華氏 451 度

著者Ray Bradbury
訳者伊藤 典夫
シリーズハヤカワ文庫 7353、SF1955、SF フ 16 7
発行所早川書房
刊行2014/06/25、刷:2021/05/15(14刷)
原題Fahrenheit 451
原出版社Ballantine Books
原著刊行1953/10/19
入手福岡大名のジュンク堂書店で購入
読了2026/08/31
参考 web pagesYouTube TED-Ed による紹介

以前、NHKの「100分de名著」で 本書が取り上げられたとき、読もうと思って買ってあったのだが、積読になっていた。 それを持病で短期入院をしたのを機に、一気読みした。が、入院後忙しくて、 読書録を書かずにいたところ、1か月以上経って、たまたまラジオドラマとなったので (NHK-FM「青春アドベンチャー」2026/08/17-21, 15 分×5 回)、 それを聴きつつこれを書くことにした。

物語は、焚書が行われるディストピア小説である。その国(未来のアメリカが想定されている)では、 焚書が行われ、思想統制が行われている。その中で主人公で焚書を行う昇火士 (fireman) の Guy Montag は、 本の重要性に気付き始め、上司を殺してしまい、追われる身となる。そして、本を口承で伝える グループの一員となる。そこで、戦争が始まり一瞬で終わった。都会から離れていた口承グループは 生き延びた。小説は未来への希望を仄めかして終わる。

NHKの「100分de名著」で 本書を解説した戸田山さんがつい先ごろ亡くなった。科学哲学をわかりやすく解説してくれることでは 右に出る者がいなかったと思う。「100分de名著」でも科学哲学の名著の解説を聞きたかった。 ところで、「100分de名著」では、戸田山さんはこの小説の終わり方に批判的であった。 というのも、戦争が一瞬にして愚かな指導者と人民を消し去り、考える力を失わなかった選民が生き残るという いわば選民思想になっているからである。必要なのは啓蒙だと戸田山さんは書いている。

現代社会において知性への信頼を取り戻し、「みんなで賢くなって、不幸から抜け出そう」という 《啓蒙》の営みをどのようにして再び立ち上げることができるのか。 (戸田山和久「100分de名著」)

印象的なことばの引用

印象的な部分をいくつか引用してみる。

You always dread the unfamiliar.
人はいつでも風変わりなものを怖れるな。(伊藤訳, p.98)

Beatty 隊長の言葉。この後に続くところでは、だからいじめという現象が起こって、 結局人間は平等にさせられる。本を焼くということは、インテリが出てこないようにするため、 すなわち平等で幸福な社会を守るための重要な仕事なのだというふうに続く。 著者は、こういう一種の極左思想を Beatty 隊長に語らせている。

All isn't well with the world.
《すべて世は事もなし》というわけではないのだからして。(伊藤訳, p.176)

Faber の言葉。《すべて世は事もなし》(All's right with the world!) は Robert Browning の詩 「ピッパが通る (Pippa Passes)」の一節(上田敏訳)で、 この言葉はそれをひっくり返したもの。世の中は正常ではない、と言っている。

Beatty wanted to die.
ベイティーは死にたがっていた。(伊藤訳, p.206)

Beatty を殺してしまった Montag の心に起こった想念。原作では、Beatty が本当にそう思っていたか どうかはわからず、Montag の心の自己防衛の思い込みかもしれないが、ラジオドラマでは、 Beatty 自身が死ぬ前に「俺はもう疲れた。さあ引き金を引け。俺をこの苦しみから解放しろ。」 と言って、Beatty が本当にそう思っていたことにしてあった。

Even if she dies, I realized a moment ago, I don't think I'll feel sad. It isn't right.
たとえ彼女が死んだとしても、悲しいと思わないんじゃないかと、ついいましがた気がついて。 ふつうじゃない。(伊藤訳, p.259)

ここの「she 彼女」は、Guy Montag の妻の Mildred のことである。Montag は、もう妻とは心が離れてしまっている。 いつの間にか歯車が狂ったことに当惑している感じである。 ラジオドラマでは、ドラマチックにするために、Guy は、悲痛な思いで昔の妻のことを思い出すことにしてあった。

And the war began and ended in that instant.
そして戦争が始まり、その瞬間に終わった。(伊藤訳, p.263)

この小説の中では、大規模な戦争は一瞬にして終わる。実際、AI 同士で核報復戦争を行えば そういうことになるかもしれない。が、本当にありえそうな大規模戦争はもっと悲惨であろう。 戦争はなかなか終わらず、人々はあるいは飢え、あるいは病に倒れ、兵士たちはドローンに 虫けらのように殺され、国土は原発の放射性物質や汚染物質で荒廃する。人々の心も荒れ果てる。 そうしないためには … 一つにはこの小説で示されている通り、過去の思想や知識の集積を 大切にすることだ。過去を反省することなしに安定した社会を築くことなどできない。

ラジオドラマ

ラジオドラマ(脚色:大河内 聡 [おおこうち さとし])は、短い時間で原作よりもドラマチックに するための改変がなされていた。第1回目は、第1部前半。短縮があったり、わかりやすくするための 説明的ナレーションが入っているくらいで、大筋は原作通りであった。 第2回目は、第1部後半で、Clarisse の役割を増やすなどの改変があった。 第3回目は、第2部の短縮版となっていた。 第4回目は、第3部前半で、所々で原作にはない「伝道の書(コヘレトの言葉)」からの 引用を入れるという演出があった。 第5回目は、第3部後半の短縮版であったが、Guy Montag が昔の Mildred を悲痛な思いで 思い出す場面が強調されていた。原作では、Guy の心は Mildred と最後まで離れている。

opening
大規模な核戦争による世界の終末から始まる。そして、その 10 日前に戻り、 主人公の Guy Montag らファイアマンが本を焼く場面になる。
8/17 放送分(本書 48 ページくらいまで)
主人公の Guy Montag の家庭は崩壊していた。Guy の妻の Mildred は、一種の廃人となっていた。 この世界ではそれは珍しいことではなかった。そんな折、Guy は、人間味あふれる少女 Clarisse と出会う。
8/18 放送分(本書 56~116 ページのあたり)
ある老女が本とともに炎の中で死ぬ。ラジオドラマでは、老女が Martin Niemöller の反ナチスの詩 「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき (Als die Nazis die Kommunisten holten / First They Came)」 を唱え、Guy に旧約聖書を預けるという原作にはない演出がなされている。Guy はその後 Clarisse と会い、 老女が焼け死んだことのショックを話し、Clarisse にこれ以上本を燃やさないでと頼まれる。 そして二人は旧約聖書の「伝道の書(コヘレトの言葉)」の一節を読む。 これも原作に無い演出で、原作では Clarisse はその前にいなくなってしまっている。 いずれにせよ Clarisse とその家族は逮捕される(原作では Clarisse は交通事故で死ぬ)。 原作では Beatty 隊長は心が揺れている Guy Montag に長々と昇火士の由来を説明するのだが、 ドラマでは長広舌を披露するわけにもいかないので、 「伝道の書」の一節をそらんじて見せたりして、実はインテリであることを印象付けている。 なお、「伝道の書」は、原作でも Guy Montag が記憶することになる本であるという意味で、 大事な役割を持っている。
8/19 放送分(本書 119~187 ページのあたり)
Montag は妻と本の話をしようとするが、受け入れてもらえない。そこで、以前に会ったことがある Faber 元英文学教授のところに助けを求めに行く。彼はワイヤレスの通信イヤホンを Montag に渡し、 一緒に Beatty 隊長の話を聞こうと言った。Guy Montag が家に戻ると妻は友達二人と一緒にいた。 Guy が3人の前で詩を朗読すると、その場は大混乱になった。その後、Guy は昇火署に出勤した。 通報があって現場に駆け付けると、そこは Montag 自身の家だった。
8/20 放送分(本書 191~232 ページのあたり)
Montag は家に本を隠し持っていた。妻に通報されたのだった。Montag は家を焼かれた。 Mongtag は Beatty 隊長に殴られた拍子に、通信イヤホンを落としてしまう。Beatty 隊長に 発信元を突き止めると言われたので、Montag は Beatty を焼いてしまう。ここで、テレビドラマでは Beatty もまた本を読んでいて悩みの多い人物であったことが明かされるという演出がなされる。 原作に無い演出として、Beatty は最期に「コヘレトの言葉 11:6」の「朝に種を蒔き、夕べに手を休めるな。」を 唱え「歩みを止めるな。」と叫ぶ。この言葉は、最後まで時折使われる。
Montag は機械猟犬と警察に追われる。何とか Faber の家にたどり着き、反乱分子たちに合流するように 勧められる。原作に無い演出として、Faber は「コヘレトの言葉」の「すべてには時がある」 (3:01 天の下では、すべてに時機があり、すべての出来事に時がある。)を引用し、 お互いそれぞれ自分がやるべきことをやろうと言う。Montag と Faber はそれぞれの闘いを始める。
8/21 放送分(本書 233 ページのあたりから最後まで)
Montag は本を守ろうとする人々の集団に野営地で合流する。戦争が起きて、都市は一瞬にして 灰になった。本を守ろうとする人々は生き延びて、新しい世界へ向けて歩み出す。 最後は、原作と異なり、マルティン・ルターの言葉「たとえ明日、世の終わりが来ようとも、 今日私はリンゴの木を植えよう。」で締めくくられる。原作で最後に来ている引用は、 ヨハネの黙示録 22:02「川の左右に生命の樹ありて十二種の實を結び、その實は月毎に生じ、 その樹の葉は諸國の民を醫(いや)すなり」である。ラジオドラマの方が分かりやすくなっている。