谷川俊太郎詩集

著者若松 英輔
シリーズNHK 100分de名著 2025 年 5 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2025/05/01(発売:2025/04/25)
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2025/06/02

谷川俊太郎と言えば日本を代表する詩人だし、以前にも『二十億光年の孤独』を読んだ。みずみずしい感性が印象的だった。

谷川の詩がどうして愛されるのか、読んでみるとすごくよく分かる。平易な言葉選びをしていながら、 イマジネーションがぱっと膨らむ。汚さが無くて、ずっと子供の感性が続いているような清潔感がある。

老いた谷川が死を詠んでいる『臨死船』でさえ以下のように、ある種清々しく終わる。

ここからどこへ行けるのか行けないのか
音楽を頼りに歩いて行くしかない
死の寂しさが描かれているのだけれども、そこには音楽が流れているのだ。葬送曲ではないと思う。 澄んだ爽やかな音楽に違いない。

「はじめに」によれば、番組を企画したときには、谷川にも出演してもらう予定だったという。 それが、昨年9月に亡くなったので叶わなくなったとのことで、残念なことであった。

『100 分 de 名著』の公式ウェブページが 最近改悪されてしまったこともメモしておく。以前は、ディレクターによるエッセイが放送の前後に 書かれていて楽しく読めたのだが、「インターネットサービスに関するルール変更に伴い、 この公式ページに関しては4月1日以降、現在進行形で放送中の内容に関する情報のみに絞って情報を 掲載させていただく形になります。」だそうで、ディレクターのエッセイは放送前のものだけになってしまった。 しかもせっかく作ってあった過去のアーカイブにもアクセスできなくなった。 今の NHK 上層部はウェブページの作り方もわからない老害のようである。 せっかく職員がコツコツ作っていた資源をぶち壊しにしてしまうとは、気が狂っているとしか言いようがない。 ウェブページは、昔からボトムアップで内容を充実させていくもので、トップダウンで統制すると 内容がやせ細ってしまう。 安倍政権以来、NHK 会長が財界から選ばれるようになったが、その多くは失敗人事であった。 金儲けマインドが染みついた人間に公共放送を任せるのが間違いである。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 詩人の誕生

愛される谷川俊太郎
谷川は、「鉄腕アトム」の作詞者。
今回は、2013 年の『自選 谷川俊太郎詩集』(岩波文庫)を取り上げる。
谷川はわかりやすい言葉で詩を書いたので、自分でも詩を書いてみようと思う人が増えたのではないか。
「二十億光年の孤独」
詩と自由に向き合うべし。
「二十億光年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」;伊集院「誰かがうわさをしているとくしゃみをする、 ということから考えると、孤独なんだけど同じことを考えている人がいる、というようなことではないか。」
この詩は、谷川が 18 歳の時の作品。後年の谷川自身の言葉によれば、 当時、自分の座標を決めたいと思って、宇宙の中の自分を意識した作品。
谷川の生い立ち
1931 年、哲学者谷川徹三の息子として生まれる。
少年期、子供社会に馴染めなかった。
高校生の時、友人に誘われて詩作を始める。
父親の徹三が息子の詩の才能を認めた。
「かなしみ」
「何かとんでもないおとし物を」;若松「人は何を落としてしまったかがわからない。」
若松「われわれは愛するものを失った時に悲しいと思うものだから、その失ったものへの愛を含んでいる。」
「悲しみは」
若松「かなしみは、われわれの根本的な感情。」
「愛 Paul Klee に」
「むすばれている」;若松「愛は、結び付き。結び付きが無くてはならないのに、世界は分断されている。」
「イマージュ」;若松「イマージュは、他の人から与えられるものではなくて、その人の中から湧き上がってくるもの。 そういうものがあるからこそ、われわれは詩を書く。」

第2回 「生活」と「人生」のはざまで

『スイミー』
レオ・レオニの絵本。日本では、谷川俊太郎の翻訳で 1969 年に出版。
このころ谷川は子育てをしていた。
1960~70 年代の谷川
このころ谷川は 30~40 代。生活の中の詩が生み出される。
「ここ」
日常のくつろぎや幸せを綴っている。谷川は、幸せな家庭生活を送っていた。
「ここ」;若松「ここは「今」でもある。今を生きるほかない。」
「くつろいで」;若松「ここは安心な場所だと思った時、本当にくつろげる。」伊集院「ここまで 「くつろいで」と書くということは、本当にくつろいでいないのではないか。」
「ほほえみ」
「ほほえむことができるから/ほほえみで人をあざむく」;伊集院「笑う余裕もない人が笑っているときは、 人を欺こうとしているのだろう、とも読める。」
「anonym1」
「書けないのなら/書けないと書かねばならない」;若松「詩には何らかの意味の真実味が無いといけない。 これは谷川にとっての実感だと思う。」
「木」
木がモチーフ。
モチーフ(動機)とは、我々の内にあって我々を表現に向かって突き動かすもの。
若松「谷川は、木を見て「存在するとは不思議なことだな」と思ったに違いない。」
「永遠の謎なのだ」;若松「「永遠の謎」こそがモチーフ。」
若松「1本の木をみんなの富に変えるのが芸術。」

第3回 ひらがなの響き、ことばの不思議

ひらがなの詩
1980~90 年代、谷川はひらがなの詩を多く作った。
1970 年代、谷川に「マザー・グース」の翻訳の仕事が舞い込んだ。それをきっかけに、谷川はひらがなの詩を書くようになった。
若松「ひらがなで書くと、意味が限定されにくくなる。さらに、ひらがなの詩はゆっくり読まざるを得なくなる。」
「なくぞ」
伊集院「「ぼく」は、子供じゃなくて神様のような感じもする。」
「にじ」
若松「その人が今思っていることはその人の心の中にしかない、ということを谷川は言いたいんじゃないか。」
伊集院「世界を終わらせることはあなた自身にはできません、と言っているようにも感じる。」
「さようなら」
若松「この子は亡くなっていくのかな。」
「おに」
伊集院「子供向けに書かれたものが、大人にも刺さる。」
「十二月」
「わたしにください」;若松「この一節が繰り返されるうちに、「わたし」が自分を超えて人と共に生きる人間に広がってくる。」

第4回 こころとからだにひそむ宇宙

「理想的な詩の初歩的な説明」
還暦を過ぎた谷川の詩。
詩を経験するのはほんの一瞬だと書いてある。
1990 年代の谷川
谷川「実生活と詩人としての生活がごちゃまぜになってくるのには問題がある。」
谷川は、1996 年から 6 年間、詩作から離れる。その間、谷川は、詩と音楽を融合させた朗読ライブを行った。
「言葉は」
若松「谷川は、これを書くために 6 年間沈黙したのではないか。」
若松「言葉には「葉」という字が入っているように植物的。言葉は、植物的に変容する。」
「臨死船」
あの世への旅をユーモラスに綴った詩。153 行の長い詩。
若松「死が、懐かしいところに帰って行くように感じられる。『銀河鉄道の夜』も思わせる。」
「生まれたよ ぼく」
「生まれたよ ぼく/やっとここにやってきた」;若松「われわれは生まれる前から存在しているということが描かれている。」
若松「赤ちゃんのはずなのに聡明。人間の存在の尊さが描かれているのではないか。」