童謡の One, Two, Buckle My Shoe の各一節を各章の題名とする趣向。その題名に関係したことがそれぞれの章で起きる。 Suchet 版のテレビドラマを見ながら読んでいった。
霜月蒼のクリスティ紹介本 では本作品は酷評されているが、読んでみるとそんなこともなくて、結構工夫された作品であると思った。 霜月の酷評ポイントは、描かれている陰謀話や左翼演説が陳腐で薄っぺらだということだ。そのこと自体は 当たっている。しかし、本作品ではそれは主題ではないし(飾りの部分)、クリスティの政治談議など 最初から期待できないので、陳腐だとは思ったが私はそれほど気にならなかった。それより楽しむべきは、童謡に乗せた筋運び (ただし、後述のようにこれは加島訳だとわからなくなっているところもけっこうある)だとか、 入り組んだ人物関係をポワロが解きほぐして意外な(そして国家的陰謀とは無関係な)真相が立ち現れるところである。 なお、Suchet 版では陰謀話や左翼演説のそれぞれを象徴する Mr Barnes と Mr Howard Raikes が 出てこないから、本作品のそういう意味での欠点が消されている。
それに関連して、原作でちょっと問題なのが Howard Raikes の存在だ。行動の怪しさが最後まですっきり解決されない。 Suchet 版テレビドラマではあっさり切り捨てられているので、物語がすっきりしている。
翻訳で気付いたことが一つ。「ごお、ろく、薪木をひろって」の第4節は Poirot と Japp 警部の電話による会話なのだが、 日本語版では、どっちが Poirot でどっちが Japp 警部だか途中でわからなくなる。それは、たとえば、会話の途中に 「ポアロは答えた。」という地の文があった時に、ポアロが言ったのがその前の台詞なのかその後の台詞なのか よくわからないからである。その点英語では Poirot said: のようにセミコロンがあるので、セミコロンの後に書いてある ことを Poirot が言ったことが明白である。日本語にはセミコロンが無いので、「ポアロは「」と言った。」のように 地の文で台詞を挟まないといけないはずである。とはいえ、この翻訳では、「ポワロは答えた。」のような文の後に ポワロの台詞が来るように統一されているので、それが分かれば問題は無い。
他作品との関連で、『二重の手がかり』に出てきたヴェラ・ロサコフ伯爵夫人を Poirot が懐かしく思い出す場面が出てくる(「じゅうさん、じゅうし、女中たちはくどいている」の第3節)。 『二重の手がかり』はけっこう初期の作品なので、ここでいきなり登場するのにはちょっと驚くが、 クリスティはなぜか思い出してしまったのだろう。
物語が複雑なので、読みながら2つメモを取っていった。以下はそれらのメモである。
最初の方で歯医者の Morley が殺される。これが最初の殺人事件である。殺害時刻はおそらく 12:05--13:00 の間。 午前中、患者がたくさん出入りしてわからなくなるので、表にまとめておく。
Henry Morley の患者 | ||
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予約時刻 | 名前 | 容姿、性格、事件の日の行動など |
10:00 | Mrs Soames | 新しい義歯のため。 |
10:30 | Lady Grant | 年輩。Lowndes Square 在住。 |
11:00 | M Hercule Poirot | |
11:30 | Mr Alistair Blunt | 中肉中背。有名な銀行家。 |
急患 | Miss Mabelle Sainsbury Seale | 40 過ぎの女優。鼻眼鏡。髪を曖昧な色に染め、だらしなくカール。洋服は芸術家風で似合わない。おしゃべり。 |
12:00 | Mr Amberiotis | 太ったギリシャ人。Savoy Hotel に滞在中。12:05 診察室に入る。12:25 帰る。 |
12:30 | Miss Kirby | Worthing 在住。Alfred は Miss Shirty と呼んでいる。45 分間待たされた挙句、13:15 怒って帰った。 |
同僚の Reilly の患者 | ||
予約時刻 | 名前 | 容姿、性格、事件の日の行動など |
10:00 | Betty Heath | 9 歳の少女。 |
11:00 | Colonel Abercrombie | インド生まれのイギリス軍人。Poirot のすぐ前に診察室に入った。 |
11:30 | Mr Howard Raikes | アメリカ人らしい。Holborn Palace Hotel に滞在中。診察を受けずに帰ってしまった。Poirot が感じたところでは、顔付きが凶暴。 革新的な思想の持ち主。Alistair Blunt の義理の姪の娘である Jane Olivera が愛している。 |
12:00 | Mr Barnes | 退職した元内務官僚。高い声の小柄な人。 |
従業員など | ||
仕事、役割 | 名前 | 容姿、性格、事件の日の行動など |
page boy | Alfred Biggs (男) | よく人の名前を間違える。 |
秘書、助手 | Gladys Nevill (女) | 背が高く、色白で、弱々しい感じ。有能で利口。当日午前、嘘の電報に騙されて休みを取り、午後戻ってくる。 |
被害者の妹 | Georgina Morley (女) | 背が高く、こわい顔をしている。 |
Gladys の婚約者 | Frank Carter (男) | 色白で中背。最近失職したが、また良い仕事にありついた。Morley のおぼえめでたからず。12 時少し過ぎに来て、いつの間にかいなくなっていた。 12 時半ころ女中の Agnes が階段で目撃。 |
本作品の章題は、童謡から取られている。歌詞のそれぞれの行の末尾は、数字と韻を踏んでいる。 それで、その歌の歌詞に対応する出来事がそれぞれの章にある。それもまとめておく。
章題 | 対応するできごと |
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いち、にい、わたしの靴のバックルを締めて one, two, buckle my shoe |
Miss Seale が、靴のバックルをタクシーのドアに引っ掛けて、バックルがちぎれる。 |
さん、しい、そのドアを閉めて three, four, shut the door |
Japp 警部と Poirot が Amberiotis 氏に話を聞きに行こうとホテルを訪れると、氏は 30 分前に亡くなっていた。 Poirot は扉が閉ざされたように感じた。 |
ごお、ろく、薪木をひろって five, six, picking up sticks |
"picking up sticks" は、手掛かりをつかむことの隠喩である。この章ではたくさん手掛かりが出てくる。
Barnes は陰謀論を匂わせる、Reilly が死体を動かしたと推理される、Miss Sainsbury Seale が失踪する、
Howard Raikes は資本家を憎む改革思想の持主、Frank Carter は Morley を嫌っていた、
Jane Olivera は Howard Raikes を愛している。 "picking up sticks" の一節は、実は次章に "lay them straight" とまとめて出てくる。 |
しち、はち、きちんと積みあげ seven, eight, lay them straight |
この加島訳では、"lay them straight" をタイトルでは「きちんと積みあげ」と訳し、本文では「まずきちんと並べろ」 と訳してあるので対応が分かりづらい。本文中では、地の文として Poirot の心中が語られる部分で出てきている。 いろいろな手がかりを集めてそれらをきちんと並べるという Poirot ご自慢の方法論のことである。 |
くう、じゅう、むっくり肥っためん鶏さん nine, ten, a good fat hen |
"a good fat hen" は、Poirot が Mrs Olivera(Alistair Blunt の義理の姪で、Jane の母親)を形容するのに使っている言葉。 Poirot は、その声や言い回しが自分を電話で脅迫してきたものとほとんど同じであることに気付く。 |
じゅういち、じゅうに、男衆は掘りまわる eleven, twelve, men must delve |
Blunt 邸では、Frank Carter が Dunning Sunbury の名前で庭師をしていて、熱心に土を掘っていた。ただし、ここの 「掘る」は dig で、delve ではない。 |
じゅうさん、じゅうし、女中たちはくどいてる thirteen, fourteen, maids are courting |
Regent's Park で Poirot は、子守女とその恋人たちの愛の囁き (courting nursemaids and their swains) を眺めている。
Poirot はその中に Jane Olivera と Howard Raikes の姿を見かけて声をかける。 Poirot に声をかけられて Raikes が居づらくなっていなくなったとき、Poirot が Jane に "Two is company, three is none" という諺を引いて、"When you are courting, two is company, is it not, three is none?" と言ったのに対して、Jane が "Courting? What a word!" と言っているのが面白い。court は、辞書(プログレッシブ英和中) にも ((古風)) と書いてある通り、普通は使わない古い言い方なのだろう。 |
じゅうご、じゅうろく、女中たちは台所にいて fifteen, sixteen, maids in the kitchen |
歯医者の Morley の小間使いの Agnes Fletcher が今になって Morley 殺害の日に Frank Carter を階段で見たと Poirot に話す。 それまで黙っていたのは、事件は自殺で解決したと思っていて、コックと話して事件には関わり合いにならないようにしようと思っていたからだった。 |
じゅうしち、じゅうはち、女中たちは花嫁のお仕度 seventeen, eighteen, maids in waiting |
"in waiting" は辞書(ジーニアス英和大電子版)によれば、「王族に仕えて、かしづいて」という意味。
とすれば、"maids in waiting" は、体制に仕える Alistair Blunt の隠喩であるか、
経済界の大物 Alistair Blunt の周辺の女性たちの隠喩であるかのどちらかであろう。 加島訳がどうして「花嫁のお支度」になっているのかは不明。 |
じゅうく、にじゅう、私のお皿はからっぽだ… nineteen, twenty, my plate's empty |
最後に Poirot が "Nineteen, twenty, my plate's empty" と独り言を言う。 これは、事件が解決したという比喩のつもりか? |