともと宗教にたいして関心が無いらしいということは、「人間はね、もう宗教に救われなきゃいけない具合にはなっていないんです。」 という言葉にうかがえる。これに対して立花は「僕はいつの時代になっても宗教的なものに救済を求める人間は絶えない と思っています。」と言っている。司馬は歴史には関心が深いけれど、宗教思想にはあまり関心がない。これに対して、立花は 思想に関心が深いという違いが表れてしまっている。
立花は哲学科出身だけあって、思想に最も関心があるので、「オウムでは、オウム以外の人間はすべて外道と考えてる。 (中略)たまたまいま現在この世に生まれて、生きている人間が死んだとしても、よき輪廻転生をとげて次の生が もっとよくなるなら、その方がいいじゃないかと考える。その場合、殺人は救済だと考える。」と言い、だから恐いという 考察をしている。しかし、司馬の方は正面からこれを受け止めずに、日本人は無思想で輪廻転生など受け入れられていない という方向に話を持って行っている。それで、結局、一向一揆やら大本教の話になり、やがて太平洋戦争の話になる。 それはそれで面白いのだけれども、オウム真理教の思想の分析としては深められずに終わってしまっている。
安倍晋三の死後、旧統一教会が問題となっている。旧統一教会は、今私が見知っている範囲だと、オウム真理教ほど 思想的な問題を提起しないように思うので、おそらく立花隆が生きていても思想的な関心はそれほど持たなかっただろう。 むしろ、宗教右派と呼ばれる集団全体の構造に興味を持ったのではないだろうか。ただ、旧統一教会も一定数の信者を 獲得しているところから見ると、思想的な魅力がどこかにあるのかもしれないが、私はあまり聞いていない。
iPS 細胞の未来を語る
『文藝春秋』2010年9月号における山中伸弥と立花隆の対談。立花隆の科学に対する関心が深いので、 けっこう話が深いところに及んでいる。以下、山中氏の話で印象に残った部分のメモ。
- 初期化に使える遺伝子を探索するために、お金がない中、公開されているデータベースやプログラムを使った。 とくに役に立ったのは、理化学研究所の林崎良英が中心になって作っていた遺伝子のデータベース、 アメリカの国立バイオロジー情報センターが公開していたデータ解析プログラムだった。
- 遺伝子を細胞に取り込ませるには、PCR で大量に増やした遺伝子を含む液体の中に細胞を浸ければ良い。 すると、細胞分裂の時に周囲にある遺伝子を間違って取り込んでくれる。
- 細胞を初期化するには、エピゲノムも変えないといけないのではないかと最初は考えていた。 ところが、予想外なことに転写因子4つだけで良かった。転写因子にエピジェネティックな修飾を消す機能があるらしい。
- iPS 細胞の臨床応用は、大別すると、再生医療と創薬の2つ。再生医療は、傷んだ臓器を作り直して新品に取り換えることである。 創薬への応用は、人の iPS 細胞から薬のターゲットになる細胞を大量に培養することで薬の試験に用いることである。
僕のがんゲノム解読
『文藝春秋』2009年7月号掲載の癌に関する解説。立花氏は、自身が癌患者である(から/にもかかわらず)、 癌の正体に大きな関心を示し、癌がそう簡単に治療できるものではないことを強調している。
内容を箇条書きでまとめると以下の通り。
- 正常な細胞では、シグナル分子が複雑なネットワークを作っている。そのうちの何箇所かが壊れて、 細胞増殖過程が止まらなくなることが癌化である。
- 癌の薬物抵抗性の原因は大きく2つある。(1) 幹細胞があって、薬剤耐性を持つ変異細胞を作り出す。 (2) 細胞の周辺の血流を止めると、HIF1 遺伝子をはじめとする多くの遺伝子が発現して血管新生を促す。 こうした作用はシグナル分子の複雑なネットワークの中で行われるので、1箇所を止めれば済むということにはならない。
- 癌の起源が遺伝子を基にして語られるようになってきている。すると、平均的なヒトゲノムだけをわかっていればよい ということにはならなくて、遺伝子の個人差が問題になってくる。それから癌の多様性も問題になってきている。
結局、癌というのは、病原体のような他者ではなく自己そのものに起因しており、細胞という 「生きようとする意志(by ショーペンハウアー)」 のある複雑な機構の故障なので修復が困難ということなのだろう。
東大生たちに語った特別講義
『二十歳の君へ』からの抜粋。大学生を相手にした講義より。
立花隆が大学生を前に何を語るのかは大変興味深い。立花らしいと思ったところは以下の通り。
- ポール・ヴァレリーの J'avais vingt ans を引用して二十歳のころの心理的不安定さを説明するところは、 さすがに仏文科出身である。二十歳の心が全能感と絶望感の間を揺れることが見事に表現されている。 その年齢を過ぎた人なら誰しも自分の内に思い当たることだろう。
- 言語表現とその限界を説明するところで、ウィトゲンシュタインの「およそ語りうることは明晰に語りうる。 しかし語り得ぬことについては沈黙せねばならない」を引用しているところは、さすがに哲学科出身である。 立花が『論理哲学論考』を好きだったことは、ほかのところでも書かれている。ここでは、問題を立てるときには 言葉は正しく使いましょうね、という文脈で使っている。
- アウトプットに対してインプットは1000倍必要と言っている。これは、勉強家として知られている立花らしい。 1000冊の本を読んで1冊アウトプットをする計算ということである。立花には 100 冊余りの著書があり、「猫ビル」 の蔵書は数万冊 (本書 p.9 では 3 万 5 千冊、 某インターネットサイトによると 10 万から 20 万冊)だったそうなので、だいたいそういう計算になる。
ぼくはこんな風に生きてきた なぜ「宇宙」へ、そして「脳」へ
文藝春秋臨時増刊1996年11月号『立花隆のすべて』に掲載された立花隆への連続インタビューの一つ。 ここの部分のインタビュアーは中野不二夫。
立花隆が科学の良き紹介者であったことは良く知られている。良き紹介者であるにとどまらず、たとえば 『脳死』では、脳死の判定について科学と倫理的観点の両方を踏まえた独自の提案をしている。こうしたことは 立花の森羅万象(理)と人間(文)への飽くなき興味に根ざしている。
そうしたところから、立花は、最後にメタ・サイエンスあるいはメタフィジックスを考えてみたいと述べている。 この場合のメタフィジックスは、物理の上の(あるいは科学を基礎づける)学問という意味である。 本ムックの最後にある記事『立花隆が書きたかった仕事』(緑慎也)にその書きかけの構想が書かれている。 立花が現代物理学版の「論理哲学論考」を書きたかったのだということが分かる。こうした哲学の系譜には カント『純粋理性批判』、マッハ『力学史』、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』などがあるわけだが、 立花のは残念ながら未完に終わってしまった。