人格障害かもしれない どうして普通にできないんだろう

磯部潮著
光文社新書 094、光文社
刊行:2003/04/20
廃棄してあったものを拾った
読了日:2008/06/16
以前に類書を何冊か読んだことがあったので (岡田2004a岡田2004b野村1998)、 すらすら読めてしまった。前半は、アメリカ精神医学会の DSM 診断基準を 元にした人格障害の説明が主で、必然的に類書と似た内容になっている。 とくに境界性人格障害が人格障害の中心的なものであるとして詳しく紹介している。

この本の特徴は、現代社会との関わりを語っているところ(第6章)と、 有名な犯罪者並びにアーチスト数名の人格の分析をしているところ(第7,8章)である。

第6章では、権威や価値基準が解体した現代という時代において、 境界性人格障害や回避性人格障害(社会的ひきこもり)が増えているという 見方が述べられている。これは 岡田2004aの見方と似ている。 岡田2004aにおいては、 境界性人格障害と自己愛性人格障害が現代社会との関連でとくに取り上げられていた。

第7章では、犯罪と人格障害とは直接の関わりがないことを強調しながらも (ただし、反社会性人格障害は、定義の上からも犯罪者を指しているようなもの なのでこれは除く)、その犯罪の異常性から有名になった5名の犯罪者を 人格障害の観点から分析している。

第8章では、人格障害の光の部分として、創造的な仕事をした3人の人物の紹介である。 尾崎豊は、境界性人格障害であったがゆえに、満たされない心を歌に込めていた。 太宰治は、境界性人格障害かつ自己愛性人格障害で、 人間関係が不安定になっているときに次々に傑作を産み出した。 三島由起夫は、自己愛性人格障害で、35歳くらい以降だんだんと精神のバランスを 失っていった。私は、三島の分析には少ししっくりしない点を感じるものの、 創造性と不安定性が表裏一体という境界性人格障害の分析にはなるほど そうかと思った。著者自身が治療に当った境界性人格障害の人の記述(第2章)に そういう表裏一体性が書かれていたので、説得力があるものになっている。