クリスマス・キャロル

著者Charles Dickens
訳者池 央耿(いけ ひろあき)
シリーズ光文社古典新訳文庫 K A テ 1-1
発行所光文社
刊行2006/11/20(初版第1刷)
文庫底本刊行2008/02
原題Christmas Carol
原出版社Chapman & Hall
原著刊行1843
入手九大図書館で借りた
読了2024/02/29
参考 web pages

クリスティの『ポアロのクリスマス』を読んだのをきっかけに読んでみた。『ポアロのクリスマス』と どういう関係にあるかは そちらの読書録を見られたい。私は、『クリスマス・キャロル』自体は子供の頃に(子供用バージョンかもしれないが) 読んだことがあるはずなのだが、どんな話なのかほとんど忘れていた。Scrooge という名前に微かに聞き覚えが あるかなという程度であった。

小説の筋はネット検索すればすぐにわかる。誰が読んでも心温まる物語である。 大人になってから読むと、Scrooge があまりにもはやく改心するのが不自然な気がしなくもないが、 それ以上に感動的なので、素直に読めば気にならない。寛容の精神をいつでも忘れないために、 時々読み返さないといけない物語なのかもしれない。

「訳者あとがき」の「スクルージは断じて悪人ではない。」という指摘にははっとした。不注意に読むと、 悪人が改心して善人になる物語に読めてしまうが、そうではない。Scrooge はひねくれた守銭奴だが、 最初からずっと悪人ではなく、最近の自己責任論やら新自由主義やらに通じる通俗道徳の権化なのである。 貧しいのは本人が悪い、節約は正義だ、といったような考えの持ち主なのである。それで、甥の Fred に 「考えてみれば、気の毒な人だよ。」(池訳)と言われている。その意味で、現代日本のカリカチュアとも言えるかもしれない。

以下では、翻訳の問題や描かれているクリスマスの風物や気になった場面などに関して調べたことを注釈的に書いていく。 以下、ページ番号は文庫版(本文の終わりまでが全 168 ページ、巻末解説、年譜、あとがきまで入れて 192 ページ)に基づく。 「森田訳」としているのは、青空文庫にあるもので、底本は岩波文庫 (初版 1929 年、使われているのは 1936 年の第10刷)である。 池訳は、すっと読めないところがけっこうあって、古い森田訳の方が良い場面も散見される。

surplus population (p.23)
余分な人口。Scrooge は、救貧院で受け入れられない人など「余分な人口」なのだからさっさと死ねばいいと言う。 しかし、後に (p.102)、Cratchit 家の Tiny Tim がやがて死ぬ運命なのだ、それで「余分な人口」が減るから良いではないかと 精霊に言われて、Scrooge は自分の言ったことを深く後悔する。それは感動的な場面の一つである。
God bless you, merry gentleman! May nothing you dismay! (p.25)
第一節で若者が Scrooge の事務所の鍵穴の外から歌う讃美歌である。通常の歌詞は少し違っていて God rest ye, merry Gentlemen, Let nothing you dismay. と始まる。私でも メロディーを知っている から今でも有名な讃美歌だ。 イギリスの伝統的な讃美歌のようだ。森田訳は英語の意味に忠実に「神は貴方がたを祝福したまわん、愉快そうな紳士方よ、 貴方がたを狼狽せしむる者は一としてなからん!」、池訳では音節数を合わせて「恵みあれ、祝(ほが)え!憂うなかれ!」としてある。 一方、 日本でよく使われている歌詞は「世のひと忘るな クリスマスは」のようである。
Valentine, and his wild brother Orson (p.58)
第二節で、子供向けの物語の幻影が出てくるところで、「アリババ」と「ロビンソン・クルーソー」と並んで出てくるのが、 この「 ヴァレンタインとオーソン」である。日本ではあまり知られていないように思うが、イギリスでは知られているのだろう。 カロリング物語群の一つということらしい。
She died a woman, and had, as I think, children. (p.63)
「彼女は一人前になって死んだ。そして、子供達もあったと思うがね」(森田訳)。 これに対して、Scrooge は「一人です (One child)」(森田訳)と応じる。 "She died a woman" の意味は、ネット上の質問箱 Quora にあった解答によれば、「彼女(Ebenezer Scrooge の妹の Fan) は、 (少女の時ではなく)大人の女になってから死んだ。」ということのようである。だから、この森田訳のようになる。 あるいは「彼女が死んだのは、大人になってからだ。子供も何人かいたような。」(拙訳)のような感じでも良いかもしれない。 池訳は「女の手本で一生を終えた。たしか、子供がいたな」で、少し変である。
Welsh wig (p.64)
「ウーステッドのニットの帽子」(池訳)。 19 世紀にはよくあった毛編物の帽子のようでこんな形をしていた。
Sir Roger de Coverley (p.67)
イギリスの 伝統的な踊りとのこと。
“Spirit,” said Scrooge submissively, “conduct me where you will. (以下略)”(p.86)
『「精霊殿!」と、スクルージは素直に云った、「どこへなりともお気の向いた所へ連れて行って下さいませ。(以下略)」』 (森田訳)。この森田訳は素直で自然だ。ところが、池訳では『「それはな…」スクルージはむずかるでもなかった。 「どこへなりと連れていけばいい。(以下略)」』と Scrooge の態度が傲慢な感じになっている。ここは submissively と 書いてあるのだから、Scrooge の態度はすでに従順になっているとした方が自然なはずだ。池訳では、おそらく 言葉遣いが丁寧でないところを重視したので傲慢な感じになったのだろう。言葉遣いが粗野でもへりくだった感じが 出せれば一番良さそう。
every house expecting company, and piling up its fires half-chimney high (p.106)
池訳が「暖炉の焚きものを煙突の半ばまで積み上げて客を待っている家」となっていて、焚きものを煙突の半分まで 積み上げたら煙突が詰まっちゃうじゃないかと思って困惑した。原文は fires なので、「焚きもの」ではなくて 文字通り「炎」だと考えられる。そこで「暖炉に炎が高々と舞い、お客さんが来るのを今か今かと待っている家」(拙訳) くらいの方が良いであろう。
I no more believe Topper was really blind than I believe he had eyes in his boots. (p.115)
訳すのが難しい構文。英語を見てから池訳の「トッパーは、ブーツの甲に目があるはずもなかったが、 目隠しをしても目明きと同じだった。」を見ると間違いとも言えないことが分かるのだが、この池訳だけでは 何を言っているのかわからない。おそらく「トッパーは、目隠しをしているのに、 ブーツに目が付いているんじゃないかと思うほど目が見えているみたいに動いていた。」(拙訳)とでも 訳したほうが良かっただろう。
for the sharpest needle, best Whitechapel, warranted not to cut in the eye, was not sharper than Scrooge; blunt as he took it in his head to be. (p.117)
これも翻訳が難しいところで、池訳も森田訳も間違えている。ネット上の質問箱における議論 (その1その2)の収束点を参考にして正しい意味を探っていく。ポイントを いくつか見ていこう。
  1. London の Whitechapel 地域は、針の製造で有名だったようだ。
  2. warranted not to cut in the eye は、針孔の内側の仕上げが滑らかで糸を切ることが無いことが保証されているということであるようだ。
  3. 針や刃物が sharp (鋭い) と blunt (鈍い) ということと、人が sharp (頭が良い) と blunt (態度がぶっきらぼうだ) ということが ひっかけられている。日本語の「鋭い」は「頭が良い」の意味で使えるが、「鈍い」には「態度がぶっきらぼうだ」の 意味が無いので、直接的な翻訳ができない。
  4. take it into one's head to do sth は、「(他の人が馬鹿げていると思うようなことを)しようと決める」(OALD) という意味。
以上のことを踏まえて訳すと、「スクルージの頭の鋭さは、針孔の仕上げが良くそこで糸が切れることが無いという最高級の ホワイトチャペル針にも勝った。にもかかわらず、彼は粗野な育ちの悪さを装っていた。」(拙訳)くらいであろうか。
“Deny it!” cried the Spirit, stretching out its hand towards the city. “Slander those who tell it ye! Admit it for your factious purposes, and make it worse. And bide the end!”(p.122)
これは第二の精霊(現在の精霊)が貧困を象徴する二人の子供を Scrooge に見せて、Scrooge を叱責する場面である。 この台詞の中の it が何を指すかが問題で、いろいろ考えてみると、このサイトで解釈されている通り「貧困と格差が捨て置かれている現状」を 漠然と指していると考えるのが良さそうである。そうだとすると、精霊の言葉の訳としては「この現状から目を逸らし続けるがいい! この現状をお前に教えてくれる奴らのことは中傷してやれ!この現状をお前の信じるイデオロギー(新自由主義みたいなやつ)の ために容認して悪化させるがいい!するとその結末がどうなるか見ていろ!」(拙訳)となる。 なお、池訳では、make it worse 以外の it は、その前に語られている Doom(破滅)を指すようになっているが、あんまりしっくりいっていない気がする。