本書は、ミステリー評論家霜月蒼氏によれば、クリスティーの全作品の中でも
ベスト10に入る傑作である。仕掛けはシンプルだが、ボイントン夫人の造形、犯人の意外さなど、クリスティーらしい作品とのことである。
本書は3月にも読んだが、
最近テレビ (NHK BS プレミアム) で David Suchet 版(脚本は Guy Andrews)を見たので、再読してみた。
本書のポイントは、(1) 前半の第一部は、ジェラール博士とサラ・キングの対話を通じた登場人物の心理分析
(2) 後半の第二部は、ほとんどの人が嘘を含んだ証言をしている中でポワロが真相を見抜く過程、にあると
思うのだが、Suchet 版は驚くことにこの両方を捨てていた。
おそらく1時間半のテレビドラマではそういう細かい心理劇はできないと見たのだろう。
3月の三谷版はそこまで原作を変えていなかったのだが、2時間半あったのでもう少し余裕があった。
Suchet 版では、中東という背景とおおまかな人間関係は原作と一緒であるものの、筋書きをかなり変えてあり、
ほぼ別の作品と言ってよいものになっていた。Suchet 版では、
原作では比較的単純だった犯人に関わる人間関係と殺害方法を複雑化することで、最後に複雑な真相と複雑な過去が暴かれて
視聴者を驚かすということに重点が置かれるものになっていた。
Suchet 版のことは、ネタバレ付きで後で書くことにして、まずは原作の引用に関する覚書から。
クリスティは、古典からの引用による味付けも特徴の一つである。この高橋訳はその点全く不親切なので、気付いたときに
書き留めておきたい。3月に読んだときに
気付かなかった引用をいくつか加えておく。
- 第一部第十章:テニスンの『軽騎兵隊の突撃
(The Charge of the Light Brigade) 』より
- Into the valley of Death / Rode the six hundred
これはクリミア戦争の
バラクラヴァの戦いにおける軽騎兵旅団の突撃の場面を称えた愛国的な詩の一節である。
『新体詩抄』では『テニスン氏軽騎隊進撃ノ詩』として取り上げられ、上の一節は「死地に乗り入る六百騎」と訳されている。
『死との約束』では、サラがペトラに行く道中で馬に乗りながら、Down into the valley of death という言葉を思い浮かべる。
悲劇の予感である。高橋訳は「死の谷へと降りて行くのだ」。
- 第二部第四章:シェイクスピアの『ハムレット』より
- Something is rotten in the state of Denmark (1幕4場)
マーセラスとホレイショ―が亡霊について行ったハムレットを追いかける場面で、マーセラスが言った言葉である。
これは、「何かが腐っている、デンマークでは」(河合祥一郎訳)、「この国のどこかが腐りかけているのだ」(福田恆存訳)
などと訳され、マーセラスはおかしなことが起こっていると直感している。
『死との約束』では、サラが He (Dr. Gerard) seems to think - と言ったのに引き続いて、ポワロが
That there is something rotten in the state of Denmark と引用する。
マーセラスと重ねて、ジェラール博士も犯罪の匂いを感じ取っているとポワロが言っているわけである。
高橋訳ではなぜか「デンマークの国に鼻もちならぬことがござる」と訳していて、意味がわからなくなっている。
翻訳の間違いというほどでもないけれど意味が取りにくくなっている箇所を一つみつけた。
- 第二部第十四章:ミス・ピアスの証言より
- 見かけたお嬢さんの髪の色が bronze だったと語っている場所がある。高橋訳では「青銅色」と書いて「ブロンズ」と
ルビが振ってある。私は、髪の色が「青銅色」ってどういうこと?と思ったのだが、ネット検索してみてわかった。
青銅色は、青銅に付く錆の色なので青緑色なのだが、bronze は錆びていない青銅の色で、磨いた十円玉のようなの色であった。
Suchet 版の特徴と筋書き
Suchet 版は、原作に比べて心理描写を大幅に削るとともに、人間関係と犯罪自体を複雑化している。
- グレビル・ボイントン卿の存在。原作では、ボイントン家の父親(エルマー・ボイントン)はすでに亡くなっているのだが、
Suchet 版では生きていることにしてある。ボイントン卿は、夫人に経済的な援助をしてもらっていて、
道楽で中東を発掘している。そこで、事件の舞台は、ペトラではなく、シリアの遺跡発掘現場となっている。
ボイントン卿が遺跡を発掘していて、そこにボイントン一家が集まり、のみならず、ポワロを含めた主な登場人物すべてが
見学に出かけることになっている。
- ボイントン家の構成は、父親以外も少しずつ変わっている。原作では、長男はレノックスでネイディーンと結婚しているのだが、
Suchet 版では、長男はレナードで、ネイディーン相当の人物はいない。末子のジニー(原作では、ジネヴラの愛称)は、
原作ではボイントン夫人の実子なのだが、Suchet 版では、ジェラール博士とセリア・ウエストホルム卿夫人の子供であることが
最後に明らかにされる。原作では、レイモンドとキャロルは、先妻の子供だが、Suchet 版ではジニーとともに養子。
- 原作では、ボイントン夫人は後妻で、子供たちを支配するのだが、Suchet 版では、ボイントン夫人は子供ができず、
養子をもらいうけ、「ばあや」を使って虐待をしている。
- 虐待された養子の中には出て行った者も多い。レスリー・ジェファーソン・コープはその一人だった(原作にはない話)。
コープは、レスリーという名前を隠して、ボイントン夫人に近づき、彼女がシリア旅行をしている間に良からぬ噂を流して
彼女の会社を潰す。
- 原作では、ウエストホルム卿夫人は元犯罪者で、それがバレることをおそれて元看守のボイントン夫人を殺す、
という(意外ではあるが)単純な事件である。一方、Suchet 版ではボイントン夫人は元看守ではなく、家庭内で養子の虐待を行っている。
Suchet 版では、セリア・ウエストホルム卿夫人は元犯罪者ではなく、ボイントン夫人がピアス夫人だったころのメイドだった。
自分の子供のジニーをボイントン夫人に奪われ、ジニーが虐待を受けていたことを知ったので、夫のジェラール博士とともに
ボイントン夫人殺害を行ったのだった。
- ジェラール博士は精神科医で、原作では、とくに前半で登場人物の心理分析を行う冷静な男なのだが、
Suchet 版ではその役回りは無く、元麻酔科医でもあるということにして、薬を巧みに利用してボイントン夫人の殺害に協力する。
- 原作でジェラール博士が心理分析で重要な役割を果たす理由の一つは、ポワロが第一部ではほとんど登場しないためなのだが、
Suchet 版ではポワロはずっと登場ずるので、心理分析の役割はほとんどない。
- 原作の殺害方法は、単に注射を使った毒殺なのだが、Suchet 版はもっと凝っている。ウエストホルム卿夫人がジェラール博士の
協力の下、毒を注射するのだが、すぐに死なないような調合にして、最後のとどめは、ウエストホルム卿夫人が刺すということに
なっている。
- Suchet 版では、さらにいくつかの原作にない小さな犯罪を混ぜてある。
- ジェラール博士は、幻覚を起こす薬を利用して、「ばあや」を精神的に追い詰め、バスタブで自ら溺死するように追い込む。
- 修道女のシスター・アニエシュカを登場させる。彼女は、実は人身売買組織の一味であることが明らかにされる。
ジニーを誘拐して売り飛ばそうとするが、ジニーに抵抗され失敗する。
- レナードが洗礼者ヨハネの偽の頭蓋骨を準備し、成果の上がらないボイントン卿の発掘を成功したかに見せようとしていた。
- 最後に、原作ではウエストホルム卿夫人は拳銃自殺する。一方、Suchet 版では、ウエストホルム卿夫人とジェラール博士は
自ら毒を注射して心中する。
- ミス・ピアスに相当する人物は、Suchet 版には出てこない。ただし、ボイントン夫人は、以前ピアス夫人だったとしてある。
- Suchet 版では、死神伝説がボイントン卿とポワロの間で語られる。遺跡の壁に物語が書かれている。
ダマスカスの酒場で男が死神と会う。
男はそこから逃げ出しサマーラにやってきた。男が井戸に向かうと、目の前に死神がいた。死神は言った。
「ダマスカスで会った時、私は驚いた。なぜなら、私はお前とサマーラで会うはずだったのだから。」
- 原作で、ポワロが事件を解決するのは、アンマンのホテルなのだが、Suchet 版では遺跡発掘現場である。
- カーバリ大佐は、原作ではアンマンの警察署長だが、Suchet 版では、外務省にやとわれて人身売買組織を壊滅させる任務を帯びている。