日本独自編集の短編集で、 評論家霜月蒼によると、 底本となった短編集もアメリカ独自編集のものとのこと。ただし、ここにあるような初期短編はイギリスでは本にまとめられていないと 霜月は書いているが、1974 年にイギリスで Poirot's Early Cases が出版されており、本書と 11 作品が共通している。 以前に読んだ創元版短編集 とも 7 編が共通している。
本書に対する評論家霜月蒼の評価は低い。 ただし、Wikipedia によると、大半の作品は初出が 1923 年ということで、 クリスティのごく初期の作品だから、まだ後年の円熟味に欠けていたとしてもやむを得ないと言うべきではなかろうか。 というより、私はそんなに悪い作品群だとは思わない。シャーロック・ホームズの影響も色濃く見える習作と言えるだろう。 霜月がこの中では良いとしている『スズメ蜂の巣』は初出が 1928 年、『教会で死んだ男』は 1954 年ということで、 それらはクリスティが書き慣れてきた後の作品である。
Suchet 版テレビドラマを見ながら読んでみた。Suchet 版の中では Anthony Horowitz 脚本の「二つの手がかり」が 出色の出来である。ほとんど原作とは別物になっているのだが、クリスティの持っているお洒落感をさらに映像で 追求しているところが流石である。
戦勝記念舞踏会事件 The Affair at the Victory Ball
クリスティの記念すべき最初の短編である。舞踏会を舞台にしており、最後に犯人を皆の前で明らかにするところも ちょっとした芝居仕立てにしているところが洒落ている。以下、背景やら英語やらのメモ。
- 最初の短編だけあって、冒頭部分に Poirot と Hastings の簡単な紹介がある。Hastings が負傷したのは 第1次世界大戦の激戦であるソンムの戦い (Battle of the Somme) であったことがわかる。
- という背景なので、Victory Ball は第1次世界大戦の戦勝記念舞踏会である。
- Miss Coco Courtenay は cocaine の過剰摂取で死ぬ。Wikipedia によると、cocaine は 1880 年代のイギリスでは簡単に手に入るものだったらしい。 しかし、第1次世界大戦後ともなれば簡単には手に入るものではない、ということが事件の原因となっている。 cocaine の原料の coca は、もともとは Coca-Cola の原料でもあった。Miss Courtenay の愛称 Coco も coca を 意識して付けられたものだろう。
- ミスリードでユースタス・ベルテイン(新クロンショー卿)に悪い印象を与える描写は、原文では The sixth Viscount Cronshaw was a man of about fifty, suave in manner, with a handsome, dissolute face. Evidently an elderly roué, with the languid manner of a poseur. であり、宇野訳では 「ユースタス・ベルテイン子爵は、五十歳くらいの年配で、物腰はおだやかだが、端麗な顔立ちは自堕落な印象をあたえる。 ものうげな動作はやけに気障で、あきらかに、不良中年といった感じだ。」となっている。 suave は「温和な、物腰の柔らかい」(ジーニアス英和大辞典電子版)で、OALD 電子版によると、 あまり真面目ではないという含意もあるようだ。 dissolute は「ふしだらな、放縦な、自堕落な」、roué は「(年配の)道楽者、放蕩者、好色男」、 languid は「ものうい、けだるい、元気のない、熱意のない」、poseur は「気取り屋」。いずれもネガティブな印象を与える 単語が並べてある。
- ポワロが用意した芝居が始まる前にジャップ警部が言ったことに対して、ヘイスティングスが反応している場面がある。 宇野訳の「このセリフはこじつけだ、と、わたしは直感した」を読んだ時、意味がよくわからなかったが、 原文の I felt instinctively that Japp was straining the truth here を見ると「私の直感では、ジャップは間違っている」 くらいの意味だと分かった。to strain the truth は「事実を枉げる」という意味である。
Suchet 版では第29話「戦勝舞踏会事件」(脚本 Andrew Marshall)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 全体的に原作と大きく変えてある点は2つである。これに合わせて筋が変えられている。
- ポワロとヘイスティングスも戦勝舞踏会に参加しており、クロンショー殺害のときに近くにいたこと。 原作では、冒頭、すでに事件は起こっており、ポワロとヘイスティングスはまず新聞で事件のことを知る。
- 最後の種明かしの芝居が BBC ラジオの生放送で行なわれる。原作では、どこかの部屋である。
- 登場人物は、原作とほぼ同じだが、BBC ラジオドラマのディレクターのアカリーという人物が出てくるのと
いつものようにミス・レモンが出てくるところが違う。そして、ディグビー大尉が出て来ず、最後にアルレッキーノを
見たのはマラビー夫人にしてある。原作に出てくる登場人物でも少し人物造形が違っている人物がいる:
- ユースタス・ベルテンは、陶磁器コレクターで金が足りず、クロンショーに金を無心している。 原作では、コレクターかどうかも金に困っているかどうかもわからない。
- ココ・コートニーが、BBC ラジオドラマに出演している。
- デビッドソン夫人は、原作では夫のクリスと共犯になっているが、Suchet 版では夫の犯罪を知らず、夫に罪を 着せられそうになっているというふうに描かれている。原作だと、デビッドソンが逮捕された後、夫人がどこに行ったのか わからない。Suchet 版では、一緒に逮捕されるのでなければ無実のはず、という解釈にしたのであろう。
- 仮面舞踏会の衣装が画面で見られるのは、文章だけではよくわからないところなので楽しい。 アルレッキーノとコロンビーナは、パステルカラーの緑と紫と白と灰色の三角形模様の服を着ている。 パンチネルロとプルチネッラは、胴体は赤と黄、腕は赤、黄、青、黒の菱形模様の派手な衣装である。 ピエロとピエレッタは、白い服に緑のポンポンがたくさん付いている。
- ポワロとヘイスティングスが舞踏会にいたことにしたために変わっていることいろいろ:
- 食堂にあるカーテンとその奥のスペースの存在を、原作ではポワロは話を聞いただけで推理するのだが、 Suchet 版ではポワロは現場でジャップ警部に見せて注意を喚起する。
- ココ・コートニーの死体を見つける場面が入れてある。ココ・コートニーと連絡がつかず、 BBC ラジオの仕事場にも出て来ていないということで、ポワロがジャップ警部にココ・コートニーの アパートを調べさせる。鍵がかかっているので、警官がベランダから入ったところ、寝室で ココ・コートニーの死体が見つかる。クロンショーがココにコカインをやめさせようとしていたという推理は、 原作では最後の種明かしの時に述べられるのだが、Suchet 版ではポワロがココのアパートに駆け付けた時に述べる。
- クロンショーが握っていた緑色のポンポンを見つけたのは、原作では警察だが、 Suchet 版では、ポワロが後日改めてクロンショーの死体を調べて見つける。
- BBC ラジオで最後に種明かしというストーリーにしたことに関連して変わっていることいろいろ:
- 最初の方で、ココ・コートニーがラジオドラマに出演する場面が描かれている。
- クロンショーの死体の近くに LOWESTOFT と書かれたメモが落ちている。これは原作には無い。 種明かしによれば、これは犯人がユースタス・ベルテンに罪を着せるために書いたもの。 というのは、Lowestoft の磁器が有名だからである。犯人がこれを左手で書いているのを見られたことが、 犯人を特定する決め手になる。
- デビッドソンは、原作では、ピエロがすぐにアルレッキーノに変身できることを役者が示した途端、 自分が犯人であることを認める。Suchet 版ではデビッドソンが罪をなかなか認めず、クロンショーが右利きなのに対して、 犯人もデビッドソンも左利きであることが示されたことが犯人同定の決め手となる。
潜水艦の設計図 The Submarine Plans
重要文書取返し事件で、かつ首相に近い人物とその側近のような人物の近くで盗難が起こったという点で ホームズの『第二のしみ(読書録1、 読書録2)』に似た事件であり、 どちらも探偵の結末の付け方がかなり格好の良い作品として印象的だ。ホームズの方は、文書を取り戻したうえで、 首相には真相を明かさず、「ぼくたちにも外交上の秘密というものはありましてね」と言う。ポアロの場合、 その上を行って、次期首相候補に真相を明かさず、しかも文書を取り戻さずに
Lay the mystery on my shoulders. You asked me to restore the papers --- I have done so. You know no more.と言う。
[宇野訳] 今回の事件の謎の部分については、わたしにおまかせください。わたしは、大臣から図面をとりもどしてほしいと依頼されて ……その仕事をやりとげた。大臣のばあい、これ以上のことは知らないのです
この作品は、後に中編『謎の盗難事件』として 改作されている。そちらが Suchet 版のドラマ化をされている。
クラブのキング The King of Clubs
話のポイントは最後の方にあるポアロの台詞に集約されている。
Family strength is a marvellous thing. They can all act, that family. That is where Valerie gets her histrionic talent from. I, like Prince Paul, believe in heredity!
[宇野訳] 肉親のきずなとは、まことにもって、すごいものだよ。あの一家の者は、みんな、演技ができる。 ヴァレリーに演技の才能があるのも、いわゆる血のなせるわざなんだな。となれば、わたしも、ポール公と同様、 遺伝というものを信じざるをえない。
豆知識:
- ブリッジの「ラバー rubber」は2ゲームを先取することだそうだ。「三番勝負」と訳されている。
- オグランダー一家の家は Daisymead、ミス・マープルシリーズの舞台は St. Mary Mead である。クリスティは mead が好きだったのかもしれない。
翻訳で気付いた点:
- 窓の embrasure とは、窓が壁面より引っ込んだ部分に取りつけられているとき、その引っ込んだ部分のことを指す。 「斜壁」と訳されていて、勾配がある壁のことかと思い、窓との関係がわからなかった。
- オグランダー一家がブリッジをやっていた時の席に関する証言の矛盾は、この日本語版ではわかりにくい。 向かい合っていたはずのオグランダー嬢とオグランダー夫人が同じ席に座っていたと証言しているのが矛盾なのだが、 それがこの宇野訳ではわかりにくい。 宇野訳では、ポアロがオグランダー夫人に対して「フランス窓の方に面しているここの席からはミス・セントクレアの姿が みえなかったのでしょうか?」尋ねているのだが、この「みえなかった」の主語がオグランダー夫人なのかオグランダー嬢なのか はっきりしないので、矛盾しているのかどうかがよくわからない。英語だと主語が you なので、オグランダー夫人だと分かり、 オグランダー嬢と同じ席に座っていたという矛盾する証言をポアロが引き出していることが分かる。さらに、「面している」が 日本語だと窓を背にしているのか窓の方を向いているのかはっきりしないが、英語では facing the window(s) なので、 はっきり窓の方を向いている席だとわかる。
Suchet 版では第9話「クラブのキング」(脚本 Michael Baker, Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 全体的には、テレビ版では原作よりも事件の背景を明確にしてある。 原作では、ヘンリー・リードバーンの素性ははっきりせず、評判が悪い男で、ダンサーのセントクレア嬢が好きだと言っており、 セントクレア嬢を何かの秘密をネタにゆすっているということしかわからない。 テレビ版では、まず、セントクレア嬢はサンクレアと発音されており、ダンサーではなく女優である。 ヘンリー・リードバーンは、おそらく映画会社の重役か社長で、威張り散らすので、皆から嫌われている。 彼が握っているサンクレア嬢の秘密は、彼女の父親の旧姓がハートリーで、かつて不正を行なったことがあり、 それを隠すために苗字を変えたということだ。
- 映画会社関連の重要な脇役として、映画監督のバニー・ソーンダースと俳優のラルフ・ウォルトンという人物が テレビ版では創作されている。ソーンダースは、バレリー・サンクレアがモン・デジール荘に行く前にモン・デジール荘を訪れ、 その帰り道にウォルトンの車と衝突しそうになることから、この二人も容疑者である。ウォルトンは、リードバーンに 首にされそうになっており、リードバーンを恨んでいる。
- 原作に出てきた予言者ザーラの話はテレビ版では出てこない。テレビ版の方が合理的になっている。
- 原作では、オグランダー家の遺伝的資質が語られるが、テレビ版では遺伝の話は出てこない。 テレビ版では他人である俳優が一家を演じているので、遺伝の話をすると噓くさくなるためだと思う。
- 人物に関する細かい違いとして、オグランダー家の息子の名前は、原作ではジョンだが、テレビ版ではロニーになっている。 また、オグランダー家の父親と息子は原作ではひげを生やしているが、テレビ版ではひげは無い。原作では、娘の名前は出てこないが、 テレビ版ではジェラルディンとなっている。
- テレビ版の冒頭は、映画の撮影場面になっている。リードバーンがサンクレア嬢の演技に文句を付けている。 ソーンダースがヘイスティングスの旧友ということで、ポワロとヘイスティングスが撮影の見学にやってくる。
- モン・デジール荘とウィロウズ荘(原作ではデイジーミード荘)には、まずジャップ警部がやってきて、捜査を始める。原作ではジャップ警部は出てこない。
- モン・デジール荘で、原作ではライアン医師がポアロに説明するところを、テレビ版ではジャップ警部が説明している。
- テレビ版で最後にオグランダー夫人と会うのはポワロだけ(原作ではヘイスティングスが一緒にいる)。このとき、原作では、 ポアロは真相や推理を言わずに犯人が見つかることは無いと告げ、オグランダー夫人はポアロが真相にたどり着いたことを悟るのだが、 テレビ版では、ポワロは夫人に明確に推理と真相と告げる。
マーケット・ベイジングの怪事件 The Market Basing Mystery
他殺に見せかけた自殺という意味では、ホームズに『 ソア橋の難問』というのがあったが、 本作品では他殺に見せかけるのは自殺者と親しい人なのに対して、『ソア橋の難問』では他殺に見せかけるのは自殺者本人である。 本作品は後に肉付けがなされて中編『厩舎街の殺人』として 生まれ変わっている。Suchet 版ドラマ化されているのはそちらの方になっている。 やはり、後から書き直されたものの方が出来が良い。
細かすぎるけど、翻訳の疑問点: ポアロらが死体を初めて見た時、この宇野訳では「死体の主のプロザロー氏は、中年なのに、あごひげを生やし、 こめかみのあたりは白髪になっている」とある。これを読んだ時、中年だとあごひげを生やしてはいけないのかと理解に苦しんだが、 原文では「なのに」にあたる語は無く、単に Mr Protheroe had been a man of middle age, bearded, with hair grey at the temples. だったので安心した。
二重の手がかり The Double Clue
2つの証拠品のうち、一方が真犯人につながるもので、もう一方はそうではない。それを見抜くのがポイントである。 その証拠のシガレット・ケースについて:
- B.P. というイニシャルの入ったシガレット・ケースがあり、これが Bernard Parker のものに見えたが、さにあらず。 このイニシャルはキリル文字で、Vera Rossakoff(ロシア語では Bера Русакова)のものだったというのがポイント。 この手は『オリエント急行の殺人』 でも使われていて、ハンカチのイニシャルの H が、Helena Goldenberg のものに見えたが、 実際は Natalia Dragomiroff(ロシア語では Наталья Драгомирова)のものだった。
- そのシガレット・ケースは「タフタでできた」とこの宇野訳では訳されているが、原文は taffeta ではなくて moire である。モアレタフタというものもあるが、モアレとタフタは少しカテゴリーの違う語である。 モアレは木目のようなモアレ模様がある生地という意味で、材料は絹でなくてもウールでも綿でもかまわない。 タフタはもともと「撚糸で織った」という意味で、生地の種類であり、主として絹製である。 したがって、原文の black moire は色と模様に重点があるのに対して、タフタと言ってしまうと生地の種類に重点が行ってしまう。 なぜ、宇野訳ではタフタとしたのかよくわからない。
Suchet 版では第26話「二重の手がかり」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。このテレビドラマ版は、 原作をかなり改変してある。犯人とその盗みの手口は原作通りだが、その他はほとんど別の物語になっている。 Anthony Horowitz は、今をときめく推理小説家になっているが、かなり自由にドラマを作っている。映像を生かして、 ポワロが推理をはっきり語らず仄めかすという手法を随所で取り、捕物劇にするというありふれた映像化をせず、 犯罪者と名探偵とが互いを尊敬しあいながらお互いを追い詰めないというスタイリッシュな物語にしている。 もともとポワロものの短編は洒落た締めくくりが命である。Suchet 版(に限らず多くの映像化作品)では、 多くの場合、それを映像化するのは諦めて、原作にはない捕物劇を加えてある。ところが、この Horowitz 脚本は その逆を行っていて、ポワロが敵の手腕を認めて敵を逃がすことで洒落た雰囲気を出している。
- 最大の違いは、ロサコフ伯爵夫人の描き方である。テレビドラマ版では、伯爵夫人は、最初から最後まで上品な物腰の女性として
描かれる。
- ポワロは、ずっと伯爵夫人に付き添い、彼女が犯人だとは誰にも言わないし、本人を糾弾することもない。
- Suchet 版では、ポワロが「犯罪に乾杯!」などと言って真相を見抜いていることを仄めかしただけで、 伯爵夫人はポワロに盗んだ宝石を渡す。原作では、ポワロは、伯爵夫人に宝石を渡すようにはっきり言う。 さらに、原作では、伯爵夫人はしゃあしゃあとロシア人には浪費癖があるから金が必要だと言ってのけるが、 Suchet 版では、伯爵夫人はあくまでも貴婦人として振る舞う。
- ポワロは伯爵夫人の堂々たる態度に応じて、犯人が彼女であることを誰にも言わない。ポワロは、犯人は浮浪者だったことにしてしまって、 浮浪者が「落とした」宝石をジャップ警部に手に入れさせる。視聴者に対しては、犯人が伯爵夫人であることを仄めかすだけである。 原作では、真相をヘイスティングスに対して説明をする。
- ポワロは、伯爵夫人が宝石盗難のスペシャリストであることを認め、お互い別の場所で仕事をしましょうと言う。 最後に、ポワロは伯爵夫人がアメリカに向かうのを駅で見送る。そして、そのときにシガレット・ケースを返す。 それで、視聴者は伯爵夫人が犯人だったと察することが出来る。
- 全体的に、ポワロが伯爵夫人に淡い恋心を抱いているように描かれている。一緒にピクニックに行ったりする。 それで、ヘイスティングスとミス・レモンは、ドラマの途中で、ポワロが伯爵夫人と結婚して探偵をやめるんじゃないかと 心配している。最後の別れの時、伯爵夫人はポワロにキスをする。ちょっとしたラブ・ロマンスである。
- 登場人物とその役回りがだいぶん違う。
- 原作では、ヘイスティングスはいつも通りの聞き手で、最後には真相をポワロに教えてもらう。 テレビドラマ版では、原作では登場しないミス・レモンとともに、マーチン・ジョンストン、レディー・ランコーン、バーナード・パーカーの 聞き取り調査に行き、ポワロに報告する。さらに、ポワロが協力をお願いした私立探偵レドファーンが扮する浮浪者に 撃たれて軽傷を負ってしまう。ヘイスティングスは、最後までポワロに騙されたままであるが、 伯爵夫人がパーティーの時の歌手が日本人だったと勘違いしているのを不審に思う。
- 原作に出てこないジャップ警部が出てきている。彼は警視総監にプレッシャーをかけられ、 連続宝石盗難事件を解決しないと首になると言っている。 原作では、依頼人のハードマンが事件が表沙汰になるを嫌がっているので、警察は出てこない。
- 原作には出てこない浮浪者が時々出て来る。ポワロは、犯人は浮浪者であるということにして、 ヘイスティングスを含めた周囲の人全員を騙し、伯爵夫人を逃がしてしまう。
- 原作には出てこないレドファーンとブレイクという私立探偵が出て来る。 ポワロは、レドファーンに浮浪者に扮してヘイスティングスを騙すように依頼するとともに、 二人にアメリカに行く伯爵夫人のエスコートと監視を依頼する。
- レディー・ランコーンは、原作では、叔母が盗癖があるということで疑われているが、 ドラマ版では旧姓はビアトリス・パーマーストーンで、イニシャルが BP であることや、 夫人が借金をしていることが理由で疑われている。
- バーナード・パーカーは、原作ではいささか迂闊な青年で、手袋を落としたことになっているが、 ドラマ版はさほど迂闊には描かれていない。パーカーは、原作では手袋が自分のものだと認めないが、 ドラマ版ではあっさり認める。
- マーチン・ジョンストンへの容疑は、原作では、秘書の話から疑わしい点が無いということで晴れる。 ドラマ版では秘書は出て来なくて、宝石を買うために十分な財力があるからということで、疑いは晴れる。
呪われた相続人 The Lemesurier Inheritance
リムジュリア (Lemesurier) 家を襲う連続不審死事件をポアロが解決する。
この宇野訳には、1箇所血縁関係がおかしくなっているところがある。最初の方で、ロジャー・リムジュリアは 「ヴィンセント・リムジュリア大尉の従兄弟」と書いてあるのに、途中でヒューゴー・リムジュリアが 「わたしのいとこのロジャー」と言っている。ヒューゴーはヴィンセントの叔父だから話が合わない。 これは、ロジャーはヒューゴーの従兄弟という方が正しい。実は、最初の方は、原文では The dark young man, who had been introduced to us as a cousin, となっており、誰の従兄弟か明記されていない。 この文脈では、ヴィンセントの従兄弟ではなく、ヒューゴーの従兄弟である可能性もある。後の方のヒューゴーの 言葉は My cousin Roger だから、ヒューゴーの従兄弟が正しい。
Suchet 版テレビドラマは作られていないが、『 ヘラクレスの難業』にリムジュリアと似た名前の人物が出てくるらしい。
コーンウォールの毒殺事件 The Cornish Mystery
ポアロがあまり捜査をすることもなく、いきなりたいした証拠も無しに真相を出してしまうという筋書きなので、 推理小説としての面白みはイマイチな感じである。ポアロがどういう筋道で真相にたどり着いたのかよくわからない。 でも、説明されてみればポアロの説明は筋道が通っている。
Poirot、Hasgings と Jocob Radnor がホテルに来たとき、Hastings が飲み物を注文するところを宇野訳とともに見ておく。
[原文] I ordered two whiskies and sodas and a cup of chocolate. The last order caused consternation, and I much doubted whether it would ever put in an appearance.
[宇野訳] わたしは、ハイボールを二杯とココアを一杯、注文した。ココアときいて、相手は肝をつぶしたようだし、 これがはたして眼前に登場するかどうか、はなはだ疑問でもあった。
[拙訳] わたしは、ウイスキーのソーダ割りを二杯とココアを一杯、注文した。このココアという注文は、 世間に非常な驚きを持って迎えられた。それが果たして注文に応じて出てくるのか否か、私は疑問を禁じ得ない。
- ハイボール (highball) は、ジーニアス英和大辞典電子辞書版によれば、whisky [bourbon] and soda というのが普通だそうだ。 原文はその通り whisky and soda である。宇野訳では日本人向けに気を利かせて「ハイボール」にしている。
- put in an appearance を辞書で引くと、たいていは「義理でちょっとだけ会合やイベントに出席する」という意味が出ているが、 この場合は、推理小説なので、ジーニアス英和大辞典電子辞書版に第二の意味として載っている「出廷する」に引っ掛けてあるものと思う。 order に「注文する」と「命じる」の両方の意味があるのもポイントであろう。put in an appearance には、 命令に応じてしょうがないから出るというニュアンスがありそうである。
- そう思うと、consternation(驚き、仰天、うろたえ)という難しい単語が使われているのも理解できる。 裁判の報道で「世間に非常な驚きをもって迎えられた」のように書かれるイメージで書いているのであろう。
Suchet 版では第14話「コーンワルの毒殺事件」(脚本 Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- Suchet 版の中でも原作に最も忠実なもののひとつ。ただし、3箇所で原作に無い場面が付け加わっている。 原作では地の文で簡単に書かれていることとか、書かれていないけどそういう場面が当然あってよさそうなことである。
- ラドナーがポワロに手を引いてくれと言った後の 22 分ごろ 25 分くらいまで。
- ペンゲリー(宇野訳ではペンジェリー)夫人の葬儀の場面
- 遺言状を読む場面。遺産のほとんどは夫のペンゲリー氏に行くことが分かる。
- この後、ポワロとヘイスティングスがロンドンに戻り、3か月くらいが経つ。そして 27 分ころから 35 分ころまで。
- 棺を暴いて再調査が行なわれる場面。Japp 警部がいる。
- ポワロが事務所でヘイスティングスにコーンワル事件を報じる新聞を見せる場面。
- ペンゲリー氏が逮捕される場面。Japp 警部がいる。
- ポワロとヘイスティングスがコーンワルに戻る場面。
- 裁判の場面。ラドナーがペンゲリー氏に不利な証言をする。
- ポワロは、ペンゲリー氏を救うと Japp 警部に言う。
- 裁判の場面。アダムズ医師が胃炎と砒素と症状が同じだと言う。
- この後、35 分ころから原作に戻って、ポワロがホテルの部屋でラドナーを脅して自白書にサインさせる。
このとき原作ではポワロがたまたま外にいた二人の男を利用したのだが、テレビドラマ版ではヘイスティングスが
気を利かせてそれをしたことになっている。42 分ころから、原作が終わった後の顛末が少しだけある。
- ポワロとヘイスティングスが裁判所にラドナーの自白書を持っていく。
- ポワロとヘイスティングスは裁判所の外で Japp 警部と会うが、何も言わない。ポワロが去った後で、 警官が Japp 警部にラドナーの自白を知らせる。
プリマス行き急行列車 The Plymouth Express
ジャップ警部が犯人が与えた間違った手掛かりに見事に騙されるのに対して、 ポアロが犯人が行ったミスリードを見事に言い当てる。のちに『青列車の秘密』として長編化されているようだが、 これはこれで Suchet 版でドラマ化されている。
気付いた点をいくつか:
- 宇野訳では、プリマス行きの急行はブリストルの近くは通らないけれども、12時24発のはブリストルまでノンストップ、 とあって矛盾しているところがある。これは原文の The principal Plymouth expresses がちゃんと訳されていないせいで、 正しくは、プリマス行き急行の主要な便はブリストルの近くは通らないけれども、 12時24発のは(ちょっと北側に回り道して)ブリストルまでノンストップ、ということである。
- 被害者は morocco case(モロッコ革のケース)に宝石を入れていた。morocco case は、 シャーロック・ホームズの『四つの署名』 の冒頭で、コカインの注射器を入れるケースとしても出てくる。おそらく morocco case というのは、 大事なものを入れる入れ物としてイギリスでは長らくよく使われていたのだろう。
- ポワロの最後の決め台詞 ... though he has got his Gracie Kidd, I think that I, as the Americans say, have got his goat! はなかなか日本語に訳しづらい。get one's goat は「~を怒らせる、 いらだたせる」という意味で、he は Japp 警部だから、have got his goat は Japp 警部を怒らせたという意味である。 それを踏まえて、get his Gracie Kidd と get his goat が対句になるように訳すのはほぼ不可能である。 宇野訳では、意味を正しく伝えることに専念し、「ただし、グレーシー・キッドを挙げることには成功したものの、 わたしにあんな皮肉をいわれて、そう…アメリカ人たちのいい草どおり…だいぶ頭にきたはずだぜ。」 としてある。
Suchet 版では第23話「プリマス行き急行列車」(脚本 Rod Beacham, Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 大筋は原作通りだが、かなりいろいろ変えてある。
- 脇役の人物像が詳しくなっている。原作の冒頭部分の前にそうした登場人物の人物像を描く部分がかなり付け加えられている。
- テレビドラマ版では、被害者の結婚前の名前は、フロレンス・ハリデイ。原作では、フロッシー・ハリデイ。 原作では最初から死体なのだが、テレビドラマ版では生きていた時の様子が描かれる。夫のルパート・キャリントンとは 別居状態で、ロシュフール伯爵と仲良くしている。しかし、父親は伯爵との交際に反対である。 父親に男手一つで育てられたが、今や父親から独立したいと思っている。
- フロレンスの父親がゴードン・ハリデイである。オーストラリア人で、鉱山会社イエロークリークの会長で金持ちということにしてある。 原作では、アメリカの鉄鋼王エビニーザ・ハリデイである。原作では、娘を殺した犯人を捕まえてほしいとポワロに依頼するのだが、 テレビドラマ版ではその前段階がある。まず最初に、ロシュフール伯爵を娘から遠ざけてほしいと依頼する。 次に、メイドから娘が行方不明だという連絡が入って、ポワロに相談する。 その後で、娘が殺されたということが分かって、またポワロに相談する。
- フロレンスの夫のルパート・キャリントンは、原作では、単に競馬で財産を失った男というくらいで、 実際に登場することは無いのだが、テレビドラマ版では登場する。最初の場面でフロレンスとのよりを戻そうと、 ハリデイのマンションにやってくる。でも、フロレンスにはすげなくされる。 途中、ルパートが競馬で金をすって飲んでいる場面がある。ノミ屋から逃れているらしい。 ヘイスティングスは、酒をおごってやり話を聞く。その結果、ヘイスティングスはルパートが犯人だと考える。 ルパートは競馬ですって、ノミ屋に払う金を夫人に出させようとしたが、断られ、夫人を殺して宝石を奪った、という推理だ。 最後の場面では、ルパートは、金目当てではなく本当にフロレンスを愛していたことが分かる。
- ロシュフール伯爵は、原作では、単に若い女性の心をつかむのが上手い山師というくらいで、 実際に登場することは無いのだが、テレビドラマ版では登場する。伯爵は、フロレンスに毎日花を贈っている。 フロレンスは、伯爵に対して、プリマス行きの急行の見送りに来てねと言うが、来なかった。 そして、伯爵は、イエロークリーク株に関して噂を流すことで株価を操作し、大儲けしている。こうしたことは、 原作には無い。ジャップ警部は彼が犯人だと考えている。株の売買には、債券を担保にしているから、 万一失敗したら、債券を取り戻す金を夫人から借りる気だった、という推理だ。 伯爵は、列車に乗ろうとしているとき警察が尋問しようとしたところ逃げ出したので、警察は彼を捕まえた。
- グレーシー・キッドの相棒は、原作ではレッド・ナーキ―だが、Suchet 版ではマッケンジー。
- 原作のポワロはあまり動かず、警察情報とハリデイの情報を基に推理するのだが、テレビドラマ版ではそこそこ動く。
- 原作では、ウエストン駅の新聞の売り子に話を聞くのは警察だが、テレビドラマ版ではポワロとヘイススティングスである。 原作では、グレーシー・キッドは、高いチップをはずみ、目立つ服装をして、自分を売り子に印象付けたが、 テレビドラマ版では遅版の新聞がどうしてもほしいと言って、自分を売り子に印象付けた。 テレビドラマ版では遅版の新聞は、視聴者のミスリード用に使われている。株価の確認という点では、ロシュフール伯爵が 怪しいということになるし、競馬結果の確認という点では、ルパートが怪しいということになる。
- ポワロは、マッケンジーの家に出かけて、グレーシー・キッドがフロレンスのふりをするために使った青い服がそこに あることを確認した。原作では、青い服はハリデイ氏の家にあった。
- テレビドラマ版では、真相の種明かしが、関係者全員を集めて行われる。原作では、ハリデイとヘイスティングスの前で 明かされる。
料理人の失踪 The Adventure of the Clapham Cook
悪党が悪巧みのためにある人に家から出て行ってもらうという意味では、ホームズの『赤毛組合』や 『三人のガリデブ』の系統の物語である。出て行かせるために、変人の莫大な遺産が残されているというウソを犯人がつく という点も共通している。『赤毛組合』では、奇妙な募集案件が銀行での盗難事件と結びつく。 『三人のガリデブ』では、奇妙な遺産相続事件が偽札事件と結びつく。Granada TV 版ホームズでは改変があって、宝石盗難事件 (マザランの宝石)と結びつく。この『料理人の失踪』では、奇妙な失踪事件が銀行からの有価証券持ち出し事件と結びつく。 ただし、『赤毛組合』や『三人のガリデブ』と違う点は、犯人がある人を家から追い出した理由の 主なものが、その人が持っている何の変哲もないトランクだったということである。
Poirot が普段の尊大さを最後にちょっと反省するというのも Poirot らしい。
[原文] It is to me a little reminder, Hastings. Never to despise the trivial -- the undignified.英語では簡潔な文なのに、訳するとどうしても簡潔さが失われてしまって訳が難しいが、ともかく Poirot らしさの 現れた表現である。Suchet 版は the undignified の前に but が入れてあるようだが、すると意味が変わって、 「つまらなく見えることを軽蔑しないこと、でも高貴でない人々は軽蔑しても良いがね」ということになると思う。 ただし、この but は、IMDb による Suchet 版の紹介にあったもので、テレビを聴いただけだと 弱く発音されているのでよくわからない。なので、but と言っていたわけではないとも考えられる。 日本語訳では but the undignified は訳されていなかった。
[Suchet 版] It is to me, Hastings, a little reminder never to despise the trivial, hein, but the undignified.
[宇野訳] わたしにとって、こいつはささやかな記念品だよ、ヘイスティングス。平凡な人物…品のない人物も、 これを軽視することは厳禁だ。
[拙訳] 私にとってこれはいい教訓になります、ヘイスティングス。つまらなく見えることやら高貴でない人々やらを軽蔑しないことです。
地名の確認:
- トッド夫人の屋敷のある Clapham はロンドン南部の地名である。
- イライザ・ダンが行かされる Carlisle は、イングランドの北西のスコットランドに近いところにある都市である。 Carlisle が属する Cumberland 州は 1974 年に区分が変わって Cumbria 州となっている。
Suchet 版では第1話「コックを捜せ」(脚本 Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 冒頭の場面は、シンプソンがトランクに紐をかけて縛っている場面。かなり大型の立方体に近い形をしたトランクである。
- 次の場面からは、原作に従っているが、このテレビシリーズではミス・レモンという秘書役(ホームズシリーズなら ハドソン夫人に相当)が出てくる。
- 最初にトッド邸に行くとき、原作ではトッド夫人は先に帰っていて、そこにポアロとヘイスティングスが後から行くのだが、 Suchet 版では、3人で連れだってタクシーで行く。
- シンプソンが勤めている銀行の名前がベルグラビア銀行と明示される。原作では具体的な名前は最後まで出てこない。
- 原作では名前しか出てこないジャップ警部が出て来て、シンプソンにデイヴィスとの関係を尋ねる。
- 原作では、イライザ・ダンはポアロのもとを訪れるが、Suchet 版ではポアロとヘイスティングスが湖水地方のケズウィックまで会いに行く。 原作のように、イライザが何の得にもならないのに会いに来るというのはやや不自然なので、改変したのだろう。たしかにそちらの方が自然だ。 田舎の風景が出てくる。
- 湖水地方から帰ってきたポアロはトッド邸に行くが、トッド夫人にもジャップ警部にもつれなくされる。これも原作にはない場面である。 そこでポアロはアニーから、トランクがトゥイッケナム駅留になっていたことを聞き出す。ポアロはその駅に行って、 駅員からシンプソンらしき男がボリビア(本当はベネズエラ)に行こうとしていると聞く。原作では、シンプソンはアメリカに向かっている。
- ポアロは、ジャップ警部に推理を話しに警視庁に行く。グラスゴー駅でトランクから死体が見つかったので、 ジャップ警部はポアロが正しかったことに納得し、一緒に港に行ってシンプソンを捕える。 これも原作にはない。原作では、ポアロが真相を突き止めた時、シンプソンはすでに海の上である。しかし、テレビドラマとしては、 ちゃんと捕まったところを映像化しないと締まらないということで、改変したのだろう。
二重の罪 Double Sin
ちょっと抜けているかに見えた女性たちが実は犯人という物語。舞台となっているのは Devon の Ebermouth と Charlock Bay という町だが、いずれも架空の地名のようである。
Mary Durrant が運んでいる細密画は Cosway のものということだが、 Richard Cosway は細密肖像画で有名な 18-19 世紀の画家だそうだ。ところで、「細密画」は miniature(ミニアチュール)の訳だが、語源から見ると細密画と訳すのは不適切らしい。 語源は miniare(鉛丹を塗る)なので、彩画と訳すのが適切なものだそうだ。しかし、中世以降、サイズの小さな ミニアチュールが多く描かれるようになって、語源が minute と誤解されたせいもあり、細密画と呼ぶべきものに なっていったとのこと。今 (2022 年 9 月)九大のフジイギャラリーで 「昆虫学ミニアチュール」なる展覧会が開催されている。 黒一色で丁寧に学問的に描かれた昆虫の絵が展示されている。
Poirot の最後の台詞を引用しておく:
[原文] Not a pleasant man, Mr Baker Wood, not, as you would say, sympathetic. But a visitor! And we visitors, Hastings, must stand together. Me, I am all for the visitors!'
[宇野訳] たしかに、あのベイカー・ウッド氏という人物、感じはわるい。きみがいうように、好感はもてない。 だが、外国人だ!しかり、われわれ外国人は団結せにゃいかんのだよ、ヘイスティングス。エルキュール・ポアロは 外国人の味方なんだから!
visitor を外国人と訳しているのが目を引く。逆に言えば、「外国人」に対する適切な英語は visitor なのだろう。 たしかにこれならば xenophobic なニュアンスは全くなさそうである。visitor を「まろうど」と訳したくもなるが、 ポアロ自身は外国人ではあっても長期滞在者なので「まろうど=まれびと」ではない。
Suchet 版では第16話「二重の罪」(脚本 Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 原作とけっこういろいろなところを変えてある。大きいところでは以下の通り。
- 原作でポワロとヘイスティングスは Devon に行くのだが、テレビドラマ版では Lancashire から Cumbria の湖水地方にかけてである。
- Lancashire の Morecambe という町にある The Midland Hotel がロケ地になっている。アールデコ様式の建築である。1933 年の建築のようだから、 原作が書かれたころには存在していなかったホテルである。事件の真相解明はここで行なわれる。
- Morecambe はウィットコムという名前に変えられている。原作では Ebermouth(架空)である。
- バスが行く先はウィンダミア湖である。ウィンダミアでは Wray Castle が舞台に使われている。取引相手のベイカー・ウッドが城にいるというのも変な話なのだが、 金持ちらしい様子が強調されるということだろう。なお、原作では、バスの行き先は Charlock Bay(架空)。
- バスが昼食休憩をする町はレッドバーン(たぶん架空)。原作ではモンカンプトン(たぶん架空)。
- 原作でポワロが Ebermouth に行くのは単に休暇のためだが、テレビドラマ版では Japp 警部の講演を聞くため。 しかし、ポワロは Japp 警部の講演などに興味は無いというふうに装っている。ポワロは、Japp 警部の講演を こっそり聞きに行き、Japp 警部がポワロのことを賞賛しているのを知って満足する。原作では、そもそも Japp 警部は出てこない。
- 原作では、ノートン・ケインが何者でモンカンプトンで何をしていたのか明らかにならないのだが、 テレビドラマ版では、小説家のノートン・ケインがレディー・アマンダ・マンダレーとレッドバーンで会って駆け落ちする ということになっている。
- テレビ版では、ポワロは自分はもう引退したと言って途中の捜査に加わらない。その代わり、ヘイスティングスが
フラッグ巡査、ヴィニー巡査部長とともにウッド氏に会いに行ったり、見当違いでケインが犯人だと思って
レッドバーンでカーチェイスをしたりする。
- 原作では、ポワロが箱の鍵を壊した理由をいぶかしがっていたが、テレビドラマ版では、ヘイスティングスにそれを言わせ、 巡査に「それだと彼女がトランクを持った時に、すぐに軽いと気付いてしまう。時間稼ぎですよ。」と答えさせる。 間接的に原作のポワロの推理を否定している。
- ウッド氏に会いに行ったとき、巡査たちは、細密画をウッド氏から押収。原作ではポワロとヘイスティングスで会いに行っているので、 その場面は無い。原作では、細密画が警察に押収されたのかどうかはっきりしないので、それをはっきりさせたということだろう。
- 真相解明の場は、原作では、ミス・ペンの店でポワロとヘイスティングスがいるだけなので、結局、ミス・ペンもメアリも捕まるわけではない。 テレビドラマ版では、The Midland Hotel のレストランでポワロとヘイスティングス以外に Japp 警部、巡査と巡査部長がいるので、 ミス・ペンもメアリも逃げようとして捕まる。さらに、真相は、ウッド氏をミス・ペンに会わせるということで、 ドラマチックに明らかになる。
- 原作でポワロとヘイスティングスは Devon に行くのだが、テレビドラマ版では Lancashire から Cumbria の湖水地方にかけてである。
- そのほか細かい改変が以下の通り。
- 原作では、細密画は Cosway によるものだが、テレビドラマ版では Jean-Baptiste Jacques Augustin によるナポレオンの将軍の肖像。
- 細密画の値段は原作では 500 ポンドだが、テレビドラマ版では 1500 ポンド ≒ 7000 ドル。
- 細密画を入れている箱は、原作ではワニ皮の箱だが、テレビドラマ版では木箱。
- 原作では、メアリは一人で Ebermouth に帰るのだが、テレビドラマ版では、ポワロがメアリを送って行く。
スズメ蜂の巣 Wasp's Nest
ポアロが自殺と間接的殺人を事前に防止するというなかなかに洒落た趣向の作品である。
英語に関していくつか:
- 題名の wasp のほかに蜂を表す英語には bee と hornet がある。分類上は、ハチ目 (Hymenoptera) はハチやアリを含む大きな分類群である。 このうちハチ亜目 (Apocrita) は、腰がくびれていて、多くのハチやアリを含む。 このうち bee は、ミツバチ上科のうちのハナバチ類 (Anthophila) の総称で、bee とアリ (ant) 以外が wasp ということのようだ。 したがって、wasp は単一の分岐群ではないが、ふつうはスズメバチ科 (Vespidae) に属するものを指すことが多い。 hornet は、さらに その中でも大型で真社会性昆虫であるスズメバチ属 (Vespa) のハチを指す。まとめると、bee はかわいい蜂、 hornet は超凶暴な蜂、wasp はそれ以外の蜂だと思っておけばよいようだ。 なので、この小説の wasp は必ずしもスズメバチではないかもしれない。ポアロが巣に近づいているところを見ると、 少なくともhornet ではない気がする。
- 洗濯ソーダ (washing soda) とは、 炭酸ナトリウムの水和物のことである。 洗剤だから毒性はあるようだが、青酸カリほどの猛毒ではないということで、ここで使われている。
- 最後のハリソンが心を入れ替える部分を引用しておく。短編を終わらせるに相応しく、瞬間的に
雰囲気を転換している。
[原文] There was a moment's pause and Harrison drew himself up. There was a new dignity in his face — the look of a man who has conquered his own baser self.
[宇野訳] しばらく間をおいてから、ハリソンは上体をしゃんとのばした。顔には、いままでとはちがう 毅然たる表情がうかんでいる。おのれの邪心を克服した男の表情だ。
Suchet 版では第24話「スズメバチの巣」(脚本 David Renwick)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
原作に合流するのは最後の 15 分間で、その前の 35 分間は、原作に出てくる人物とほとんど名前しか出てこない人物とを 使った創作と言ってよい。最後の 15 分間も原作と骨組みが同じだけで、原作とは違うところがけっこうある。 原作は 50 分ドラマにするには短すぎたのであろう。それと、本作品の原作には出てこないいつもの登場人物である ヘイスティングス、ミス・レモン、ジャップ警部を出す必要もあったのだろう。
- 登場人物;原作ではわからない登場人物の職業などを明確にしてある。
- ヘイスティングス;今回は写真を撮るのが大事な役回りにしてある。ヘイスティングスが撮った写真が、ポワロの推理のヒントになっている。
- ジョン・ハリソン:原作では職業不明だが、テレビドラマ版では哲学者。哲学の著作がすでに3冊ある。ハリソンの父親がポワロと友人。
- モリー・ディーン:原作では名前が2カ所で出ているだけだが、テレビドラマ版ではジョン・ハリソンとすでに一緒に暮らしている。 原作では職業不明だが、テレビドラマ版ではファッションモデルで、自ら車を運転する。
- クロード・ラングトン:原作では職業は不明だが、テレビドラマ版では前衛芸術家。1年前にはモリーと婚約していた。
- Dr Belvedere:ハリソンの医者。原作では名前は出てこない。テレビドラマ版では、デボンシア街の外科医。 ドラマでは、ときどき謎の老人として登場し、最後の方になって医者だと分かる。
- ヘンダーソン:薬局の店主・薬剤師。原作では名前は出てこない。
- 最初の 35 分間;ほとんどテレビドラマ版の創作。
- 最初の場面は、地下鉄 Marble Hill という架空の駅である。ただし、ロケに使われている駅は Amos Grove である。 ポワロ、ヘイスティングスとジャップ警部はここから Marble Hill Park に向かう。
- Marble Hill Park では夏祭りが開かれている。8 月 1 日のことのようである。 クロード・ラングトンは、ピエロをしている。ハリソンがクロードにスズメバチの巣の始末を頼む。 ハリソンがポワロを見かけて会いに来て、ポワロに婚約者のモリーを紹介する。 ポワロはモリーを相手に茶葉占いをする。それで、モリーのカップに2種類の口紅がついていたことに気付く。 ポワロは、ピエロの扮装をしているクロードがモリーにキスしたからだということに気付き、不安を覚える。 ジャップ警部が腹痛を起こして、手術が必要になる(虫垂炎か?)。
- ハリソン宅で、クロードがガソリンをスズメバチの巣に吹きかけてハチを殺そうとするが、うまくいかない。 後日出直しをすることになる。最後に種明かしをされることによれば、ハリソンがこっそり噴霧器からガソリンを 取り出して水を入れていた。次に青酸カリを使わせるようにするためだ。
- モリーが自動車で事故を起こす。ブレーキが効かなくなったらしい。たいしたことはないようだが、車は要修理となった。 最後の種明かしによると、ブレーキは壊れておらず、モリーがわざと車を木にぶつけた。 クロードのところに行くために、家に数日帰らない口実を作るためだった。
- ハリソンとモリーがポワロとヘイスティングスを家に招待する。 ポワロは、天水桶にガソリンが入っていることに気付く。最後の種明かしによると、ハリソンは、 噴霧器から取り出したガソリンを天水桶に空けた。 モリーは、ポワロとヘイスティングスを翌日夜のファッションショーに招待する。
- ポワロは、スズメバチに刺されたところに塗るヨードチンキを買うためにヘンダーソンの薬局を訪れ、その際、 こっそり劇薬購入者名簿を見る。
- ポワロとヘイスティングスは、クロード・ラングトンのアトリエを訪ねる。クロードは、モリーをまだ愛していることがわかる。 ポワロは青酸カリがあることに気付く。
- ファッションショーにポワロとヘイスティングスが来ている。 モリーは、出番が終わると、医者の Dr Belvedere とともに出て行っていた。 最後に種明かしされたところによると、このとき医者はモリーに、ハリソンの余命が2か月であることを告げていた。
- モリーがベッドで泣いている。種明かしによれば、モリーは、ハリソンの余命を聞いたことがショックで泣いていたのだった。
- 最後の 15 分間;骨組みは原作通りだが、違うところもある。以下は、主な違いを中心に書く。
- 日付が明確になっている。8 月 8 日(水) になっている。
- ハリソンがポワロに対してラングトンが来ると言った時間は午後 7 時半。原作では午後 9 時。 9 時では遅すぎると思ったのであろう。ただし、サマータイムだとすると 9 時でもまだ明るいということはありうる。 実際にラングトンが来ることになっていた時間がその 30 分前だという点は原作もドラマ版も同じ。
- クロード・ラングトンのアトリエにポワロが侵入し、青酸カリと洗濯ソーダを入れ替える。 原作では、青酸カリはハリソンがポケットに持っていて、それをポワロが掏りの要領で洗濯ソーダと入れ替える。
- ラングトンが来て、モリーとよりを戻していたことがはっきりして、モリーがハリソンに詫びたが、 ハリソンは怒って二人とも出て行けと言う。それで、ラングトンは、スズメバチの巣の始末をすることなく出て行く。 原作ではモリーは登場しないので、ラングトンは、なぜかハリソンと雑談だけして、スズメバチの巣の始末をすることなく出て行く。
- ハリソンの最後の台詞は Thank god you came。原作では、Thank goodness you came。
洋裁店の人形 The Dressmaker's Doll
これだけ推理小説ではなく、誰も見ていない間に勝手に動いているという気味の悪い人形を描いた怪奇小説。 しかし、今一つ中途半端な感じが否めない。 Poe のように劇的なクライマックスがあるわけでもないし、夢野久作のようなマニエリスムがあるわけでもない。 クリスティが得意な女性のおしゃべりで話を進めていくのだが、それは推理小説が暗くならないように彩るのには 向いているけれど、怪奇小説には明朗すぎて向いていないと思うのだ。
教会で死んだ男 Sanctuary
これだけ Miss Marple もの。教会で男が死んだ。この謎が Miss Marple の機転と Craddock 警部の捜査によって解決される物語。 男が死ぬ前に呟いた単語 sanctuary と jewel の多義性がアクセントとして利用されているのが面白い。 sanctuary については下に記した。jewel には「宝石」の意味と女の子の名前が重ねられている。
教会建築用語を2つまとめておく:
- chancel
- 内陣。 教会の奥(東側)の部分で、礼拝の時には聖職者と聖歌隊がいる場所。
- sanctuary
- 至聖所。祭壇の周囲の領域。宗派や教会によって、chancel と同じ領域を指す場合、chancel の一部を指す場合、 chancel より奥の部分を指すとする場合、chancel より広い領域を指す場合があるようである。
- 日本聖公会の人が書いた解説では sanctuary は chancel の奥にある一段高くなった部分で、chancel とは 別の領域であるとしている。
- sanctuary には、教会建築用語以外にも「聖域」「(罪人や亡命者などの)逃げ込み場所」などの意味もあり、 本小説ではそうした多義性が用いられている。