クリスティのデビュー作。以前にも読んでいて、デビュー作だけにイマイチだと思った記憶があるが、
今回は Suchet 版のテレビドラマを見ながら、ノートを取りつつの再読。
すると、実はきわめて凝った作品であることを認識した。
前に読んだ時、今一つ印象が薄かったのは、ノートを取らなかったせいかもしれない。
ノートを取ってみると、事件がかなり複雑に入り組んでいることが分かる。ノートを取らないと、
複雑すぎてかえって印象に残らなくなる。デビュー作なので、張り切って練り上げたのだろうが、
よほど注意深く読まないとごちゃごちゃする。そもそも殺害方法が何度か読み返さないとどうなっているのかわからない。
殺害方法の説明が一ヶ所にまとまっておらず、何カ所かに散りばめられているせいもある。
それらをまとめると以下のようになる。希薄なストリキニーネが入っている
液体の強壮剤に睡眠薬の臭化カリウムの粉末を入れると臭化ストリキニーネが沈殿する。
被害者は一度に大量のたくさんの強壮剤を作らせていて、それを少しずつ飲んでいた。
この大量の強壮剤に臭化カリウムを入れると、ストリキニーネ成分が沈殿し、底にたまった沈殿物は致死的になる。
そこで、強壮剤の最後の一滴を飲んだ時に、その沈殿物も一緒に飲めば死ぬ、というわけだ。
上手に沈殿物を貯められるか、そして、それを液体と一緒に被害者が飲んでくれるかどうかという疑問も残るものの、
ともかく凝ったアイディアではある。
なお、専門家による解説が
ここやここにある。
殺害方法が単純でない上、話を複雑化している要素がいくつかある。(1) 犯人が二人いること。(2) 殺害の瞬間、
犯人はどちらも現場にいないこと。(3) 下の [手がかり 10] に書いたように、殺害に関係ないストリキニーネが2つ
出てくること。ひとつは犯人が用意した目くらまし、もうひとつは作者が用意した目くらましである。(4) 犯罪とは
関係ない理由で Mary Cavendish と Lawrence Cavendish が嘘を言い、変な行動をすること。
―― Poirot がこれらの関門を突破して真相を明かすのは見事である。
推理小説評論家霜月蒼によると、
この小説は、世界で初めての「本格ミステリ」だそうだ。それまでの長編推理小説は、たとえば『バスカヴィル家の犬』が
怪奇活劇であるように推理とは別の要素で膨らませて長編になっているのに対し、『スタイルズ荘の怪事件』は
全編が推理要素でできている。同年に発表されたクロフツの『樽』と並んで、本格ミステリの先駆けだとのこと。
Poirot の登場と第一次世界大戦が深く変わっていることもこの小説で知った。Poirot は、戦争のため
イギリスに亡命したベルギー人の一人であると書かれている。さらに Hastings もおそらく第一世界大戦従軍で
負傷してイギリスに帰ってきたのだろう。
Suchet テレビドラマ版と原作との違いなどメモ
Suchet 版は第20話「スタイルズ荘の怪事件」(脚本 Clive Exton)。
全体的に言えば、この長編を1時間45分に納めるため、いくつか重要でない人物や映像としてつまらない出来事が
割愛されている。全体のストーリーはそれほど変えられていない。筋書きをわかりやすくするための変更もある。
登場人物
- Lawrence Cavendish が Cynthia と同じ病院で働いていることになっている。原作ではニート。
Suchet 版では Lawrence と Cynthia は最初から仲が良さそうである。原作では終わりの方に来ないとお互いに好きだということが
なかなかわからない。
- Dr Bauerstein は出てこない。その代わり Dr Wilkins が賢い医師になっている。
- 女中の Annie は出てこない。
- 庭師の Manning と Willum は出てこない。
- Alfred と Miss Howard は恋人同士ということになっている。原作では従兄妹。
- 原作では John と Mrs Raikes に間に不純な関係があったことになっているが、テレビドラマ版では無かったことになっている。
入り組んだ人情の話は省略され、単純化・明朗化されている。
日時
- 原作では 7 月の話なのだが、6 月に置き換えられている。原作の 7/16(月) は 6/18(月) に置き換えられている。
1917 年であることは確かなようである。この置き換えの理由はわからないが、一つの推測を書いておく。
最初の方で 1917 年 6 月 7 日からの Messines の戦いの映像が出てくる。Hastings はこれに関係して
傷を負いイギリスに帰ってきたのだとすれば、それからそう遠くない日ということで 6 月にしたのかもしれない。
- しかし、実は、ポワロ短編第1作の「
戦勝記念舞踏会事件」によれば、Hastings が負傷したのは Battle of the Somme で、
1916 年 もしくは
1918 年
でなければならない。7/16 が月曜日であることから、この事件は 1917 年のことと推測され、結局 Hastings が負傷したのは
1916 年の Battle of the Somme であると結論づけられる。もっともテレビドラマ脚本は、そのシリーズとして矛盾がなければ良く、
ドラマの「戦勝舞踏会事件」には Battle of the Somme の話は出てこなかったように思うので、Suchet 版での Hastings は
Battle of Messines で負傷したのだと考えれば、それはそれで構わない。
1 スタイルズ荘へ
- 冒頭、軍隊が出て来て、1917 年 6 月 7 日の戦争のニュース映像が出る。Hastings が傷病兵の一人としてそれを見ている。
そこに旧友の John Cavendish が訪ねてくる。原作では「ばったり出会った」としか書かれていない。
- Poirot が最初に出てくる場面は、軍隊が演習をしているすぐ横で、ベルギー人の亡命者が団体でやってきて話をしているという
妙な状況である。これは原作には無い。
- 次に Poirot が出てくる場面では、Poirot がベルギー人の亡命者を率いて村を歩いている。途中 Dr Wilkins と会う。
旧知の間柄らしい。これも原作には無い。
- Hastings と Mary が乗馬を楽しむ場面がある。原作では散歩。
2 七月十六日・十七日
- Hastings と Lawrence が Cynthia の病院に行く場面は割愛されている(そもそも Lawrence が病院勤務になっているので、
入れる意味がなくなっている)。
- Poirot と Hastings が出くわすのは、原作では郵便局の前。Suchet 版では郵便局の中。そこでは、マダム・デインティが
食材も販売している。
- 原作では事件後の証言で分かる Mrs Inglethorp と John との口論の場面がここに挟まれている。Dorcas と Mary が
それぞれ別の場所で外から立ち聞きしている。ただし、John の姿は映されておらず、後でわかるように Dorcas は
Inglethorp 夫妻の口論だと思っていた。
3 惨劇の夜
- Dr Bauerstein は出てこないので、Dr Wilkins が死因が strychnine だと言う。
4 ポアロ、乗り出す
- Poirot はこの時点で「夏なのに暖炉を焚いたようですね。温かくするため?でも何かを燃やすためかも」と
はっきり言う。原作ではもっと後になってから言う。
- 女中 Annie は出て来ず、彼女の証言内容も割愛されている。
- 捨てられた封筒の話も割愛されている。
5 「キニーネではないですか?」
- Evelyn Howard が Styles 荘に戻ってくる場面から始まる。その後で弁護士の Mr Wells がやってくる。
- Cynthia がコーヒーに砂糖を入れない話は省略されている。
- 庭師が遺言状に署名をした話は省略されている。
6 検死審問
- Suchet 版では Dr Bauerstein が登場しないので、代わりに Dr Wilson がその内容を証言している。
- Evelyn Howard の証言は省略されている。
7 ポアロ、借りを返す
- Poirot が Mrs Raikes に会いに行く場面が入れられている。そのとき John Cavendish が Mrs Raikes と
一緒にいたが、John は見つからないように裏から出て行く。
- Poirot は、月曜の夜 Alfred Inglethorp が Tadminster にいたという証言を複数得たと言っている。
原作では Alfred は Mrs Raikes と一緒にいたことになっている。
- 上の二つの変更は物語をわかりやすくするためと思われる。原作では、Alfred は Mrs Raikes とたいして
関係が無いにもかかわらず、月曜の夜は Mrs Raikes と一緒にいたということになっていて、アリバイ工作とはいえ
やや不自然である。Mrs Raikes と何らかの関係があったのは最初から John Cavendish だというテレビドラマ版の方が
すっきりしている。
8 新たな疑惑
- Poirot と Hastings が Tadminster に行く部分は省略されており、Mrs Inglethorp の葬儀の場面から入る。
原作では、葬儀は1行で終わってしまうのだが、テレビドラマ版では絵になるのでそれなりの長さの場面になっている。
- Poirot が Miss Howard に容疑者を見張るように頼む部分は省略されている。
9 バウエルスタイン博士
- Cynthia と Hastings が話をする場面以外は省略されている。
10 逮捕
- John Cavendish が逮捕される場面以外は省略されている。
11 告訴の申し立て
- 公判前のできごとは省略されており、裁判の場面から始まる。
- Poirot と Hastings は、裁判の傍聴を退席して歩きながら話をする。Poirot は、Mrs Raikes が John から
かなりのお金を借りていたと話す。これは原作には無い。
- Mrs Raikes も証人に呼ばれ、John との間に不純な関係は無かったと証言する。これも原作には無い。
原作では John と Mrs Raikes の間には不純な関係があったことになっている。
- Mrs Raikes 以外の多くの証言と弁護士の活躍の場面は省略されている。
- Poirot が慌てて Styles 荘に戻る場面が映像にされている。
- その後、strychnine を沈殿させる実験の場面が挿入されている。原作には無い。
- その後、Japp 警部が John の寝室から毒薬の瓶を見つけたと証言する。
12 最後の一環
- ここは比較的原作に忠実だが、Cynthia がコーヒーに砂糖を入れない話とか「余分な茶碗」の話は省略されているので、
コーヒー茶碗の数の話は出てこない。
- 事件の日、午後 4 時の Mrs Inglethorp と John Cavendish との口論に関しては、原作では John の不貞を咎めていたのに対して、
テレビドラマ版では John が Mrs Raikes に金を渡したことを咎めていた。
- 麻酔剤の話が省略されている。その話を入れる時間が無くなったのだろう。
13 ポアロの説明
- 説明の順番の違いや簡略化はあるが、ポイントとなる部分は原作通り。