ジブリの教科書1 風の谷のナウシカ

編集スタジオジブリ・文春文庫
シリーズ文春ジブリ文庫
発行所文藝春秋
刊行2013/04/10、刷:2020/09/10(第4刷)
入手九大生協で購入
読了2023/08/26
参考 web pages 映画公式サイト
ジブリ博物館~風の谷のナウシカ

本書には、『風の谷のナウシカ』にまつわる話や論考が収められている。 テレビで放映されていた映画を見つつ読む。 先に読んだ同じ「ジブリの教科書」シリーズの『 コクリコ坂から』とは大違いで、収録されている話の密度が格段に高い。 『コクリコ坂から』の方は、 たいして印象に残らない提灯記事みたいなのが多かったのだが、こちらは本気の記事が並んでいる。 スタジオジブリができる発端となった作品なので、関係者の思い入れも大きいし、評価も高いということなのだろう。 たとえば、今は亡き評論家の立花隆の文章が冒頭を飾っている。立花のこの映画、ならびに漫画版への評価は非常に高い。

佐藤優の見立てでは、この映画は終末論的構成になっていてわかりやすいという (p.232)。 終末論とは、終わりの時点が目的となっているということで、『風の谷のナウシカ』で言えば、 ナウシカの死で王蟲と人間の戦いが終わり、ナウシカの復活で救済が行われるというエンディングがそれだということだ。 佐藤の読み解き「『風の谷のナウシカ』と国家」(pp.230-241) における考察は、ほかにも映画の筋の整理に役立つ。 たとえば、映画で描かれている戦争は、「帝国、都市国家、共同体国家が腐海の拡大という人類存亡の 危機に直面して、どのような方策をとるかという戦術の差異から起きた戦争なのである」とまとめられている。 ここで、帝国=トルメキア、都市国家=ペジテ、共同体国家=風の谷である。言われてみれば、俯瞰的で すっきりしたまとめかたである。

高畑勲と宮崎駿の対談「映画『風の谷のナウシカ』の基本設定をめぐって」(pp.62-81) は、 公開の前年(ということは、まだ作画に入っていない構想段階)に行われたもので、二人がどういう構想で この映画を作ったのかがよくわかる。それと合わせて、宮崎駿「『ナウシカ』誕生までの試行錯誤」(pp.82-105) を読むと、ナウシカの人物造形がどういう経過でできてきたかがわかる。後者の記事は、『ナウシカ』公開から 10 年余り経った後の時点での回顧である。これらによると、映画『風の谷のナウシカ』の構想のポイントは 以下のような点であったことが分かる。

  1. 厳しい自然と微妙な調和を保ちながらギリギリのところで生きている人々。 大塚英志が「解題」(p.292-311) の中で、このあたりのことを柳田國男の「第二の自然」という概念を使って 読み解こうとしているのだが、これは少し違う気がしてしまう。私はこの概念のことをあまり知らないのだが、 大塚の解説を読む限り、歴史や習慣や神や思想 (p.296) といったもののことのようである。これは、 「自然」と言っているからには、人間はあくまでもその制約の中で生きるというイメージになる気がする。 一方で、宮崎が描いているのは、自然の中で「風使い」といった特殊技能を日々鍛えつつ、 自然観も更新しつつ生きていく人々である。「第一の自然」(普通の意味の「自然」)は制約として受け入れつつ、 手作りの範囲で自ら工夫し続けることによって、何とか自然とのバランスを保っているというイメージだと思う。
  2. 祖先が役に立たないものばかり残したので苦しい生き方を強いられている人々。
  3. 役に立たない父親と部族に対する責任を負わされたナウシカ。
  4. 腐海。これに関して、宮崎はエコロジストの前で発想の原点の一つを語っている (p.290)。 水俣で人々が漁を止めた後、水俣湾は魚介類であふれた。宮崎は「人間以外の生き物というのは、 ものすごくけなげなんです。(中略)彼らは、人間がバラまいた罪悪を一身に引き受けて生きている。」 と述べている。こうしたことは、今も福島第一原発周辺で起きている。

『風の谷のナウシカ』は、こうした複数のアイディアを紡ぎ合わせて作られた映画だったのだ。 だから重層的で見応えがあるのだということが分かる。

ところが、一方で、この映画を作った宮崎駿や高畑勲は、映画に不満が残ったという。 制作スケジュールがタイトだったせいもあるようだが、宮崎駿は、 最後にナウシカが魔法のような力で復活するという宗教的な絵柄になってしまったことによる不満なのだそうだ (pp.18-21)。 確かに言われてみれば、自然の霊力みたいなものに対する讃歌になってしまっているので、 ちょっと安直だったかと思ったのだと考えられる。言い方を変えれば、佐藤優が書いていた「終末論的枠組み」(p.232) にすっぽりはまってしまったのは、能が無かったと思ったのだろう。このあたり、映画というのは、多くの 人の支持を受けないといけないので、わかりやすく型にはめる必要もあり (pp.115-120)、難しいところであろう。 一方、高畑勲は、現代を照らし返すことにあまりなっていないところが不満だという (pp.16-17, 150-151)。 漫画の映画化としては申し分ないと言っているから、映画化にあたって現代を映す鏡を加えてほしかったという意味であるらしい。 これは、高畑が常に現代社会の歪みについて考えていた人であったことによるものだと考えられる。 宮崎にせよ高畑にせよ、この物語は「火の七日間」という恐ろしい戦争で始まるのだから、それに呼応して 現代を照らし出すようなエンディングが何かもっとありえたのではないかと思っていたのだと想像できる。

『風の谷のナウシカ』には漫画版と映画版があり、それらの関係はなかなか複雑である。 ここに出てくる話をまとめると以下のようなものであったようだ。

  1. 徳間書店の映画企画委員会に、鈴木が、宮崎のアニメ映画の企画を持ち込む。 ところが、委員の一人に、原作のない映画はできないと言われた (p.50)。
  2. 鈴木がその話を宮崎にすると、宮崎は「じゃあ、原作描いちゃいましょう。ただし 映画化を目的に漫画を描くのは不純だから、漫画にしか描けないものを描きたい」と言った (p.50)。 それで『アニメージュ』での『風の谷のナウシカ』の連載が始まった (1982 年 2 月、連載開始)。 ここで、「漫画にしか描けないもの」というコンセプトになったのは重要で、 映画化にあたって改変がずいぶん行われて、漫画版と映画版は別の作品になった (pp.115-120)。
  3. 漫画単行本第1巻を出版して、映画化という運びとなるのだが、このあたりのいきさつは、 無署名の「ナウシカ誕生物語」(pp.29-43、以下「ナウシカ誕生」と呼ぶ) と 鈴木敏夫の回顧「“賭け”で負けてナウシカは生まれた」(pp.44-61、以下「鈴木回顧」と呼ぶ) とでだいぶん印象が異なることが書いてある。 ナウシカ誕生によれば、以下の通り。漫画版第1巻は完売で (p.33) 大きな反響があり、それを受けて 『アニメージュ』の尾形英夫編集長がアニメ映像化を提案した (p.34)。その形式については、 徳間書店で採算を検討した結果、映画化ということになり、それに博報堂が参加した (pp.34-35)。 一方、鈴木回顧によれば、以下の通りである。漫画版第1巻は売れると読んで7万部出したら「5万しか売れなくて、大失敗です。」(p.51) ということになった。それで何とか映画にしなきゃということで、徳間書店の宣伝部長の和田豊を接待博打で勝たせてあげて、 その気にさせた (pp.51-52)。和田は、博報堂に相談して、徳間書店と博報堂の話し合いで映画を作ることにした (pp.52-54)。
  4. 1983 年 4 月、映画制作発表。1984 年 3 月、映画公開。(pp.35-36)
  5. 漫画版から映画版にする過程で、「わかりにくいもの」と「作画コストがかかるもの」が省かれたと 推測される (pp.115-123; 内田樹による解説)。
  6. 映画公開の後、漫画版はさらに 9 年にわたって描き継がれ、1994 年 3 月に足かけ 12 年の連載が完結した (p.14)。 全 7 巻の長大なコミックになった。

漫画版と映画版には上述の出自の違いがあり、終わり方は全く違っているようである。 宮崎駿も、映画版では不満が残った終わり方を漫画版で修正したということもあるだろう。 もっとも、そんなことを言わなくても、漫画版の方が映画版よりずっと長大なので、 同じような終わり方になるはずもない。

私は漫画版をまだ読んでいないので、それがどれほど凄いのかは知らないけど、本書でも 漫画版を中心に書いている記事も多い。哲学志向の立花隆や内田樹が書いている文章では、 彼らがディープな漫画版の世界に魅せられているということがわかる。椎名誠によるエッセイ、 長沼毅による生物学的解説も主に漫画版に基づいている。もっとも、椎名や長沼の場合は、 映画版よりも漫画版の方が参照しやすかったというだけのことかもしれない。

上でも引用しているが、鈴木敏夫の回顧「“賭け”で負けてナウシカは生まれた」(pp.44-61) は面白い。 私は鈴木敏夫がどういう人か知らなかったのだが、もともとアニメとは無縁で、 徳間書店の『週刊アサヒ芸能』の記者だったそうだ。それが、突然 『アニメージュ』の創刊に関わることになって、『太陽の王子 ホルスの大冒険』の記事を書いたのが、 宮崎、高畑との出会いの始まりだったとのこと。当初、鈴木は、 宮崎から胡散臭いと思われて、宮崎になかなか話しをしてもらえなかったらしい。

ところで、高畑勲と宮崎駿の対談「映画『風の谷のナウシカ』の基本設定をめぐって」の中で 話が脱線している部分からジブリの名前の由来を 初めて知った (p.69)。サハラ砂漠から吹いてくる熱風 ghibli で、イタリア語だそうだ。因みに、イタリア語における発音は 「ギブリ」である。イタリア語では、gi は「ジ」で、「ギ」と読ませたいときに ghi と書く。

映画のあらすじ