奇書ということで有名な怪奇小説である。夢野は、若いころ、ポーの怪奇小説に衝撃を受けたらしい。
実際、似た読書感がある。どちらも、前半部は読むのに多少の忍耐が必要だが、後半部はそれを受けての
不思議な展開にぐいぐい引き付けられる。
内容はゴテゴテと盛りだくさんである。前半部には、精神作用のようなものに関して、手を変え品を変え長々と書いてある。
おそらく、夢野は人間の精神作用に限りない興味があって、知識と空想を混ぜて考えたことの
数々を書き連ねたくなったのではないだろうか。この部分は精神作用に関する一種のSFとも言える。
後半部は、唐の時代から始まる呉家の陰惨な因縁が書かれており、これが物語の本筋である。
「犯人」に関するどんでん返しも仕掛けられており、一種のミステリになっている。
SFとミステリを混ぜるのは普通は難しい。ミステリは現実的でなければならず、一方SFでは
起こりそうにないことが描かれるからだ。本小説の場合は、「心理遺伝」というSF的空想を軸に
それをいわば「トリック」にして一種のミステリを構成するけれども、それで解決してしまうと
ミステリとしては反則になるので、ミステリ的な部分は読み進めさせるための駆動力と割り切り、
物語の最後は最初に戻るというループ構造にすることによって、解決のない怪奇小説にしてしまっている。
夢か幻覚かわからないものが渦巻くうちに時間が進んだり後戻りしたりして、
大正十五年十月二十日と十一月二十日の間を往復する。
日本美術を縄文派と弥生派に分けるというような趣向があるが、それで言えば、『ドグラ・マグラ』は縄文派の
極致のようなものである。芸術のための芸術のようなもので、装飾のゴテゴテぶりが凄まじい。
とくに、使われている文体が多彩なことが目を引く。比較的くだけた感じの文体が多いのだが、それだけではない。
会話文に福岡弁が混じったりしている一方で、「如月寺縁起」は和漢混交調の絢爛たる文体である。
これを外国語に翻訳しようとすると大変なことになるだろう。もっとも、翻訳困難と言われるジョイスの『ユリシーズ』も
各国語に翻訳されているわけだから、工夫次第で翻訳できるであろう。でも、amazon や wikipedia によると、まともな
英訳はないようだ(amazon に機械翻訳らしきひどい訳があるようだが)。フランス語訳は出ているようだ。
芸術至上主義的な一面と同時に注目したいのは、正木教授の研究至上主義とそれゆえの破滅が描かれている点だ。
それゆえ、部分的には精神科の研究倫理を描いた小説と読むこともできる。正木は、一方で、精神病患者の
非人間的扱いを批判しつつも、自らの研究においては、研究のために千世子と一郎を裏切った非道な男で、
それゆえに自殺で終わらざるを得なくなる。
舞台が九州帝国大学精神病科なので、福岡の見知った地名がところどころで出てくる。
- 斎藤教授が死に、その一年後正木教授が投身自殺した場所は、筥崎水族館裏の海岸だったとのことである。
大学病院の裏手の、今の馬出4丁目に水族館があって、そのすぐ裏が海岸だったようである。
現在では埋め立てられている。
- 呉一郎が絵巻物を目にしたという姪浜の石切場は、愛宕山である。愛宕山は古第三紀の海成砂岩でできていて、石材としては「姪浜石」
と呼ばれていたことが本文にも書かれている (p.610/全1048ページ)。
- 当時、鉄道がどう走っていたかはこのページの福岡市周辺(西日本鉄道福岡市内線)の 1912 年の地図を見ると分かる。
今川橋で線路がいったん切れていて、今川橋から西は九州水力電気の鉄路が唐津街道沿いに加布里まで続いていた。
事件の日、今川橋から姪の浜まで、呉一郎は電車に乗らずに歩いた。
あらすじ
以下、感想を加えつつあらすじを書いてみる。書いてあるページ番号は、たまたま今読んでいる
青空文庫リーダー「i文庫HD」のとある設定で見たときのページ数である(全 1048 ページ)。
物語は、精神病院の独房(九大精神病科の七号室)から始まる。主人公の男(青年)が目覚めてみると、自分が誰なのか、
ここがどこなのかわからない。そこの若林鏡太郎(専門は法医学)医学部長が現れ、男に過去の記憶を思い出させようとする。
隣の独房のモヨコという美少女は、男の従妹で許嫁だと若林は言うのだが、男は全く思い出さない。
亡き正木敬之教授の部屋にも案内してもらう。部屋には奇怪な品々が置いてある。
正木教授は、当時の精神医学界を鋭く批判し、改革をしようとしていた。彼が行った実験と男は関係があるらしい。
男は、正木教授が遺したという6つのかなり長い書類 (pp.204--695) を読まされる。
前半は、人間の精神に関する考察で、これらは一つ一つ夢野の問題意識であるに違いない。
- 『キチガイ地獄外道祭文』は、精神医療批判である。精神病患者の扱いが非人間的であることを告発している。
精神病ではないかもしれないけど、たとえば、
昔は認知症患者をベッドに縛り付けていたこともあったというような話を聞けば、精神科も推して知るべしであろう。
- 『地球表面上は狂人の一大解放治療場』は、「人間の一人として精神異常者でないものはない (p.202)」ということが
精神病理学の根本原理であるという主張である。一節を引用すれば、「この地球表面上に生きとし生ける人間は、
一人残らず精神的の片輪者ばかりと断言して差支えないのである (p.261)」ということだ。
安部公房の『砂の女』に似たような警句があったのを思い出した。
- 『脳髄は物を考える処に非ず』は、脳がものを考える処ではなく、神経信号の単なる中継器であると主張している。
二カ所を引用してみると、「人間の全身を一つの大都会になぞらえると、脳髄はその中心に在る電話交換局に相当する事になる。
そうしてソレ以外の何物でもあり得ないことがわかるのだ。(p.312)」「吾々が自分の生命、もしくは精神として
意識しているものの正体は、全身無数の細胞の一粒一粒が描きあらわすところの主観客観が、脳髄の反射交感作用仲介で、
タッタ一つにマン丸く重なり合ったのを、透かして覗いているだけのものだ (pp.318-319) となる。もちろん今から見ても、
さすがにそんなことはないのだが、一方で、最近では「腸は考える」というような言い方ができることもわかってきており、その意味では
先見の明のある主張と言えるかもしれない。
- 『胎児の夢』は、ヘッケルの反復説「個体発生は系統発生を繰り返す」のような話から始まって、人間の悪の起源も
進化の前段階に帰するような空想が述べられる。そして、人間の細胞の一つ一つが豊富な内容と能力を持っており、
夢とは、たまたま目を覚ましている細胞が持っている記憶が反映されたものだという考えが披露される。
さらに、真の時間は主観的な時間であるという考えが述べられる。この結果、「胎児の夢」とは、
生命の進化の苦闘を再現する悪夢であるということになる。
- 『空前絶後の遺言書』では、心理遺伝という概念が説明される。心理遺伝とは、人は先祖の記憶を持っているということで、
狂人において印象深く表れる。
- 『心理遺伝論附録』は『空前絶後の遺言書』に附されたもので、呉一郎の記録が書かれている。夢中遊行症(夢遊病)の
詳細な分析がなされ、夢遊状態の時に恐ろしいことをすることがあることを縷々説明する。
ろくろ首を夢中遊行と結び付けているのも興味深い。夢中遊行中に何か変なものを飲んだことが、首が抜けてそれを
飲んだという伝説になったのだという。
人間の精神の話とともに、とくに後半では、主人公の男のこれまでが徐々に明らかにされる。
- 『脳髄は物を考える処に非ず』に出てくるアンポンタン・ポカン君が主人公の男であることが示されている。
「七号室に居るのだから (p.278)」と書かれているからである。
- 『脳髄は物を考える処に非ず』は、全体として正木教授の演説なのだが、その中にアンポンタン・ポカン君の演説が出てきて、
その中に正木教授の講義が出てくるというような循環的な構造をしている。その二重の内部にある正木教授の講義の中では、
アンポンタン・ポカン君は夢遊病で、嫁と母親を絞め殺したという (p.340)。
- 『空前絶後の遺言書』に母親と許嫁を絞殺した疑いのある呉一郎という美少年が出てくる (pp.451-452)。
その後奇妙な映画の場面が出てくる。九大の死体解剖室で、若林博士が絞殺された許嫁の呉モヨ子を甦らせる。
次に、若林博士は死体置き場から別の少女の死体を持ってきて、それを呉モヨ子の死体に擬装する。
さらに、その一週間後、正木博士と若林博士が会話をする。呉一郎が母親を絞殺し、その2年後にモヨ子を絞殺するのだが、
それは心理遺伝のせいだという。一郎の伯母に八代子という者がおり、その娘がモヨ子である。そして、呉一郎を
精神異常に追い込んだのは、絵巻物だという。
- 『心理遺伝論附録』その一~第一回の発作 (pp.527-603) では、呉一郎の生い立ちと母親絞殺事件の顛末が書かれている。
一郎の母親の千世子は、若いころは姉の八代子と姪浜で暮らしていた。千世子は刺繍が得意だった。
虹野ミギワという偽名を使っていたこともある。八代子が結婚したので、千世子は上京した。
千世子は、東京の近くの駒沢村で一郎を生む。一郎の父親は、一郎が生まれる前に失踪する。一郎が八歳の時に母子は直方に移住した。
一郎は六本松の旧制福岡高校に入学する。休暇で実家に帰っていた時のある日、一郎が奇妙な夢を見た晩に、母親が絞殺され、
一郎は警察に捕まる。絞殺事件に関する正木博士の見立ては、呉一郎の心理遺伝の発作によるものであり、一郎は夢遊状態で
母親を絞殺したのだという。
- 『心理遺伝論附録』その一~第二回の発作―第一参考の戸倉仙五郎の談話 (pp.603-633) では、
呉一郎による花嫁絞殺事件が書かれている。一郎とモヨ子の結婚式の前日、英語の演説会から二時ころに帰ってくるはずが、
なかなか帰ってこないので、農夫の戸倉仙五郎が探しに行く。
仙五郎は、姪浜の石切場で一郎を見つけた。一郎は、白紙の巻物を見つめていた。一郎は少し様子が変だったが、ともかく家に帰る。
翌朝薄暗いうちに仙五郎が目覚めてみると、一郎とモヨ子がいない。土蔵の窓が開いていたので、中を見るとモヨ子の死体があり、
その前に一郎がいた。一郎は様子がおかしかった。巻物は如月寺にあったもので、呉家の男はそれを見ると正気を失うという。
- 第二回の発作―第二参考の如月寺縁起 (pp.633-652) には、呉家の呪いが書かれている。ここは擬古典文体。
慶安の頃 (1648-1652年)、山城国の茶舗の息子に坪太郎という若者がいた。出家して唐津のあたりに来て、虹の松原に
因んで虹汀(こうてい)と改名した。海岸で若い女性が身投げをしようとしていた。
それは呪われた呉家の最後に残った六美女(むつみじょ)だった。雲井喜三郎という鬼のような男と結婚させられそうになって、
逃げてきたのだった。虹汀は、六美女を助け、呉家で念仏を唱えて呪われた絵巻物を燃やし、還俗して婿入りし、呉坪太となった。
虹汀と六美女は、姪浜に落ち着いて、如月寺を開いた。
- 第二回の発作―第三参考の如月寺住職野見山法倫の話 (pp.652-662) によると、本尊の胎内にある絵巻物は、
虹汀が焼いたはずだったが、本尊を振ると音がすることに千世子が気付いた。ところが、事件前年の秋、
本尊をゆすってみると音がしない。何者かが巻物を盗んだらしい。
- 第二回の発作―第四参考の呉八代子の話 (pp.662-663) によると、誰が絵巻物を盗み出したのか突き止めてほしいとのこと。
- 『空前絶後の遺言書』の続きには、映画の形で呉一郎のその後が描かれる (pp.674-692)。大正十五年、呉一郎は精神鑑定にかけられ、
精神病院に預けられる。彼は、解放治療場で何やら熱心に鍬で穴を掘り続ける。女の死体を探しているという。
男がこれらを読み終わってみると、若林教授はおらず、目の前に死んだはずの正木教授がいた。自殺したというのは嘘だったのだ。
今日が大正十五年十月二十日だとわかる。正木によれば、若林は策略を弄しているのだという。若林は、男が
自分が呉一郎だと認めるのを待っているのだという。正木が南側の窓から男に解放治療場を見せると、そこには
十人の狂人たちがいて、そのなかに呉一郎らしき人物がいた。その人物が振り返ると、それは正に自分の顔だった。
男は気絶しそうになるが、正木に抱き止められる。正木の説明によれば、男は離魂病で、夢を見ているのだった。
現実には、解放治療場には誰もいない。男には、過去の記憶が現在の意識の上に重ねられているのだという。
男は額に痛みを感じる。すると、正木は、また説明をひっくり返し、呉一郎と男は瓜二つなのだと言う。
呉一郎が昨夜壁に頭を打ち付けて自殺を図ったのが、今男に感じられているのだという。
正木は、男に絵巻物の由来を語る。唐の玄宗皇帝の時代の末期、呉青秀という青年画家がいた。
黛という美しい女を娶った。玄宗は楊貴妃に夢中になって、天下が乱れたので、青秀は、絵の力で玄宗を諫めようと考えた。
青秀は黛を絞殺して、死体が腐乱する様子を絵に描こうとした。ところが、思ったよりも腐敗が速く進んだので、
絵が完成する前に死体が白骨化してしまった。青秀は、他の死体を探したが、うまくいかない。放浪ののち、家に戻ってみると、
黛の双子の妹の芬がいた。世の中では、安禄山の乱が起こり、玄宗への諫言どころではなくなったので、青秀と芬の二人は
方々を放浪した。青秀は途中で命を落としたが、芬は男の子を生み、呉忠雄と名付けた。芬と忠雄は、唐津にたどり着き、
子孫に絵巻物を伝えた。
正木は、次に男に絵巻物を見せる。虹汀が焼いたふりをして焼かずに残しておいたものだと推測される。
表装には細かい刺繍が施されており、千世子はこれを手本にしていたに相違なかった。男が絵を見ると、描かれている女は
六号室のモヨ子にそっくりだった。その死体が徐々に腐乱していく様子が描かれていた。呉一郎は姪浜の石切り場で
これを見て、心理的に呉青秀が乗り移ってしまったのだと考えられる。それが心理遺伝というものだ。
正木の推測では、呉青秀は忠勇義烈の顔の裏に名誉慾、芸術慾、変態性慾を隠していた。一方、モヨ子も一郎に
絵巻物を見せられて、黛芬姉妹からの心理遺伝が作動して、土蔵で仮死状態になった。
正木は、呉一郎に心理的暗示を与えて、徐々に快方に向かわせているのだという。正木は、男に再び離魂病という
ヒントを与える。そして、男か呉一郎かが、呉一郎に姪浜の石切り場で絵巻物を見せた人物を思い出すまで待つのだと言った。
正木自身はともかく、若林は法医学者としてその人物を明らかにしなければならないのだという。
しばらくのやり取りの後、正木は「犯人は俺だよ」と言った。千世子殺しは、呉一郎の夢中遊行ではなく、自分が
麻酔を使って行ったこと。呉一郎に絵巻物を見せたのも自分。それらは、心理遺伝の実験のためだった。
すべては正木と若林が若いころから計画して行った企みだった。正木と若林は、学生の頃から精神科学に深い関心があった。
二人は呉家の伝説を調べた。絵巻物を持っているのは千世子に違いなかった。そこで、二人は千世子に近づいた。
最初、若林が千世子と同棲するようになった。しかし、若林が肺病を隠していたことがわかると、千世子は正木と同棲するようになった。
正木と同棲していた時、千世子は妊娠し、一郎を産んだ。明治四十年十一月二十二日のことだった。父親が誰かは明確ではない。
千世子は正木に絵巻物は本尊の中に戻したと告白した。そこで、正木はその絵巻物を寺に行って盗んだ。
正木は千世子を捨てて海外に逃亡した。
正木は男に、過去の記憶をとりもどして、自分と若林の研究の結果を発表してほしいと言う。
正木は、男にモヨ子と結婚生活を送ることを薦める。そうすれば過去の記憶を取り戻すだろうと言う。
しかし、男は怒りの感情に襲われ、それを拒否し、まず正木と若林に犠牲者に謝罪してほしいと言った。
すると、正木は尋常ではない様子で、ふらふらと部屋を出て行った。
訳が分からなくなった男は、再び絵巻物を手に取る。絵巻物の長い白紙の部分もずっと見ていって、最後まで
行った時、千世子の歌が書いてあり、そこに正木一郎母と書いてあった。つまり一郎の父親は正木だったのだ。
男は、部屋を飛び出し、大学を飛び出し、訳も分からず狂ったように歩き回る。どこをどう歩いたかわからないが、
気付いてみると、教授室に戻っていた。服は汗と埃まみれでボロボロになっていた。
机の上の書類はきちんと並べられていて、しばらく誰も触っていないようだった。
書類の下に新聞の号外があった。それは大正十五年十月二十日のもので、正木の自殺と解放治療場内の惨殺事件が
報じられていた。解放治療場内では、呉一郎が鍬をふるって数人の狂人と監視人を死傷させていた。
その後、呉一郎は、壁に頭を打ち付けて自殺を図る。
正木は、実験が成功したと言って教授室で書類を整理し、海岸で自殺した。
さらに、呉八代子が、自宅に放火して焼身自殺をした。
男は訳が分からなくなった。朦朧とする中、七号室に入った。寝ると、幻覚か夢か分からぬものが渦巻いた。