以前に一度読んだものの再読。
評論家霜月蒼の評価も高い。 それもそのはず。1923 年のようなごく初期に書かれたものではなく、ある程度脂が乗ってからの作品だからである。 実際、ごく初期に書かれたものに比べると、ずいぶん話の造りが良いと思う。
ポアロ物に関しては、Suchet 版テレビドラマを見ながら読んでみた。
クリスマス・プディングの冒険 The Adventure of the Christmas Pudding
[橋本 福夫 訳]
ポアロが田舎の屋敷でクリスマスを過ごす楽しい物語。イギリスのクリスマスの風習がいろいろ出て来る。
- まず第一に大きな役割を果たしているのが christmas pudding (plum pudding) で、日本で言うプリンではない。 時間をかけて熟成させるものだということと、作るときに皆で願い事をしながらかき混ぜて小物を入れるということが この作品にとって重要だ。
- ポアロは christmas pudding に hard sauce をかけて食べている。hard sauce は、バター、砂糖と酒から作る。 ここでは、酒として高級なブランデーを使っている。
- mince pie も定番スイーツである。
- roast turkey with chestnut stuffing もイギリスのクリスマスらしい。
- cracker brooches なるものが話題になっているが、これは christmas cracker に入れる brooches ということらしい。
- holly セイヨウヒイラギと mistletoe ヤドリギもクリスマスの定番の木である。
Suchet 版では第28話「盗まれたロイヤル・ルビー The Theft of the Royal Ruby」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。
このテレビドラマ版は、原作よりも物語の筋と登場人物の人物造形を明確にしているところが特徴である。 まず、人物造形について:
- 原作では、ルビーの持ち主の王子はどこの国の王子だかよくわからないが、ドラマ版ではエジプトにしてある。 ルビーもラムセス王朝から伝わる由緒正しいものにしてある。原作では、自分の失態を反省しているのだが、 テレビドラマ版の王子(ファルーク殿下)は、かなりアホっぽく描かれている。尊大で乱暴で思慮が浅いという 典型的ボンボンにカリカチュアライズされており、ユーモラスな役回りになっている。
- 原作では、事件を依頼するのはジェスモンド氏という謎の人物なのだが、テレビドラマ版では外務次官で、 外務省で依頼する。
- 原作ではレイシー大佐と王子につながりはないが、テレビドラマ版ではエジプト国王の友達でエジプト学者。 王子は、レイシー家を訪れたことがあることになっている。 ドラマ版では、最近株に失敗して、エジプトの遺物の一部を売却しようとしている。
- 原作では、デイヴィッド・ウェルウインの職業は不明だが、テレビドラマ版では、美術品商である。 ドラマ版では、レイシー大佐にエジプトの遺物の値踏みを頼まれて、レイシー家に行く。 デイヴィッドはレイシー家の孫娘のセアラに好意を抱いている。
- デズモンド・リー・ワートリーの妹と称する女は、原作では最後の方でちょっと出てくるだけで名前も付いていないのだが、 テレビドラマ版ではアイリス・モファットという名前があり、デズモンドの妹としてはグロリアを名乗っている。 原作ではポワロが来たと知るや仮病を使って部屋に引きこもるが、テレビドラマ版ではポワロに挨拶をして平気で振る舞っている。
- 原作にいるダイアナ・ミドルトンという女性は、テレビドラマ版には出てこない。
- テレビ版では、全体的にクリスマスの楽しい感じは薄まっている。料理としてはクリスマス・プディング以外のものが ほとんど出てこない。ただし、ポワロがマンゴーにきれいにナイフを入れるという謎の場面が挿入されている。
- 原作では、ジェスモンド氏という政府要人らしい謎の人物からルビーを取り返してもらうように依頼され、 なぜかよくわからないがレイシー家に派遣される。そこで、場面が一転してレイシー家の楽しいクリスマスになる。 なぜレイシー家なのかという説明がなされないまま物語が進行し、その問いへの答えは最後にポワロが真相を明かすときに与えられる。 ルビーを持ち逃げした女とその取引相手がレイシー家に入り込んでいるという情報があったということだ。 ただし、その理由だとすると、容疑者は最初から分かっていたのではないかという疑問も残る。原作ではそのへんは曖昧である。 ドラマ版では、王子が以前レイシー家でルビーの話をして、それを聞いていた人がいるからレイシー家に行くという話になっている。
- 最初、ポワロは事件の依頼を断ろうとする。原作では田舎の邸宅の居心地が悪そうなのが理由だったが、 テレビドラマ版では王子があまりにもアホだからということが理由になっている。でも、王子の若さに免じて結局引き受ける。
- クリスマス用に作ったクリスマス・プディングをメイドのアニーが落とした理由は、原作では手が滑ったからなのに対して、 テレビドラマ版では遊びにいこうと走って来た子どもたちがぶつかってきたから。
- 原作では、デズモンド・リー・ワートリーを捕まえる場面は無いのに対して、テレビドラマ版では捕物場面を入れてある。 原作では、デズモンドには模造品をつかませて逃がす。外国王室のスキャンダルを表沙汰にしないためでもあった。 テレビドラマ版では、デズモンドとグロリアが飛行機で逃げようとしているところを飛行場で捕まえる。 そして、彼らを警察に逮捕させる。
- 原作ではポワロが取り戻したルビーを王子に返す場面は無いのだが、テレビドラマ版では2回ある。1回目は、 クリスマス・プディングに入っていたルビーをそっと手に入れて、その日の夕方にファルーク殿下(王子)のいる宿に持ってゆく。 ところが、殿下はあまり喜んだ風ではなく、泥棒をつかまえろと言う。ポワロは、おとりとしてルビーが必要だと言って また持ってゆく。2回目は、デズモンド・リー・ワートリーを飛行場で捕まえた時、デズモンドから返してもらったものを ファルーク殿下に返す。おそらく脚本家の Anthony Horowitz は、原作ではポワロがなぜルビーを手に入れてすぐに王子に返しに 行かなかったのか疑問だったのだろう。
- 原作では、ポワロの代わりに睡眠薬を飲まされるのはデイヴィッドだが、テレビドラマ版ではレイシー大佐である。
- 原作では、デズモンドとグロリアがどうしてもっと早く海外逃亡しなかったかの説明が無いが、 テレビドラマ版では、飛行機が故障していたという理由がついている。
- 原作では、ポワロが真相の説明をする場面でセアラがなかなか納得しない。一方、テレビドラマ版では、 ファルーク殿下に連絡するようポワロがセアラに頼んであり、セアラはデズモンドとグロリアが逮捕される場面にも居合わせるので、 その後に来る真相説明の場面ではすでにデズモンド・リー・ワートリーが悪人だと納得している。
スペイン櫃の秘密 The Mystery of the Spanish Chest
[福島 正実 訳]
スペイン櫃の中で死体が発見される謎。当初、犯人の可能性がある人は一人しかいないと思われたが、 実はそうではなかったことがポアロによって明かされる。
本作品は、本作品が発表される三十年前くらいに書かれた『バグダッドの大櫃の謎』(1932 初出) を肉付けしたもの。 以下、『バグダッドの大櫃の謎』(以下、前作と書く)との違いを中心に見てゆく。
- 全体的に言えば、前作と大筋は変わっていないが、本作品では全体的に登場人物の性格描写や会話での肉付けが豊かになっている。
- Baghdad Chest から Spanish Chest に変わっている。1932 年から本作品が発表された 1960 年の間にイラク情勢が 激変したことに関わっているかもしれない。イラクは 1920 年から 1932 年までイギリスの委任統治領だった。 1932 年、イラク王国として独立したが、国王のハーシム家は親英的だった。1958 年に革命が起こり、イラクは共和制になり、 反英的になった。そんなことがあったので、クリスティは、バグダッドを避け、ヨーロッパの中ではオリエンタルな雰囲気のある スペインにしたのかもしれない。
- ヘイスティングスを出すのをやめて、ミス・レモンを登場させている。ミス・レモンは冷静な人物なので、 本作品でポアロは、ヘイスティングスならもっとロマンティックな想像力を働かせただろうに、とヘイスティングスを懐かしがっている。 かといって、前作でヘイスティングスが想像力をはばたかせていたわけでもないので、本作品では退場願ったのだろう。
- 前作ではジャップ警部が担当だったが、本作品ではミラー警部が担当である。前作のジャップ警部はほとんど何もしていない。 本作品のミラー警部は、頭の固い警部という役回りである。
- 嫉妬というモチーフを出すのに、シェイクスピアのオセロを使っている。これが作品の厚みを出すのに役立っている。
- 名前の変更が少しある。前作のカーティス少佐は、本作品ではマクラレン中佐になっている。 リッチ少佐の従僕の名前が、前作ではバーゴイン、本作品ではバージェスになっている。 リッチ少佐の名前は、前作ではジャック、本作品ではチャールズになっている。
- ポアロが Lady Chatterton のパーティーに参加している部分が省かれている。前作では、そこでポアロが自分に対する 称賛の言葉を聞いて喜んでいる姿が描かれていた。
Suchet 版では第27話「スペイン櫃の秘密」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。 Anthony Horowitz 脚本のものは、独自のアイディアをたくさん盛り込んである。 以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 登場人物名は、前作『バグダッドの大櫃の謎』の方に近い。犯人はカーチス大佐(前作では少佐)、リッチ少佐の従僕はバーゴイン、 リッチ少佐の名前はジョン(前作ではジャック)。
- 内容的にも前作に近づけてある部分、前作のアイディアを取り入れている部分がかなりある。
- ミス・レモンは休暇中で出て来ず、いつものようにヘイスティングスがポワロと一緒に行動する。
- ミラー警部ではなくジャップ警部が担当する。テレビ版では、小説版前作とは違って、ジャップ警部がそれなりに役割を果たす。
- ポワロが、褒められて喜ぶ場面が出てくる。ヘイスティングスが、それはイギリス的ではないと嫌な顔をするのに対し、 ポワロは、謙遜は偽善だと反論する。テレビ版では、さらに最後のところで、 ポワロがクレイトン夫人からの賛辞に対して謙遜をする、というユーモラスな場面を設けてある。
- ポワロがジャップ警部に被害者のポケットの中身を見せてもらう場面がある。ポワロはその中に錐(きり)を見つけて、 真相がわかったと確信する。
- 小説版の前作では本作品に比べてスペンス夫妻がそれほど出てこないが、テレビ版では全く出てこない。
- 冒頭と最後にフェンシングによる決闘場面を入れて、犯人を追い詰める場面をドラマチックにしてある。
- 冒頭、クレイトン夫人のことでカーチスがある将校に決闘を申し入れる。軍人クラブの体育館で決闘が行われ、 カーチスが負けて頬に傷を受ける。
- 最後に、クレイトン夫人を逮捕させるというポワロの挑発に乗って、カーチス大佐はポワロを体育館に呼び出す。 そこで、ポワロに真相を暴かれて、カーチス大佐はポワロを剣で殺そうとする。そこにリッチ少佐が フェンシングの姿で現れ、再び決闘が行われる。カーチス大佐が負け、その後逮捕されたことが暗に示唆される。
- その他重要なアイディアの変更がいろいろある。
- 小説版の本作品では、シェイクスピアのオセロを嫉妬に絡めて出してきているが、テレビ版では、オペラ「リゴレット」を出している。
- 小説版では、レディー・チャタートンは事件が起こった後に登場するが、テレビ版では、事件前に登場し、 ポワロにクレイトンが妻を殺そうとしているのではないかという懸念を伝える。
- 小説版では、リッチ少佐宅で行なわれたパーティーに参加していたのは、リッチ少佐、クレイトン夫人、スペンス夫妻、 マクラレン中佐(カーティス少佐)の5人だけ。テレビ版では 20 人くらいのパーティーになっており、 レディー・チャタートンとポワロも参加している。
- テレビドラマ版では、カーチス大佐が最初から剣呑な人物として描かれている。決闘から始まって、ビリヤードをしている リッチ少佐をクレイトン夫人のことで脅す場面、パーティーでの不穏当な発言など。犯人を視聴者から隠すつもりが 最初からあまりないようだ。
- テレビドラマ版では、リッチ少佐が数か月前に妻を亡くしていることを明確にしてある。小説版では、おそらく 独身であろうと想定されるだけである。
- テレビドラマ版では、クレイトン夫人は服毒自殺未遂をする。彼女が夫の死を願っているとリッチ少佐に話したのが原因で、 リッチ少佐が夫を殺したと思い込んでのことだった。小説版では、彼女はリッチ少佐を愛しているとポワロに正直に言い、 同時にリッチ少佐は犯人ではないと確信している。小説版では、クレイトン夫人は美しいがやや思慮の浅い女として 描かれているのに対して、テレビドラマ版では思慮の浅さは無い。
- テレビドラマ版では、ポワロとヘイスティングスが関係者に話を聞く順番は、リッチ少佐、カーチス大佐、バーゴイン、 クレイトン夫人。小説の本作品では、ポワロが話を聞く順番は、クレイトン夫人、ミラー警部、マクラレン中佐、 スペンス夫妻、リッチ少佐、バージェス。小説の前作では、クレイトン夫人、カーティス少佐、スペンス夫妻、バーゴイン、 検死担当医師の順である。テレビドラマ版では、ポワロはジャップ警部からリッチ少佐逮捕の報せを聞くので、 リッチ少佐に最初に話を聞くのが自然で、ドラマチックな服毒自殺未遂と重ねるためにクレイトン夫人を最後にしてある。
- 小説版では、犯人は櫃のふたを開けて被害者を短剣で刺す。テレビドラマ版では、犯人は櫃に開けた覗き穴から 被害者の目をフェンシングの長い剣で突く。
負け犬 The Under Dog
[小笠原 豊樹 訳]
比較的初期の中編だが、その後の多くの作品で見られるように、多くの関係者が何らかの意味で本当のことを言わない中、 ポワロがそれらの証言の中からわずかなほころびを見つけ出して、真相を少しずつ明らかにしていく。
最後の犯人の告白が悲痛である。一言で言えば積年の恨みが爆発したということなのだけれど、積年の恨みと言えば、 今の時代、どうしても山上容疑者による安倍元首相殺害事件を思い出してしまう。犯人の言葉はこうだ。
I was mad. But, oh, my God, he badgered and bullied me beyond bearing. For years I had hated and loathed him.badger は、しつこく圧力をかけて悩ませること。語源は、アナグマに犬をけしかけて苛める badger-baiting という昔イギリスで行われていた 残酷な遊びにおける犬の振る舞いだそうな。badger-baiting は、イギリスでは今では禁じられている。 bully は、現在「いじめ」を表す最も一般的な語。 語源は、 「愛人、兄弟」という意味の言葉だったが、17~18 世紀に意味が悪い方に崩れてできた単語のようである。
関連して、題名の underdog(負け犬)は、 もともと「闘いで負けた犬」のことを指していたのが、競争で負けそうな人(々)を表す語になったもの。
Suchet 版では第35話「負け犬」(脚本 Bill Craig)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
Suchet 版では、事件の大筋は変えないものの舞台を大きく変えてある。 原作は、ポワロによる関係者へのインタビューを軸にして物語が進んでゆくので、 テレビドラマにすると、動きが足りなくなる。そこで、いろいろ大きく変えたのだろう。 変えてある点を大きく5つにわけてまとめる。
- 化学工業会社を舞台にしている。
- 原作では Sir Reuben Astwell の職業は不明だが、Suchet 版では Sir Reuben Astwell は Astwell Chemicals という 化学工業会社のワンマン社長で、相当の悪人という設定にしてある。悪人なので、敵も多く、誰が犯人でもおかしくないということになる。
- 新しい合成ゴムの Astoprene をめぐる物語になっている。Reuben はその製造のライセンスをドイツのファルベン社に売ろうとしている。
- Reuben の弟の Victor は、Astwell Chemicals の Managing Director で、製造権の売却に反対している。 ドイツの戦争に使われるおそれがあるからだ。
- Horace Trefusis は Astwell Chemicals の Chief Chemist で、Astoprene 製造技術を完成させた。 製造権を売却されると、得られるはずだった報酬が得られなくなる。原作では、名前は Owen Trefusis で、 Sir Reuben の秘書。Sir Reuben にいじめられている。
- Humphrey Naylor は Imperial College の高分子化学の研究員で、Astoprene を発明した。 研究成果を Astwell Chemicals に持ち込んだものの、商品にはならないと言われた。 ところが Reuben は、研究成果を盗んで、Trefusis に実用化のための研究をさせていた。 原作では、Humphrey はアフリカで金鉱を発見し、開発資金援助を Sir Reuben に頼んだ。 Sir Reuben は専門家を派遣し見込みがないと言って断ったが、裏で金鉱開発に着手していた。
- Hastings と Miss Lemon を登場させている。
- 原作では従僕 (valet) の George が出てくるが、Suchet 版では出てこない。原作には Hastings と Miss Lemon は出てこない。
- Suchet 版では、Hastings はいつものように Poirot と一緒に行動する。
- Suchet 版では、Miss Lemon が Lady Astwell に催眠術をかける役をしている。原作では Dr Cazalet。
- 殺人が起こる前から Poirot と Hastings を事件に巻き込んでいる。
- 原作では、殺人が起こってから 10 日後に Lily Margrave から捜査の依頼を受けることから Poirot は事件に関わり始める。
- Suchet 版では、Hastings が友人の Charles Leverson (Sir Reuben の甥) からゴルフに誘われるところから Poirot が事件に関わり始める。
- Poirot と Hastings は Astwell 家の夕食に呼ばれ、そこで険悪な会話に巻き込まれる。 Sir Reuben は、戦争をビジネスだと言い切り、Victor と Nancy (Reuben の妻) はそれに反対するが、Reuben から一喝される。 Sir Reuben は、集めているベルギーのミニチュア・ブロンズを投機の対象としか思っていない。 Poirot は嫌な気持になって Astwell 邸を後にする。その夜、Sir Reuben が殺される。凶器は、ブロンズ像の一つだった。
- 原作には無い追跡場面を複数設けてある。以下の場面は原作には無い。
- Charles が服についた血を洗っているところをメイドに見られて動転し、家から逃げ出す。 それを警官隊が追いかけて捕まえる。
- Poirot が、事件当日の行動について Lily を追い詰めると、Lily は Astwell 邸を逃げ出して汽車でロンドンの兄 Humphrey のもとに向かう。 Poirot と Hastings は自動車でそれを追いかけ、Imperial College で Lily と Humphrey に彼らに関する真相を聞く。
- 登場人物の性格が少しずつ違う
- Nancy Astwell は、原作では、かわいそうな Trefusis を直感的に犯人だと疑うやや高慢で思慮の浅い女として描かれているが、 Suchet 版では、慎み深い感じの女として描かれている。
- Victor は、原作では気性の荒い乱暴な男だが、Suchet 版では、常識的なビジネスマンである。
- 原作では、Lily と Victor が婚約しているが、Suchet 版では、Nancy と Victor が好き合う仲である。
- Trefusis は、原作では長年 Reuben にいじめられてその恨みを心に貯め込んでいたが、Suchet 版ではその積年の恨みの部分は 弱められていた。原作では Reuben の叱責に堪えかねて発作的に殺すのだが、Suchet 版では、 Astoprene 製造に関する書類を盗みに Reuben の書斎に入ったところ、こっそり逃げるのに失敗して Reuben に見つかり、 発作的に殺したということになっている。
二十四羽の黒つぐみ Four and Twenty Blackbirds
[小尾 芙佐 訳]
事故に見せかけた殺人事件。円熟期のクリスティらしく、題名を文学(この場合、マザーグース)に結びつけ、 料理を謎解きの鍵に使うとともに、ポアロの謎めいた言葉 there is too much sauce over the bad fish にも使うといったような 洒落た工夫がなされた佳品。ポアロの名言と言ってよいと思う部分を引用しておく。
You will be having me locked up as a lunatic soon, Monsieur le Docteur. But I am not really a mental case—-just a man who has a liking for order and method and who is worried when he comes across a fact that does not fit in. I must ask you to forgive me for having given you so much trouble.
[小尾訳] こんなことを申し上げると、すぐさま気が変になったといって拘禁されてしまいそうですな、 ムッシュー・ル・ドクトゥール。しかしわたしはけっして精神病患者ではない―たんに整然たる秩序を好み、 それに適合しない事実に直面した場合、いたく頭を悩ませる人間にすぎないのです。 どうもいろいろとお手数をおかけして申しわけありません。
Suchet 版では第4話「24羽の黒つぐみ」(脚本 Russel Murray, Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:
- 全体的に言えば、原作がマザーグースにひっかけた洒落た雰囲気がポイントなのに対して、 テレビ版は、そういう文学的な演出は諦めて、ドラマチックな演出にするための変更をしてある。主な変更ポイントは以下の4点。 (1) 原作ではジョージ・ロリマーは医師なのに対して、テレビ版では劇場の支配人である。 それによって、ロリマーが変装するのが自然になっているということと、最後にポアロが犯人を追い詰める場面を劇場の舞台 にするというドラマチックな演出ができるようになっている。(2) 原作が短すぎるということか、 テレビ版では登場人物を増やして、容疑者を増やしている。(3) 原作ではポアロが伝聞として聞く情報の多くを、 テレビ版ではポアロが直接関係者から聞き取ったり見たりしたことにしている。 (4) 原作は黒いちごの話で終わるのに対して、Suchet 版はクリケットの話で終わる。
- 原作のヘンリ・ボニントンは職業不明だが、テレビ版の彼は歯医者で、ポアロの治療をしている。
- 冒頭、アントニー・ガスコインが危篤状態にある。アントニーの家政婦のミセス・ヒルが、 アントニーの危篤をロリマーに伝えるが、ロリマーは冷たい。
- その後、ポアロの事務所の場面があってから、原作通りのレストランの場面になる。
- 原作と異なり、ポアロとヘイスティングスは、ヘンリ・ガスコインの家に行き、そこで絵のモデルだったという ダルシー・レインに話を聞く。この人物は原作にない。
- 警視庁に科学捜査局なるものが出てくる。ポアロは、そこで原作には出てこないジャップ警部と会い、彼から死亡推定時刻を聞く。 そして、検死官のカッターからより詳しい話を聞く。原作でポアロに死亡推定時刻を教えるのはマカンドリュウ医師である。
- ヘンリ・ガスコインの絵の売買を行っているメイキンソンなる人物が出てくる。原作にはいない。原作では、 ヘンリ・ガスコインは貧乏絵師だったが、Suchet 版では結構売れている画家で、財産はあるがケチで風変りということになっている。
- 24羽の黒つぐみと白い歯に関する推理は、原作では最後に出てくるのだが、Suchet 版ではちょうど真ん中へんで出てくる。
- 原作では、ポアロはアントニー・ガスコインの死をマカンドリュウ医師から聞くが、Suchet 版では、ロリマーのアシスタントのクラークから聞く。
- アントニー・ガスコインの家は、原作では Kingston(今では大ロンドンの南西部)にあるが、Suchet 版では Brighton (ロンドンから南に行った海沿いの East Sussex 州)付近にあることになっている。海岸の場面もある。
- アントニーとヘンリの兄弟の仲たがいの理由も原作とは異なる。原作では、アントニーが絵を捨てて金持ちの女性と結婚したことなのに対し、 Suchet 版では、アントニーがヘンリのモデルだったシャーロットと結婚したこととなっている。
- 最後に、ポアロが犯人を追い詰める場所は、原作ではロリマー医師の診察室であるのに対して、Suchet 版ではロリマーが支配人をしている 劇場である。テレビ版では、ジャップ警部や警官も出て来て、犯人は逃げられなくなる。
夢 The Dream
[小倉 多加志 訳]
金満家が見る自殺の夢が現実になったようにみえる、という話。夢の内容がおかしい、ということに気付けば、トリックの一つは明らかと 言えば明らかなのだが、他にもおかしな話が連続するので、そのうちどれが本筋のおかしさで、それらがどのようにからまり あっているのかがわかりづらくなっているのがミソ。
翻訳メモ:
- Stillingfleet 医師が、ポアロのことを「ご老体」と呼んでいる場面がある (p.372)。これは old horse の訳で、実際は old には「老いた」という意味合いはあまりなさそうである。親しみを込めたくだけた呼びかけだそうだ。とくに、ユーモア小説家 P.G. Wodehouse のキャラクター Ukridge がよく使っていたということで、時代的には 1920-30 年代くらいだから、ちょうど本作品が書かれたころに 流行っていたのだろう。
- 「伸縮自在ばさみ」(p.383) と訳されている lazy tongs が何であるのか見当が付かなかったが、ググってみると 図があった。 こういうものだとすると「握りを抑えると、はさみが一杯にひらく」(p.383) は誤訳である。原文は He pressed the handles; the tongs shot out to their full length だから、訳は「ポアロがハンドル部分を握ると、はさみは一杯に伸びた。」のように なるだろう。
Suchet 版では第10話「夢」(脚本 Clive Exton)。以下、このテレビ版の特徴。
- 原作と最も大きく変えてあるのは、ファーリー氏の仕事を明示してあることと、ファーリー氏の殺害方法を少し変えてあることである。
この2つは関連している。
- 原作ではファーリー氏の仕事が何だかわからないのだが、テレビ版ではパイ工場の社長。
- これとやや関係して、ロケ地は Hoover Building という元は Hoover 社(掃除機で有名な家電会社)の本社ビルで、元は工場も隣にあった。 アールデコ様式の立派な建物である。 テレビ版での設定は、これはファーリーの屋敷で、工場もすぐ隣にあるということにしてある。
- 冒頭では、パイ工場の映画が流れ、その後が新工場オープニングセレモニーの場面になる。
- ファーリー氏が死んだときに待たされていた人物は、原作では新聞記者二人だが、テレビ版では工場長と工場の代表が二人。 組合結成の申し入れをしようとしていたことになっている。
- 原作では、猫のぬいぐるみを伸縮自在ばさみで窓の外に差し出して、猫嫌いのファーリー氏が窓から身を乗り出したときに
犯人がファーリー氏を撃つということになっている。一方、テレビ版では、ファーリー氏は毎日昼過ぎの定時に、
工場が操業を始めていることをチェックするため、窓から身を乗り出して工場の煙突から煙が上がるのを確認していたということになっている。
- 脚本家は、原作の通りだとファーリー氏が本当に窓から身を乗り出してくれるかどうか甚だ怪しいと思ったのであろう。 確かにそれだと、窓から顔を出すまでもなく、猫のぬいぐるみが伸縮自在ばさみで掴まれていることに 気付きそうなものである。
- 原作では殺害時刻は 3 時 28 分なのだが、それでは工場の操業チェック時刻としては遅すぎるためだと思うが、 テレビ版では殺害時刻を 12 時 28 分に変えてある。
- 原作ではファーリー氏の仕事が何だかわからないのだが、テレビ版ではパイ工場の社長。
- 登場人物に多少の違いがある。原作では出てこないヘイスティングス、ジャップ警部、ミス・レモンをいつものように
登場させている。原作では名前も姿も出てこないジョアンナの恋人のハーバートが出てくる。
- 原作では、警察で捜査に当たるのはバーネット警部だが、テレビ版ではいつものようにジャップ警部になっている。
- 最後に、捕物劇が付け加えられている。コーンワージーが逃げ出そうとするのをヘイスティングスと ハーバートが追いかけて捕まえる。
- 執事のホームズの存在が弱められている。テレビ版では名前も出てこないし、ほとんど証言もしない。
- スティリングフリート医師の存在も弱められている。テレビ版では名前が出ず、ドクターと呼ばれているだけだし、 必要最小限しか会話に加わらない。
- 原作では、人々にいろいろ尋問した後、ポワロはすぐに書斎で真相を明らかにする。 テレビ版では、ポワロは、いったん事務所に戻った後で真相に気付き、改めて人々を集めて、真相を明かす。
グリーンショウ氏の阿房宮 Greenshaw's Folly
[宇野 利泰 訳]
これだけ Miss Marple もの。Miss Marple は、例によって Mr. Naysmith なる人のことを思い出し、事件の真相を解き明かす。
文芸知識を使うのも Miss Marple ものの特徴である。タイトルになっている Greenshaw's Folly がヴィクトリア朝全盛期の 1860-70 年代に建てられたもので、文芸知識もその時代のものが多いようである。
- Miss Greenshaw が遺言書を隠したのは "Lady Audley's Secret" という本。Wikipedia によると、これは、ヴィクトリア朝時代に sensation novel として成功した本だそうで、 重婚やら殺人未遂やらを扱っているという意味で、本小説と重なる部分がある。
- Miss Greenshaw が言った If you want to know the time, ask a policeman というのは 1888 年に作られた歌のタイトルである。 ヴィクトリア朝時代の労働者階級の警察への不信感を歌にしたものだそうである。 本小説では time と policeman がトリックの肝になっていることを暗示するものになっている。
- James Matthew Barrie は、劇作家。"A Kiss for Cinderella" は、時代設定が第一次世界大戦中の演劇なので、 ヴィクトリア朝時代よりは後である。警官が主役ということで、劇団が警官の衣装を持っていたことが、 本作品のトリックに使われている。