クリスマス・プディングの冒険

著者Agatha Christie
訳者橋本 福夫 他
シリーズクリスティー文庫 63
発行所早川書房
刊行2004/11/30
原題イギリス版 The Adventure of the Christmas Pudding and a Selection of Entrée
原出版社Collins Crime Club
原著刊行1960
初出 The Adventure of the Christmas Pudding (本が初出; その後 1960/12-1961/01, Women's Illustrated, 改題 The Theft of the Royal Ruby; 元になった短いバージョンが 1923/12/12, the Sketch)
The Mystery of the Spanish Chest (1960/09-10, Women's Illustrated)
The Under Dog (1926/10, The London Magazine [UK]; 1926/04, The Mystery Magazine [US])
Four and Twenty Blackbirds (1941/03, the Strand Magazine, 原題 Poirot and the Regular Customer [UK]; 1940/11/9, Collier's magazine [US])
The Dream (1938/02, the Strand Magazine)
Greenshaw's Folly (1956/12/3-7, the Daily Mail)
入手名古屋栄のマナハウスで購入
読了2023/02/23
参考 web pages Wikipedia「クリスマス・プディングの冒険」
Wikipedia -- The Adventure of the Christmas Pudding
Wikipedia「名探偵ポワロ」
Wikipedia -- List of Agatha Christie's Poirot episodes

以前に一度読んだものの再読。

評論家霜月蒼の評価も高い。 それもそのはず。1923 年のようなごく初期に書かれたものではなく、ある程度脂が乗ってからの作品だからである。 実際、ごく初期に書かれたものに比べると、ずいぶん話の造りが良いと思う。

ポアロ物に関しては、Suchet 版テレビドラマを見ながら読んでみた。

クリスマス・プディングの冒険 The Adventure of the Christmas Pudding

[橋本 福夫 訳]

ポアロが田舎の屋敷でクリスマスを過ごす楽しい物語。イギリスのクリスマスの風習がいろいろ出て来る。

Suchet 版では第28話「盗まれたロイヤル・ルビー The Theft of the Royal Ruby」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。

このテレビドラマ版は、原作よりも物語の筋と登場人物の人物造形を明確にしているところが特徴である。 まず、人物造形について:

次に、物語の筋について:

スペイン櫃の秘密 The Mystery of the Spanish Chest

[福島 正実 訳]

スペイン櫃の中で死体が発見される謎。当初、犯人の可能性がある人は一人しかいないと思われたが、 実はそうではなかったことがポアロによって明かされる。

本作品は、本作品が発表される三十年前くらいに書かれた『バグダッドの大櫃の謎』(1932 初出) を肉付けしたもの。 以下、『バグダッドの大櫃の謎』(以下、前作と書く)との違いを中心に見てゆく。

Suchet 版では第27話「スペイン櫃の秘密」(脚本 Anthony Horowitz, Clive Exton)。 Anthony Horowitz 脚本のものは、独自のアイディアをたくさん盛り込んである。 以下、このテレビドラマ版の特徴:

負け犬 The Under Dog

[小笠原 豊樹 訳]

比較的初期の中編だが、その後の多くの作品で見られるように、多くの関係者が何らかの意味で本当のことを言わない中、 ポワロがそれらの証言の中からわずかなほころびを見つけ出して、真相を少しずつ明らかにしていく。

最後の犯人の告白が悲痛である。一言で言えば積年の恨みが爆発したということなのだけれど、積年の恨みと言えば、 今の時代、どうしても山上容疑者による安倍元首相殺害事件を思い出してしまう。犯人の言葉はこうだ。

I was mad. But, oh, my God, he badgered and bullied me beyond bearing. For years I had hated and loathed him.
badger は、しつこく圧力をかけて悩ませること。語源は、アナグマに犬をけしかけて苛める badger-baiting という昔イギリスで行われていた 残酷な遊びにおける犬の振る舞いだそうな。badger-baiting は、イギリスでは今では禁じられている。 bully は、現在「いじめ」を表す最も一般的な語。 語源は、 「愛人、兄弟」という意味の言葉だったが、17~18 世紀に意味が悪い方に崩れてできた単語のようである。

関連して、題名の underdog(負け犬)は、 もともと「闘いで負けた犬」のことを指していたのが、競争で負けそうな人(々)を表す語になったもの

Suchet 版では第35話「負け犬」(脚本 Bill Craig)。以下、このテレビドラマ版の特徴:

Suchet 版では、事件の大筋は変えないものの舞台を大きく変えてある。 原作は、ポワロによる関係者へのインタビューを軸にして物語が進んでゆくので、 テレビドラマにすると、動きが足りなくなる。そこで、いろいろ大きく変えたのだろう。 変えてある点を大きく5つにわけてまとめる。

  1. 化学工業会社を舞台にしている。
    • 原作では Sir Reuben Astwell の職業は不明だが、Suchet 版では Sir Reuben Astwell は Astwell Chemicals という 化学工業会社のワンマン社長で、相当の悪人という設定にしてある。悪人なので、敵も多く、誰が犯人でもおかしくないということになる。
    • 新しい合成ゴムの Astoprene をめぐる物語になっている。Reuben はその製造のライセンスをドイツのファルベン社に売ろうとしている。
    • Reuben の弟の Victor は、Astwell Chemicals の Managing Director で、製造権の売却に反対している。 ドイツの戦争に使われるおそれがあるからだ。
    • Horace Trefusis は Astwell Chemicals の Chief Chemist で、Astoprene 製造技術を完成させた。 製造権を売却されると、得られるはずだった報酬が得られなくなる。原作では、名前は Owen Trefusis で、 Sir Reuben の秘書。Sir Reuben にいじめられている。
    • Humphrey Naylor は Imperial College の高分子化学の研究員で、Astoprene を発明した。 研究成果を Astwell Chemicals に持ち込んだものの、商品にはならないと言われた。 ところが Reuben は、研究成果を盗んで、Trefusis に実用化のための研究をさせていた。 原作では、Humphrey はアフリカで金鉱を発見し、開発資金援助を Sir Reuben に頼んだ。 Sir Reuben は専門家を派遣し見込みがないと言って断ったが、裏で金鉱開発に着手していた。
  2. Hastings と Miss Lemon を登場させている。
    • 原作では従僕 (valet) の George が出てくるが、Suchet 版では出てこない。原作には Hastings と Miss Lemon は出てこない。
    • Suchet 版では、Hastings はいつものように Poirot と一緒に行動する。
    • Suchet 版では、Miss Lemon が Lady Astwell に催眠術をかける役をしている。原作では Dr Cazalet。
  3. 殺人が起こる前から Poirot と Hastings を事件に巻き込んでいる。
    • 原作では、殺人が起こってから 10 日後に Lily Margrave から捜査の依頼を受けることから Poirot は事件に関わり始める。
    • Suchet 版では、Hastings が友人の Charles Leverson (Sir Reuben の甥) からゴルフに誘われるところから Poirot が事件に関わり始める。
    • Poirot と Hastings は Astwell 家の夕食に呼ばれ、そこで険悪な会話に巻き込まれる。 Sir Reuben は、戦争をビジネスだと言い切り、Victor と Nancy (Reuben の妻) はそれに反対するが、Reuben から一喝される。 Sir Reuben は、集めているベルギーのミニチュア・ブロンズを投機の対象としか思っていない。 Poirot は嫌な気持になって Astwell 邸を後にする。その夜、Sir Reuben が殺される。凶器は、ブロンズ像の一つだった。
  4. 原作には無い追跡場面を複数設けてある。以下の場面は原作には無い。
    • Charles が服についた血を洗っているところをメイドに見られて動転し、家から逃げ出す。 それを警官隊が追いかけて捕まえる。
    • Poirot が、事件当日の行動について Lily を追い詰めると、Lily は Astwell 邸を逃げ出して汽車でロンドンの兄 Humphrey のもとに向かう。 Poirot と Hastings は自動車でそれを追いかけ、Imperial College で Lily と Humphrey に彼らに関する真相を聞く。
  5. 登場人物の性格が少しずつ違う
    • Nancy Astwell は、原作では、かわいそうな Trefusis を直感的に犯人だと疑うやや高慢で思慮の浅い女として描かれているが、 Suchet 版では、慎み深い感じの女として描かれている。
    • Victor は、原作では気性の荒い乱暴な男だが、Suchet 版では、常識的なビジネスマンである。
    • 原作では、Lily と Victor が婚約しているが、Suchet 版では、Nancy と Victor が好き合う仲である。
    • Trefusis は、原作では長年 Reuben にいじめられてその恨みを心に貯め込んでいたが、Suchet 版ではその積年の恨みの部分は 弱められていた。原作では Reuben の叱責に堪えかねて発作的に殺すのだが、Suchet 版では、 Astoprene 製造に関する書類を盗みに Reuben の書斎に入ったところ、こっそり逃げるのに失敗して Reuben に見つかり、 発作的に殺したということになっている。

二十四羽の黒つぐみ Four and Twenty Blackbirds

[小尾 芙佐 訳]

事故に見せかけた殺人事件。円熟期のクリスティらしく、題名を文学(この場合、マザーグース)に結びつけ、 料理を謎解きの鍵に使うとともに、ポアロの謎めいた言葉 there is too much sauce over the bad fish にも使うといったような 洒落た工夫がなされた佳品。ポアロの名言と言ってよいと思う部分を引用しておく。

You will be having me locked up as a lunatic soon, Monsieur le Docteur. But I am not really a mental case—-just a man who has a liking for order and method and who is worried when he comes across a fact that does not fit in. I must ask you to forgive me for having given you so much trouble.
[小尾訳] こんなことを申し上げると、すぐさま気が変になったといって拘禁されてしまいそうですな、 ムッシュー・ル・ドクトゥール。しかしわたしはけっして精神病患者ではない―たんに整然たる秩序を好み、 それに適合しない事実に直面した場合、いたく頭を悩ませる人間にすぎないのです。 どうもいろいろとお手数をおかけして申しわけありません。

Suchet 版では第4話「24羽の黒つぐみ」(脚本 Russel Murray, Clive Exton)。以下、このテレビドラマ版の特徴:

夢 The Dream

[小倉 多加志 訳]

金満家が見る自殺の夢が現実になったようにみえる、という話。夢の内容がおかしい、ということに気付けば、トリックの一つは明らかと 言えば明らかなのだが、他にもおかしな話が連続するので、そのうちどれが本筋のおかしさで、それらがどのようにからまり あっているのかがわかりづらくなっているのがミソ。

翻訳メモ:

Suchet 版では第10話「夢」(脚本 Clive Exton)。以下、このテレビ版の特徴。

グリーンショウ氏の阿房宮 Greenshaw's Folly

[宇野 利泰 訳]

これだけ Miss Marple もの。Miss Marple は、例によって Mr. Naysmith なる人のことを思い出し、事件の真相を解き明かす。

文芸知識を使うのも Miss Marple ものの特徴である。タイトルになっている Greenshaw's Folly がヴィクトリア朝全盛期の 1860-70 年代に建てられたもので、文芸知識もその時代のものが多いようである。