杉の柩

著者Agatha Christie
訳者恩地 美保子
シリーズクリスティー文庫 18
発行所早川書房
刊行2004/05/15、刷:2008/10/31(3 刷)
原題Sad Cypress
原出版社イギリス版 Collins Crime Club / アメリカ版 Dodd, Mead and Company
原著刊行1940
入手福岡市図書館除籍図書の払い下げ
読了2023/06/17
参考 web pages Wikipedia「杉の柩」
Wikipedia「Sad Cypress」
杉の柩 in 「名探偵ポワロ」データベース
Wikipedia「名探偵ポワロ」
Wikipedia -- List of Agatha Christie's Poirot episodes

以前読んだものの再読。 今回はネタバレで書いてみる。

本作品は、円熟期のクリスティの腕がよく発揮された作品である。作品は三部構成で、第一部が事件編、第二部が捜査編、 第三部が解決編ときれいに分かれている。第一部の前に短いプロローグがある。第一部は、日本語訳で 17--165 ページの 全 149 ページ。第二部は、169--315 ページの全 147 ページ。第三部は、319--402 ページの全 84 ページ。 第一部、第二部でじっくり事件を語り、第三部で一気に解決というスピード感がページ数にも表れている。 第三部でも、最初は法廷での証言が淡々と進み、後半で一気にどんでん返しの証言が出てくる。 もう一つの特徴として、長編の割に、登場人物が少なく、推理を攪乱させる余計な小さな犯罪もほとんどない、ということがある。 それでいながら、犯人がなかなか浮かび上がってこないように書かれている。 この整然とした構成、どんでん返しのスピード感、ならびにゴテゴテの少ないすっきり感がクリスティの円熟を感じさせるところである。

第一部では、金持ちのローラ・ウエルマン夫人と彼女が可愛がっていたメアリイ・ジェラードという若い女性が モルヒネで毒殺される事件が描かれる。ポワロは第二部から登場し、第二部はポワロによるインタビュー集である。 第二部までは、動機という点で、犯人がローラの姪のエリノア・カーライル以外には考えられないように書かれている。 ローラ・ウエルマン殺しの動機については、遺産目当てとも考えられたし、病気で苦しんでいた叔母を安楽死させたとも考えられた。 メアリイ・ジェラード殺しの動機については、婚約者だったロディ―・ウエルマンを心変わりさせたことに対する恨みもしくは嫉妬と 考えられた。その他には動機がありそうな人物はいないし、エリノアに機会はあった。 第二部までで、エリノア犯人説に疑いを抱かせるものといえば、第一部冒頭に出てくるエリノア宛の謎の手紙くらいしかないのである。

第二部の最後で、何やら怪しげな事実が2つポワロによって明らかにされる。(i) メアリイ殺害の朝、ピーター・ロード医師は Withenbury に行っていたと言っているが (文庫 p.295)、ウェルマンの邸宅の庭師が裏門のところに確かにロード医師の車が あったと言う (文庫 p.315)。ロード医師はそれを隠そうとしてあり得ない話をでっち上げた (文庫 pp.304-305)。 (ii) メアリイ・ジェラードの本当の両親は、ルイス・ライクロフト卿とローラ・ウエルマン夫人であることが明らかになる (文庫 pp.309-313)。これらは殺害事件と一見何の関係もなさそうだが、読者に何かどんでん返しがあることを予感させ、 第三部で明らかにされる真相の前触れとなっている。

第三部は主に法廷の場面である。これも前半は淡々と進み、今まで分かった事実が再確認される。 ところが終わり近くなって(文庫 p.368 以降)、(1) 庭の薔薇にはトゲが無く、ホプキンズがトゲを刺したと 言っていたのが嘘だと分かり、(2) モルヒネを排出させるアポモルヒネの存在が明らかになり、 (3) ホプキンズは偽名で、本名がメアリイ・ドレイパー(旧姓 ライリイ)であることが明かされて、 劇的に犯人がホプキンズ看護婦であったことが分かる。実は、再読を始めた時、犯人が看護婦であったことは 覚えていたのだが、どちらの看護婦だったかを忘れていて、オブライエンが犯人だったような気がしながら読んでいた。 オブライエンは、いつも話に尾鰭を付けるようなタイプの人物として描かれているからだ。でも、それも 作者のカムフラージュだった。平凡な感じに描かれている方が犯人だった。言われてみれば、推理小説の常道ではあった。

では、ポワロはどうやって最も肝心なポイント、すなわちホプキンズが偽名であることに気付いたのか? それが最後にポワロによって種明かしされる (文庫 pp.394-395)。 それが第二部最後で出てきた上述の (ii) が書かれていたメアリイ宛の手紙だった。宛先のメアリイは、 メアリイ・ジェラードではなく、メアリイ・ライリイだと気付いたのだ。うっかり読むと メアリイ・ジェラード宛だと思わせるように書かれているが、実際にはメアリイ宛と書かれているだけなのだ。 このような同名トリックは 『邪悪の家』でも使われていた。

毒物を使ったトリックは、デビュー作『スタイルズ荘の怪事件』 以来のクリスティーの得意技である。ここでは、モルヒネ (morphine) とアポモルヒネ (apomorphine) の名前に共通部分があること、 モルヒネが致死的な毒物であること、アポモルヒネが催吐薬であることが利用されている。

なお、第二部最後の上述の (i) は単なる撹乱要素で、ロード医師が愛するエリノアの姿を見るために こっそり邸宅に行っていたというだけのことだった。

ついでに、Suchet 版のドラマも再視聴した(下に記す)。

細かいながら翻訳で気付いた点

第二部第7章冒頭 (文庫 p.251)

第二部第13章の手紙 (文庫 p.312)

Suchet テレビドラマ版のあらすじといろいろなメモ

Suchet 版は第51話「杉の柩」(脚本 David Pirie)。

プロローグ(最初の 2 分)、第一部 (50 分まで)、第二部 (1 時間 15 分まで)、第三部 (1 時間 33 分まで) の構成は大まかには原作通りだが、 以下の大きな違いがある。

第一部

第二部

第三部