新型コロナで寝込んでいる間に一気読みした。以前にも旧訳で読んだことがあって、
犯人も覚えていたのだが、事件の経過はおおむね忘れていたので、楽しく読めた。
今回は ITV の Geraldine McEwan 版のテレビドラマとの比較も行った。テレビドラマで変えられている部分は、
単にドラマ化上の都合(ドラマチックにするとか、放送時間に合わせるとか)もあるけれど、
原作の弱い部分を補強しているところもあって、それは原作批判とも言える。
メモ
以下のページ番号は、ハヤカワ・クリスティー文庫 kindle 版(全 346 ページ)に基づく。
- 事件が起こった年に関して
- 出版された 1957 年は、ちょうど 12 月 20 日が金曜日なので、事件の年の想定もその年だと考えておくことにする。
第 27 章に Miss Marple が、死刑が廃止になったのが残念だと言う場面がある。訳注によると、イギリスで死刑判決を
限定する法律ができたのが 1957 年、完全な死刑廃止は 1965 年だそうなので、出版後の未来予測をしているわけでは
ないとすると、やはり事件の年は 1957 年と考えるのが妥当そうである。
- 事件が起こった場所に関して
- Brackhampton という町は、架空の町のようだ。
- terrain (p.29)
- Miss Marple が汽車に乗って事件現場の「地勢」を確認しに行くという時に terrain という語が用いられている。
Miss Marple も、適切な単語は何だったかしら、と言いながら、terrain という言葉を頭の中で探してきている。
因みに地学用語としては、terrain は、特別な地質的あるいは物理的な特徴を持つ領域のことである (Oxford Dictionary of
Earth Sciences)。terrane (周囲を断層によって境され、隣接地域と地史や形成機構が異なっている部分;地学辞典)と
区別するときとしないときがあるようでややこしい。
- the New Statesman (p.38)
- 1913 年創刊の政治や文化に関する週刊誌。左寄りの権威ある雑誌らしい。
- granite (p.45)
- むろん花崗岩のことだが、硬いことや頑固なことの比喩として使われるようだ。ここでは、Elspeth McGillicuddy
が全く空想的ではない人物だということを表現するのに、She’s almost unsuggestible, rather like granite.
「暗示にかかりようがないのよ、まるで御影石みたいに」(松本訳)としてある。
- mare's nest (p.49)
- 直訳は「雌馬の巣」で、「あとで誤りとわかる大発見」(ジーニアス英和大電子版)のこと。
馬が巣を
作ることはないということから来ている。
- M.G. car (p.108)
- 1924 年頃発祥のイギリスのスポーツカー。Morris Garages の略。現在は、上海汽車 (SAIC Motor) グループ傘下。
- gay Paree (p.124)
- 「花の都パリ」(松下訳)。Quora
による説明。
- an Answer to Prayer (p.144)
- 「
切実な必要性に対する完璧な解決」(The Free Dictionary by Farlex)。「地獄で仏」(松下訳)。
- Ibiza, one of the Balearic Islands (p.172)
- バレアレス諸島は、スペイン東部沖の地中海に浮かぶ島々。その主要な島は、マヨルカ島、メノルカ島、イビサ島。
- Could I go upstairs for a moment? (p.334)
- 訳注によれば、お手洗いを借りるときの婉曲表現。
Wikitionnaire
でも本小説を引用して同様の説明がなされている。
ITV の Geraldine McEwan 主演テレビドラマ版と原作との主な相違点
ITV 版で脚本は Stephen Churchett、監督は Andy Wilson。
大筋では原作に沿っているものの、Miss Marple の活躍場面を増やしたり、
原作で弱かった部分を強化したりする工夫などが随所でなされている。
それらのうちで主なものを列挙していく。
- Anna 殺しの犯行日
- 最初の Anna Stravinska 殺しの日付が、原作では 12/20(金) であるのに、ITV 版では 12/4(火) になっている。
それは、おそらく Rutherford Hall で短期の家政婦の求人を出していた理由が原作では書かれていないためだろう。
ITV 版では、クリスマスには一家が集まって人手が足りなくなるからということで、その時期だけ家政婦が必要に
なったということになっている。そのような求人であれば、クリスマスの2週間以上前から出されていないとおかしいし、
雇用もクリスマスの1週間以上前から始めるだろうからということで、日付を早めたものと思われる。
- ITV 版では、12/4 は、Luther の妻 Agnes(原作には全く出て来ない)の命日ということになっており、Crackenthorpe
一家が集まる日になっている。犯人がこの日 犯行日に選んだのは、Crackenthorpe 一家の誰もが容疑者になり、
捜査を攪乱できるからである。番組冒頭には、10 年前の Agnes の臨終の場面が置かれている。
- 12/4 が火曜日になっているのは、犯行の年を 1951 年に設定しているからである。Agnes が死んだ直後に、
一家の長男の Edmund が戦死する。それが第二次世界大戦中の 1941 年という想定になっている。なお、
原作では Edmund が戦死したのは 1940 年である。
- 事件の始まりを早めたため、最後の場面をクリスマスにできている。これも Anna 殺しの日を早めた理由の一部だろう。
- 登場人物とその造形
- 原作では、警察側は、Scotland Yard の Craddock 警部が中心となり、部下の Wetherall 部長刑事、
地元警察の Bacon 警部、フランス警察の Armand Dessin と協力して捜査を進めていく。
ITV 版では、これらの人々が出て来ず、これらの人々がやることを Miss Marple と彼女と旧知の間柄の
Tom Campbell 警部がやることになっている。そのため、Miss Marple が活躍する場面が原作より多くなっている。
- Crackenthorpe 家の男兄弟の年齢の順番が入れ替わっている。原作では、年長から Cedric、Harold、Alfred だが、
ITV 版では Alfred、Harold、Cedric の順になっている。このことによって、Alfred 殺しの疑いが Harold に
かかりやすくなっている。というのも、Luther が死んだとき、家屋敷を相続するのは、最年長の男になっているからである。
原作だと、犯人が明らかになるまで、容疑は Crackenthorpe 家の人々に等しくかかっている。
- Luther Crackenthorpe が、原作ではケチで意地悪で偏屈な老人として描かれているが、ITV 版ではもっと普通の老人になっている。
- Cedric Crackenthorpe は、原作では芸術家気質の風来坊として描かれているが、ITV 版では画家を目指したものの挫折した
若者として描かれている。最後には、夢を諦めて、公務員になることを決意する。
- Pip Torrens 演じる Noël Coward がなぜか登場する(もちろん原作では出て来ない)。ITV 版で Lucy Eyelesbarrow が
最初に登場する場面が、上流階級の集まりで、Lucy が Noël Coward のピアノ伴奏で I Travel Alone を
歌っているところになっている。この I Travel Alone の歌詞は、Lucy の一箇所に留まらない生き方を象徴しているようだ。
歌詞の最後は、Free from love's illusion / My heart is my own / I travel all alone だから、恋愛には目もくれず、
自由に生きる女ということになる。この "I travel alone" という句は最後のところでちょっと引用され、Lucy は
多くの求愛には目もくれず、またどこかに行くのだと匂わせる。ところが、あにはからんや、
Lucy は、Tom Campbell の愛を受け入れるというオチになっている。
- 原作では Dr Quimper の下の名前はわからないのだが、ITV 版では David という名前を与えてある。
ドラマで実際に会話をさせるとなると、いつでも Dr Quimper だけでは不自然になる。
- 原作に出てくる Florence が ITV 版では出て来ない。原作では、Miss Marple は Brackhampton の Florence の家に
泊めてもらっているのだが、ITV 版では Tom Campbell 警部の家に泊めてもらっている。
- Anna の死体の隠し場所
- Lucy が死体を見付ける場所は、原作では納屋の中にある石棺の中なのだが、ITV 版では霊廟の中にしてある。
変更の理由を想像すると、ロケ地に霊廟(もしくは、そのように見える建物)があり、適当な納屋が無かった
というような撮影上の問題ではなかろうか。
- 納屋を霊廟にしたことで困ることがある。それは、Lucy がそんなところを探したことに関して、
Crackenthorpe 家の人々にどう言い訳するかという問題だ。原作では、家政婦として掃除をしないといけないと
思って行ってみたら、嫌な臭いがして、と言って、それ以上質問者が追及しづらくしている。
ITV 版では不眠症でという苦しい言い訳になり、しかも言い訳する場面は入れていない。Tom Campbell が
Emma からそのように聞いたというだけにとどめている。
- 犯罪の動機
- 犯人の犯罪の動機が明確化されている。そのことによって、犯人の悪人度が下がっている。
- 原作では、犯人は基本的には金のために人を殺している。Emma との結婚を目論んだのは金のためで、
重婚を避けるために Anna を殺し、遺産の取り分を増やすためにさして殺す必要のない Alfred と Harold を
殺している。そのため、犯人は極悪人だということになっている。
- ITV 版では、犯人は基本的に愛のために転落した。Emma との婚約は、本当に Emma を愛していたためで、
重婚を避けるために Anna を殺した。Mrs M. Crackenthorpe 宛の領収書の切れ端を偽造して庭の木の枝に
引っ掛けたところを Alfred に見られて強請られたため Alfred を殺した。
それに、犯人は Anna 殺しに関する Alfred のアリバイに関して嘘の証言をしているので、それがバレるのを
おそれた意味もあった。Harold 殺しは無くなっている。
- Alfred 殺しの後で、Harold が明確な動機のある容疑者として浮かび上がるようにしてある。
まだその段階では、霊廟の死体は Martine である可能性があった。Harold は、昔 Martine に性的暴行を
加えたことがあるという原作に無い話が加わり、その口封じのために Martine 殺しをするという動機がある。
Alfred が死ねば、Harold が家屋敷を相続することになるため、Harold には Alfred 殺しの動機もある。
- Miss Marple による推理の追加
- 原作にない Miss Marple の推理が追加されている場面がある。
- Miss Marple は、検死報告書の足の記述から、霊廟で見つかった死体はバレリーナだと推理する。
原作にはこのような推理が無く、死体が誰なのか最後になるまで明確にならない。
この変更は、原作の不備を指摘したことになっていると思う。
- Lady Stoddard-West が Martine だという推理を Miss Marple が行い、彼女を連れてくる。
原作では、Lady Stoddard-West は、自主的にそのことを Emma に言いに来るのだが、
ITV 版では、Miss Marple が連れてくることになっている。推理の根拠は、息子の James が
フランス語を話すことと Bryan が Edmund の死後も Martine に会ったことがあるということだった。
この変更は、Miss Marple の活躍の場を増やすために加えられたのだと思う。
- 最後に Mrs McGillicuddy にこの人が犯人だと言わせる場面の変更
- 原作では Rutherford Hall の中で、犯人が Miss Marple の喉を診るようにしむけて、そのようすを
Mrs McGillicuddy にこの人が犯人だと言わせる劇的な演出がされている。
ITV 版ではさらに劇的度合を上げて、並行して走る列車の中というシチュエーションを再現して、
Mrs McGillicuddy にこの人が犯人だと言わせている。現実的に考えると、ちょうどいいタイミングで
2つの列車の目当てのコンパートメントを隣り合わせにさせるのは神業でほぼ不可能だと思うが、
ドラマチックにしたかったということだと思う。
- 列車のコンパートメントには Lucy, Miss Marple, Bryan, Cedric, Emma, Dr Quimper がいて、
原作と同様、フィッシュペーストのサンドイッチを食べて、Miss Marple が喉に魚の骨が引っ掛かったふりをする、
ということになっている。
- Lucy の恋の行方
- Lucy Eyelesbarrow は美人で賢いので、周囲の男どもが言い寄る。原作でも ITV 版でも主に二人が争うのだが
その組み合わせが違う。
- 原作では Bryan と Cedric が残る。Lucy がどちらを選ぶかは書かれていないが、私は Bryan になる気がする。
- ITV 版では Bryan と Tom が残る。Lucy は、はっきり Bryan に別れを告げ、Tom を選ぶ。といっても、
ドラマの事後譚として、やっぱりまだ自由を選ぶという結末になってもおかしくはない気もする。