首相誘拐事件 / 〈西洋の星〉盗難事件 / 百万ドル債券盗難事件 in 短編集「ポアロ登場」

著者Agatha Christie
訳者真崎 義博
シリーズクリスティー文庫
発行所早川書房
電子書籍
電子書籍刊行2011/01/10
電子書籍底本刊行2004/07
原題Poirot Investigates (イギリス版 1924; アメリカ版 1925)
原出版社イギリス版 The Bodley Head / アメリカ版 Dodd Mead and Company
初出 イギリスでは週刊誌 The Sketch に掲載、アメリカでは月刊誌 Blue Book Magazine に掲載
The Kidnapped Prime Minister (1923/04/25 [UK]; 1924/07 [US] 原題 The Kidnapped Premier)
The Adventure of 'the Western Star' (1923/04/11 [UK]; 1924/02 [US] 原題 The Western Star)
The Million Dollar Bond Robbery (1923/05/02 [UK]; 1924/04 [US] 原題 The Great Bond Robbery)
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読了2024/07/07
参考 web pages Wikipedia「ポアロ登場」
Wikipedia「Poirot Investigates」
誘拐された総理大臣 in 「名探偵ポワロ」データベース
西洋の星の盗難事件 in 「名探偵ポワロ」データベース
100万ドル債券盗難事件 in 「名探偵ポワロ」データベース
Wikipedia「名探偵ポワロ」
Wikipedia -- List of Agatha Christie's Poirot episodes

Suchet テレビドラマ版が NHK BS で放映されていた時、見損なったのがあったのが、先日 BS11 で放映されていたので、 以前読んだ『ポアロ登場』から3編のみを再読し、 原作とテレビドラマ版の違いをチェックしてみた。

首相誘拐事件

誘拐された首相を Poirot が格好良く救出する一編。

以下、気付いたことを3点。ページ番号は、電子版を全 275 ページで表示したときのページ番号。

David MacAdam (p.155)
小説は、第1次世界大戦中の国家の一大事という想定である。第1次世界大戦中のイギリスの首相は、 現実の世界では Herbert Henry Asquith (在任 1908-1916) と David Lloyd George (在任 1916-1922) である。 小説に出てくる首相の名前は David MacAdam だが、小説内では立派な首相ということになっていることや first name が David であることから、戦争を終結に導いた Lloyd George がモデルだと考えるのが妥当であろう。
a dandy (p.156)
Poirot はとびきりの a dandy であると書かれている。a dandy は、服装や外見に気を使う人ということだが、 OALD によれば、old-fashioned な単語だそうだ。真崎訳は、カタカナで「ダンディ」。とはいえ、カタカナの 「ダンディ」とはちょっと違いそうである。日本語の「ダンディ」は褒め言葉だが、英語の dandy は「中身が無く服にしか 気を使わない人」という意味で茶化すニュアンスがあるそうだ
cottage hospital (p.163)
診療所(真崎訳)。主にイギリスで見られる田舎の小さな診療所で、住み込み医がいないのが普通 (ジーニアス英和大電子版)。もともと、田舎での応急手当の対応や地元民への親身の対応を目的とした ものらしい( Wikipedia「Cottage hospital」)。

Suchet テレビドラマ版

Suchet 版は第18話「誘拐された総理大臣」(脚本 Clive Exton)。

テレビドラマ版は、原作と異なる点がいろいろあるが、ほとんどすべて 原作が不自然なところを修正したのだろうと想像できる。 そうした修正の結果、ずいぶん原作よりストーリーとしては良くなっている一方で、 クリスティらしい洒落た感じが失われた部分もある。 原作の進行と対比しながら、そういう点をまとめておく。

原作の設定とその不自然な点などドラマ版の進行とその改変効果など
第一次世界大戦中という設定。しかし、戦争中にイギリスの首相が ヴェルサイユで演説をする意味がどれほどあるのか、あるいはそう簡単に首相がフランスに 行くことができたのか、不明である。 第一次世界大戦後に、首相がパリに行って国際連盟の軍縮会議に出席することになっているという設定。 ドイツの再軍備を阻止するのが目的。1920 年代から 30 年代初頭にかけて何度も国際的な軍縮会議が 開催されているという意味ではリアルな設定である。
夜の9時頃に Poirot のアパートに下院議長の Lord Estair と閣僚の Bernard Dodge が Poirot の アパートにやってきて、捜査の依頼をする。極秘の依頼にもかかわらず、Hastings も同席する。 いくら緊急の依頼とはいえ、状況が不自然ではなかろうか。 昼間、Poirot が洋服屋からアパートに戻ってみると、外務事務次官 Sir Bernard Dodge から呼び出しがかかっている。 そこで Poirot は、一人で役所に向かう。そこには Lord Estair もいて、Poirot は二人から捜査依頼を受ける。 こちらの方が、状況としては自然である。
捜査の過程で Poirot と Hastings と行動を共にするのは、Detective Barnes と Major Norman である。 捜査の過程で Poirot と Hastings と行動を共にするのは、Japp 警部と Sir Bernard Dodge である Japp 警部はいつもの登場人物、Sir Dodge は Poirot の捜査方法を見てイライラを募らせるお偉いさんということで、 ドラマの進行をユーモラスにするのに一役買っている。
捜査は、依頼を受けた夜9時に始まり、翌日夜9時がタイムリミットである。しかも、その間、一度フランスに渡り、 またイギリスに戻るということをしているために、最後に首相の居場所を突き止めるまでが異常に速く、 Poirot がどうやってそこを突き止めたのかもはっきりしないことになっている。 捜査は、依頼を受けた正午ごろに始まり、翌日夜8時半がタイムリミットで、32 時間余りの時間がある。 Poirot はフランスに渡らず、Dover でゆっくり推理をする。さらに、首相の居場所を突き止める過程がより 具体的に描かれている。Poirot は Daniels 夫人に目を付け、素性を探り、その父親の屋敷に首相が閉じ込められていると 推理する。
Poirot らは、夜中に Dover に行って、夜明けに Boulogne に着く。そこで Poirot は5時間熟考し、イギリスに戻る。 午後3時に London に戻って、すごい勢いで診療所を訪ねて回り、その後一直線に首相がいる場所に向かって、首相を救出し、 また一目散に飛行場に行く。London に帰ってからの行動が時間がいかにも足りなさそうである。 Poirot らは、まずイギリスにおける襲撃現場を検証し、Poirot は Dover で熟考する。フランスへは渡らず、 首相を診た診療所が存在しないことを確認する。その夜、Poirot はゆっくり寝る。 翌朝、Hastings に Daniels 夫人を尾行させるとともに、Daniels 夫人の素性を調べることで、首相がいるのは、 Daniels 夫人の父親の旧宅の廃墟であると推理する。
犯行の首謀者は Captain Daniels(ダニエルズ大尉)となっている。しかし、彼の犯行の動機が今一つはっきりしていない。 一応、彼はドイツのスパイで、連合国の会議を撹乱するためとなっているが、あまり詳しく書かれていない。なお、イギリス軍の階級は複雑で Wikipedia によれば、海軍・空軍では大佐、陸軍・海兵隊では大尉である。 Daniels は陸軍にいたという記述があるので、大尉となる。 犯行の首謀者が原作には登場しない Daniels 夫人に変わっている。彼女の旧姓はドナヒュー。アイルランド人で、 コネマラ伯爵の三女ということになっている。彼女は、アイルランドの愛国者で、イギリスを困らせるのが目的で、 ドイツの再軍備にはあまり関心が無い。Daniels 夫人は、最後に Erin go bragh(アイルランドよ、永遠に)と叫んで自決。 Daniels 自身については、従犯で、父親がアイルランド問題で失脚した政治家だったということにしてある。 というわけで、原作よりも動機に説得力を持たせてある。なお、Daniels の地位も Commander(海軍・空軍の中佐)に変わっている。 この改変の理由はよくわからない。
イギリスにおける首相の運転手は O'Murphy。彼はアイルランド人で、犯行の被害者。 運転手の名前をなぜか John Patrick Egan に変えてある。彼は、アイルランド人で、犯行グループの一人にしてある。
首相が救出されたとき、Hastings はそのことに気付かず、飛行場で初めて気付く。 この演出は、いかにも Poirot ものらしく洒落ているが、あまり現実的とは言えない。 首相が救出されたとき、そのことは当然 Hastings にもわかり、飛行場の場面は無い。 原作のお洒落な演出は無くなったが、より現実的ではある。

〈西洋の星〉盗難事件

Hastings が間抜けな役を演じてしまうユーモラスな一編。

以下、英語に関して2点。ページ番号は、電子版を全 275 ページで表示したときのページ番号。

One eye shall go West, the other East, till they shall meet once more. Then, in triumph shall they return to the god. (pp.15-16)
犯人がでっち上げたロマンチックな伝説。助動詞 shall を効果的に使って、いかにも厳めしい伝説風である。 試しに訳してみると「一方の眼は西に、他方は東に行くべし。やがて二つは再び相まみゆべし。さすれば、 二つは神のもとに凱旋すべし。」となった。
Chinaman (数か所)
犯人がでっちあげた盗難事件の犯人が中国人 (Chinaman) ということにされている。 辞書によれば、現在では Chinaman は侮蔑的な語と考えられているようだ。本小説の中での使われ方も 侮蔑的である。Christie の人種差別意識を反映しているのだろうか。Suchet テレビドラマ版でも Chinaman と言っている。

Suchet テレビドラマ版

Suchet 版は第19話「西洋の星の盗難事件」(脚本 Clive Exton)。

このテレビドラマ版は、「西洋の星」が盗まれる(ように見える)ところまでは、原作にかなり忠実だが、 事件解決部分を原作とだいぶん変えてある。

まず、登場人物関係で以下の改変がある。

次に、事件解決部分には次の大きな改変が加えられている。

百万ドル債券盗難事件

Poirot が4人の関係者に話を聞いただけであっさり債券盗難事件の犯人を当ててしまう話。

以下、英語に関して2点。ページ番号は、電子版を全 275 ページで表示したときのページ番号。

You are on the -- how do you say it? -- get-richi-quick tack, eh, mon ami? (p.96)
「きみは―なんと言うんだっけ?―そう、一攫千金でも狙いたいのか?」(真崎訳)。 get-rich-quick は「一攫千金の」という意味の俗語(ジーニアス英和大電子版)。 1890 年代から使用例がある (OED)。ということは、Christie の時代には比較的新語だったのだろう。 tack は、この場合「針路、方針、政策」という意味(ジーニアス英和大電子版)だが、 船が出てくる話なので、帆船用語の tack にも少し引っ掛けてあるのかもしれない。
Liberty Bond (p.96)
Wikipedia によると、Liberty Bond (自由公債)とは、第一次世界大戦で連合国(協商国)を支援するために、 アメリカ合衆国で販売された戦時公債だそうである。そういうものだとすると、なぜイギリスからアメリカに 送るという話になるのかがよくわからない。この Wikipedia の記述とは異なる Liberty Bond があるのだろう。

Suchet テレビドラマ版

Suchet 版は第22話「100万ドル債券盗難事件」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。

原作は、Poirot が関係者に少し話を聞いて回るだけで事件が解決してしまうという あっさりしすぎたものだったので、そのままではテレビドラマになりにくい。 そこで、このテレビ版では、犯罪の筋書きはほぼ原作通りでありながら、たくさんの 肉付けがなされている。その主なポイントをまとめておく。